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恋する経済
共に生きるすべてのひとの希望をたがやすために |
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松井しのぶと阪神大震災と焚き火 |
村上春樹の六編の連作短編小説「神の子どもたちはみな踊る」のひとつに「アイロンのある風景」という小説がある。家出して海岸の街に住み着いた若い女と、大学を卒業する見込みも意志もなくバンドをつづける同居人の若い男、妻と子どもを阪神地区に残して漂流した果てにたどり着いた海岸で焚き火をし続ける中年の画家。 冬の夜、孤独という言葉では語れない大きな何かをそこなった心は、死の予感と生きることの空虚感に包まれている。ここでも焚き火は、それをしつづけなければ生きることもつながることもできない切実な儀式となっている。「火が消えるまで眠ろう。目がさめたら死のう」という会話は、反対に焚き火が終わればいや応なく寒さで目をさまし、この現実を引き受けてそれぞれが生きていくしかないという静かな決意にも聞こえる。 2000年に出版されたこの短編集はどれも1995年2月という地震から1ヵ月後、そしてオウム真理教の地下鉄サリン事件の前という設定で、被災地とはまったく関係のない所で生きる人々の心にあの地震がおよぼした「何か」を物語る。ハッピーエンドが少ないこれらの物語の背景にある「理不尽で巨大な暴力」に無力感を持ちながらも、この作家のほかの作品と同じくなぜか「救済」を感じる。松井しのぶさんの絵と出会った時に感じたのも同じもので、この小説を思い出していた。ぼくはこの小説をもう一度読み直した。 |
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細谷 常彦
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やがて悲しみは希望にかわり その絵は焚き火の絵だった。四人の人間が焚き火をしている。その炎からいくつもの星が生まれる。そのうちのひとつの星が大地に堕ちてなお、きらきら光る。 焚き火の思い出 中学生の時、冬休みに一度だけアルバイトをしたことがある。僕の家には父がいなくて、母が飯屋をしながらぼくと兄を育ててくれた。今は中学生のアルバイトは禁じられているらしいが、そのころは家計を助けるために新聞配達をしたり知り合いのお店や工場でアルバイトをする友だちもいたように思う。僕の家の状況から言えば真っ先にアルバイトをしてもあたりまえだったが、母はそれを嫌っていた。店の手伝いをしてほしかったこともあるが、なによりも勉強してほしかったのだと思う。 そんなわけでぼくは学校から帰るとお店の手伝いをしながら、空いたテーブルで勉強していた。そのおかげでぼくの教科書もノートも醤油やソースのこぼれたあとがいつもへばりついていた。 寒い朝、工務店に着くと数人の職人さんが大きなドラム缶に廃材を放り込み、焚き火をしていて、「冷たいやろ、早よあったまり。」といつも声をかけてくれるのだった。身体がかちかちになっているぼくは焚き火に差し出した両手から、あたたかさを身体の中にゆっくりと流し込む。パチパチと木がはぜる音、ぼんやりとゆれる炎。顔のほてりを両手でこすりながら、ぼくは心の中の何かかたくななものがとけていくのを感じていた。その15分ほどの時間がとてもうれしかった。ぼくは焚き火の楽しさを教えてもらった。今思い返すとそのあたたかさは焚き火だけのせいではなく、特別な事情をかかえる子どもを温かく見守る職人さんたちの心づかいだったのだと思う。 共に生きる勇気を育てるために 阪神大震災の時、公園や学校などの避難所ではどこでも焚き火をしていた。5500人以上のかけがえのないいのちがうばわれ、あたり一面が瓦礫の荒野となってしまったその地で凍てつく冬の夜を照らす焚き火は、体をあたためることや灯りをとることや炊き出しをするためだけに必要だったのではない。多くの証言が語るように焚き火は被災地のひとびとの心をあたため、癒してくれたのだと思う。 余震の恐怖、肉親や恋人、友人を失った無念、生き残ったがゆえにおそいかかる死の予感…。廃材といっしょに何度も何度もそれらをドラム缶の中に投げ込み、ひとびとは焚き火をしつづけたのだった。それは5500を超えるたましいを見送る儀式でもあったが、それと同時に生き残ったひとびとが助け合って生きる以外に道はないことを教えてくれる、だれもが必要とした道しるべでもあった。 けれども、どんな強力な武器よりも、共に生きる勇気を育てること以外に「安全で平和な社会」をつくれないこともまた、たしかなことなのだと思う。わたしたち人間は言葉も個性も希望も夢も国籍も民族も性別も年代もちがっても、つながることができるのだ。それがとてもうれしいことなのだと、焚き火が教えてくれた。 松井しのぶさんの焚き火の絵は、まるでずっと前からぼくを待っていたかのように「冷たいやろ、早よあったまり。」とやさしくささやいた。ぼくは焚き火に両手を差し出して、「ただいま」と言った。 やがて悲しみは希望に変わり |
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