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松井しのぶと宮沢賢治とぼくの青春2

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箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
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松井しのぶさんとの出会い
松井しのぶとシュールレアリスム
松井しのぶと宮沢賢治
松井しのぶと宮沢賢治2
松井しのぶと阪神大震災の焚き火
松井しのぶと光のくじら
壁掛けカレンダーの切実な役割
映画「ストロベリーショートケイクス」
そして希望の一年がやってくる
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50部以上、特別協力会員価格でお届けします。障害者団体に限りません。
1984年、吉田たろうさんとの出会いからカレンダーの制作が実現しました。2003年に急死されるまでの20年間、協力してくださった吉田たろうさんに深く感謝しています。
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寺山修司、唐十郎、別役実、北村想など多くの劇作家が宮沢賢治を取り上げている。その中でも唐十郎の「唐版・風の又三郎」は子どもの頃に大衆演劇を見て以来、ぼくが見たはじめての芝居で、当時は根津甚八、小林薫、大久保鷹、李礼仙などが狭いテントの中を縦横無尽に飛び回り、心おどる劇空間をつくっていた。およそ原作とはちがう物語なのだが、いま宮沢賢治を読み直してみると、孤独な心だからこそ見ることができる果てない夢が見慣れた風景を引き裂き、時代を超えてどこかのだれかの夢を生きている自分がその夢の彼方へと踏み込んでいくところなど、もうひとつの「風の又三郎」だと思う。

細谷 常彦

 にわかにパッと明るくなり、日光の黄金(きん)は夢のように水の中に降って来ました。
 波から来る光の網が、底の白い磐(いわ)の上で美しくゆらゆらのびたりちぢんだりしました。泡や小さなごみからはまっすぐな影の棒が、斜めに水の中に並んで立ちました。
                                   宮沢賢治「やまなし」

 ひとはだれでも、自分を待っていてくれるなつかしい風景を持っている。それをあるひとは青春と呼ぶだろう。そこでは行方不明のこどものぼくを引き取りに来るはずの、大人になったぼく自身を待っている。その気になればいつでもぼくはその時と場所に帰っていくことができるのだ。
 ぼくにとってその時と場所は、1965年夏、和歌山県すさみの海の小さな入り江だった。

 高校3年の夏、友だち4、5人と和歌山に行った。手のひらに小さな山ができるぐらいの薬を飲み、一膳飯屋をしながら兄とぼくを高校まで行かせてくれた母に、息子を旅行に行かせる余裕などあるはずもなかった。いま思えば身を削るようにして蓄えたわずかなお金から、旅行の費用を工面してくれたのだと思う。
 ぼくのはじめての旅は、段取りをしてくれた友だちのいたずらで実は泊まるところも決めず、急行「きのくに」に乗ったもののどこの駅に降りるのかも気分しだいで、その後はヒッチハイクで白浜に行くことになった。不安を横に夏の小さな冒険は夜おそく降りた、すさみ駅からはじまった。その夜はつり宿に泊めてもらった。あくる朝、海岸にそった道路を白浜に向かって歩きはじめた。片っ端に手をあげるものの、そんなに簡単に車が止まってくれるわけはなかった。

 夏の太陽は容赦なくそそぎ、ぼくたちは思わず海にとびこんだ。そこはなんのかわったところもない入り江だったが、水がこんなに透明になることができるのかと思った。底には色とりどりの石がばらまかれ、小さな魚たちがぼくたちを無視して泳いでいた。ぼくは仰向けになり水の中で目をあけた。夏の太陽はゆらゆらと光のカーテンを編んでいた。

 小学校から高校まで、ぼくは母親しかいないことや貧乏であることよりもなによりも、どもるくせに悩んでいた。同級生たちに「こいつとつきあったらどもりがうつる」といわれたことや、授業中にどもって本が読めなかったことを、いまでも時々夢に見ることがある。心を硬く閉じてしまった対人恐怖症の少年が大人になるには、どれだけの時間が必要だったのだろう。
 ところがどうだ、この水の中で感じる世界は、なんと美しく、ぼくをこんなに大きくやさしくいとおしくせつなく、「だいじょうぶだよ」とつつんでくれるのだった。もうだれひとりぼくを笑いとさげすみで見るものもなく、ぼくはきらきらかがやく世界の一部となった。
 太陽の光が波にゆれるたびに、水の中のさまざまな塵や小魚、小石までもが小さな泡をぷくぷくゆらし、光と影がダンスをくりかえす。ぼくのかたくなな心からとめどなく涙があふれ、海の水に溶け込んでいった。
 「ぼくはもう一度ここに来る。」と、その時誓った。

 「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。」という口上ではじまる宮沢賢治の「やまなし」は、幻燈で小さな谷川の底をのぞきこむと、かにの子どもたちがくりかえす呪文のような会話に引き込まれ、ぼくたち読者はかにと同じ川底から世界を見る。
 その川底には何か、大きな自然の謎につつまれた生と死の原風景があり、おそるおそる幻燈をのぞき込むぼくたちに、きびしくもある生のかがやきを教えてくれるのだった。
 この短い童話を読むと、高校3年の時に見たあの入り江の風景を思い出す。「もう一度ここに来る」と誓った僕自身への約束は、それから40年以上もたつのに果たしていない。というよりその入り江がどこにあるのか、ぼくにはまったくわからないのだ。

 あれから50年近く、ぼくはいつのまにか大人になり、長い時を生きてきた。ぼくの心は、そう簡単には世界と折り合いがつくわけではなかったし、いま人生をふり返ると、とりかえしがつかないことばかりを悔やむこともたしかにある。
 けれども、もしあの入り江と出会っていなかったら、ぼくはひとを愛することも夢をすてないことも、友と希望を分かち合うことも知らないまま生きてきたと思う。

 そしていま、ぼくは松井しのぶさんのイラストと出会った。彼女のイラストは、まさしく宮沢賢治の「やまなし」の幻燈そのもので、どこかほの明るく、やさしい透明な光がゆれている。
 そのイラストの鏡の中をのぞきこむと、そこでは過去と未来と記憶と夢が溶け合い、なつかしい夢と青春が微笑みながら手をふっているのだ。
 宮沢賢治の童話がそうであるように、松井しのぶさんのイラストからあふれてくる、このせつなさはなんだとずっと考えていた。
 今はそれがすべてのいきものたちへのやさしいまなざし、小さないのちのひとつひとつが死と隣り合わせにいっしょうけんめい生きる静かな意志、そしてきずつくことをおそれずにひととつながり、平和な世界を分かち合い、共に生きる希望を育てたいと願う心の手紙なのだと思う。
 それこそがぼくの人生にとってのあの入り江の意味だったのだと、いまはっきりと思う。

 そして願わくばこの文章を読んでくださった方々が一人でも多く、カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」を通して松井しのぶさんのイラストと出会い、心の奥にかくれているなつかしい風景とともにその手紙を読んでくださることを切に願っています。

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