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共に生きる勇気が平和をつくるNO.4
ひとは武器を持つこともできるが、鍬を持つこともできる

2003年3月17日 細谷常彦

ブログ・恋する経済
被災障害者支援Tシャツ
きぼうのガッツくんTシャツ
箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
阪神淡路大震災とわたしたち
NO.2 1995年1月17日朝
NO.3 新谷のり子さんのこと
NO.4 救援バザー
共に生きる勇気が平和をつくる
NO.1 アフガニスタンの子どもたち
NO.2 同じ空の下で
NO.3 平和にキス
NO.4 ひとは武器を持つこともできるが、鍬を持つこともできる
NO.5 イマジンとガンジーの糸車
NO.6 夢の力を信じて、鳥は飛ぶ
NO.7 21せいきのしつもん
世界がすべて沈黙してしまう夜
小島良喜とイラク戦争と武満徹
忌野清志郎さんと「イマジン」と平和を願う大バザーと
共に生きるすべてのひとの
希望をたがやすために
2011年みんなでつくる春のバザー
1996年おもいっきりバザーを
終えて
2004年平和を願う大バザーの
よびかけ
カレンダー
「やさしいちきゅうものがたり」
豊能障害者労働センター
30年ストーリー
みんなでつくる春のバザー
平和を願うメッセージ
ゆめ風基金とわたしたち
永六輔・山田太一・筑紫哲也
恋する経済のススメ
エッセイ&制度
1947年の手紙
「積木」編集分室


 「売上げなんぼあると思う?」
 知的障害といわれる仲間のHさんがぼくに話しかけた。「どうかなぁ」と、ぼんやり答えるぼくに、「1億円あると思うねん。」と彼は言った。

 1995年1月17日、6400をこえる命を奪い、神戸・阪神地区を壊滅させた阪神大震災は、箕面に住むぼくたちの活動を変えてしまった。
 その日の朝、ゆれるたびにプレハブの建物がガタガタとなる事務所に、ぼくたちは真っ青な顔で集まった。
 この年の3月に大きなバザー、7月に永六輔さんの講演を計画していたが、説明できない現実の前でぼくたちの心は固く縮こまり、立ちつくしていた。

 長い沈黙の後、「神戸の障害者はどうなってるんやろ」と、誰かが言った。テレビのブラウン管にはビルが崩壊し、瓦礫から吹き上がる煙が映し出されていたが、その下でついさっきまで暮らしていたはずの人々の情報は伝わってこなかった。
 被災地の障害者の情報にいたってはまったくなかった。

 1枚のFAXが届いた。被災地の障害者団体のスタッフから届いた障害者の安否情報だった。いくつもの団体を通り過ぎ、字がつぶれてしまったFAXは、マスコミが絶対に伝えられないひとりひとりの安否と救援を呼びかけていた。
 ぼくたちはそのFAXでやっと行動を起こすことができた。
 「今度のバザーの売上げは全額被災地の障害者に届けよう」。

 全国の障害者団体のネットワークのもとで障害者救援本部が立ち上がり、豊能障害者労働センターは救援物資のターミナルを引き受けることになり、今すぐ必要な物は被災地に届ける一方で、基金のよびかけとバザー用品の提供を全国によびかけた。
 地域の方々からいただいた物資と宅配便で届けられる物資の山を、たくさんのボランティアの方々に助けられて仕分けをし、箕面市役所が用意してくれた倉庫に積んでいく毎日が続いた。

 いま振り返るとぼくたちは救援活動をしていたというよりは、なによりもそうしなければあの地震の恐怖から逃れられなかったのだと思う。
 そんなぼくたちをはげましてくれたのは、障害者スタッフのYさんだった。独り言にかけてはぼくも負けてはいないが、いつもその場の状況を的確にとらえる名人である彼は、救援物資がつまったダンボールを抱えながら、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」とぼくたちにつぶやくのだった。

 1ヶ月、2ヶ月とすぎ、生活を立て直すためのお金が必要になった3月18日、被災障害者救援バザーを開いた。この日は雨がちらちらするあいにくの天気だったが、新谷のり子さんも持ち出しで応援にかけつけてくださり、また総勢100人のボランティアの方々に助けられ、大盛況に終わった。
 片づけが終わり、ぼくたちは事務所に集まった。疲れているのにまだ何かをしなければと心の置き場がないまま、どれだけのお金を被災地に届けられるのかと、障害者スタッフもみんないっしょうけんめいお金を数えていた。

 「1億円あると思うねん」。Hさんは目を真っ赤にして言った。あの時、彼の1億円はきっと、障害者をふくむ被災地のすべての人々へのありったけの気持ちだったのだろう。
 過酷な状況とたたかっている被災地の障害者とつながろうとする気持ちが、1億円のバザーを夢見たのだと思う。
 その1億円は救援本部全体の救援金総額として現実のものになったし、Yさんの「だいじょうぶ」は7月に来てくれた永六輔さんが呼びかけ人代表になった「被災障害者支援・ゆめ風基金」につながったのだとぼくは信じている。
 救援バザーは、だれひとり傷つくことのない社会を願う「ともに生きる勇気」をぼくたちに教えてくれた。
 戦争の世紀といわれた20世紀は、あと5年で終わろうとしていた。

 だれもが願った平和の世紀であるはずの21世紀のはじまりは、より多くの血で塗られてしまった。
 一昨年のテロ後の武力行使を報道するテレビに映ったアフガニスタンの子どもたちの目は、ぼくたちにも向けられていると感じた。
 ぼくたちはテロを決して認めないが、だからと言ってそこで暮らすひとびとの命をうばってしまう「正義」を認めることはできない。
 テレビは崩壊したアフガニスタンの村や町を映したが、ひとびとの心の真実は映せなかった。

 阪神大震災の教訓を忘れかけていたことを恥じた。しかもいま起こっていることは自然災害ではない。ぼくたちおとなの未来である子どもの命を奪い、その瞳を恨みにあふれさせている。
 ぼくたちが何をし、どこに行くのかが問われている。何をしてもむなしくなり、絶望してしまいそうになっても、「共に生きる勇気」を育てなければならないと思った。
 「共に生きること」はとても勇気のいることなのだ。でもその勇気を持てばぼくたち人間は武力から解放される。

 1月18日、2月15日、16日、3月16日と、平和を願う世界中の市民がイラクへの武力行使を止めようと呼びかけた。
 たとえ何日かの猶予という結果になったとしても、ひとりひとりの思いが国連安保理事会に届いたことはまちがいのないことなのだと思う。
 その中にはアメリカ市民もいた。アメリカには迫害を受けながらも憎悪の連鎖を断ち切ろうと訴えるテロ被害者の家族もいる。
 震災の時の1枚のFAXが世紀を越え場所を変え、世界中のマスメデイアを通してもう一度ぼくたちに届いたのだと思った。

 ぼくたちは5月24日に開く今年のバザーを「平和を願う大バザー」とすることを決め、売上げの内から50万円を信頼できるNGOにたくすことにした。
 バザーはだれもが参加できる庶民の助け合い文化だ。だからこそバザーは平和でなければできないだけでなく、平和をつくりだす「共に生きる勇気」を育ててくれると信じている。

 多くの市民のみなさんからいただいた物を多くの市民のみなさんが買ってくださり、それで生活しているぼくたちだからこそ、どんな理由であっても名前も知らない子どもたちを殺してしまうことになる武力行使をしてはならないと切実に思う。

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