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映画「ストロベリーショートケイクス」を観て
壁掛けカレンダーの切実な役割

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壁掛けカレンダーの切実な役割
映画「ストロベリーショートケイクス」
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1984年、吉田たろうさんとの出会いからカレンダーの制作が実現しました。2003年に急死されるまでの20年間、協力してくださった吉田たろうさんに深く感謝しています。
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アン・リー監督の「ブロークバック・マウンテン」を観て、「ああ、今年これ以上のいい映画を観ることはない」と思っていた。雄大で美しいブロークバック・マウンテンの牧場で出会った二人の青年の20年間の純愛ともいえる秘密の愛を描いたこの映画は、男2人の登場人物の心のひだを切なく描いたが、「ストロベリーショートケイクス」でも女4人の繊細な心の動きを見事に描いていた。今のところ、この二つの映画がぼくの今年の宝物になった。「ストロベリーショートケイクス」の原作コミック(魚喃キリコ作)も読み、とてもよかった。映画よりはちょっぴりハッピーエンドになっていて、うれしかった。


25年以上、カレンダーの販売をしてきたが、毎年せつない気持ちになる。季節商品なので、12月までに一本でも多く販売しなければならないプレッシャーもあるが、それよりもカレンダーが持っている不思議な性格によると思う。どんな一年だったかは人それぞれだが、ともかくもう少しでこの一年か終わる時期に、いろいろあったことをかみしめながら、新しい一年の白紙の未来への希望をたぐりよせる。ぼくにとっても、あなたにとっても、だれにとっても、きっときっと来年はいい年になりますようにと、カレンダーの一枚一枚をていねいに巻きながら、一日一日がすぎていく。

細谷 常彦

 棺おけをベッドにした風変わりな部屋。マウンテンバイクと大きな水槽。薄暗い部屋に影絵のように忍び込む柔らかい光。デリヘルの仕事用の靴と、好きな男に会いに行くためのズック。そしてトランクに無造作に放り込まれた札束。
 デリバリーヘルス店「ヘブンスゲート」のNO.1デリヘル嬢・秋代は、その仕事とは裏腹に、専門学校の同級生・菊池に一途な片思いを募らせている。 
 かけられたカレンダーは月の満ち引きのデザインで、そこに一日だけ「きくち」と書き込まれている。

 「スペシャルな人のスペシャルになりたい」と恋の訪れを願う里子。好きな男に告白もせず、「ともだち」でいることをかたくなに守りながら、身体を売る仕事をしている秋代。自分らしく生きようと必死になるために過食と嘔吐をくりかえす塔子。やりがいのある仕事もなく、自分の居場所を男に求める結婚願望の強いちひろ。

 魚喃キリコのコミックス原作、矢崎仁司監督の映画「ストロベリーショートケイクス」は、少し極端ではあるが、きっと女性ならだれでも共感できる4人の女性の日常を切り取っていく。イチゴケーキのようには甘くはない現実をうけとめ、淡々と生きる彼女たちの日常は痛々しいがとてもいとおしく、思わず抱きしめたくなる。
 そして幸せを求める彼女たちの日常がそのままぼくたちの日常に紛れ込み、切ないイチゴケーキとなって残る。そんな映画だった。

 この映画を観ていて、ぼくの目に焼きついたのが秋代の部屋のカレンダーだった。一途に思いつづける「きくち」に電話をかけ、田舎の実家からトマトを送ってきたからあげるといって約束し、近所のスーパーでトマトを買う。
 仕事のときとはうって変わり、洗いざらしのTシャツとジーンズ。化粧もせず、黒ぶちのめがねをかけて坂道を自転車で走る後姿は、純愛に心焦がす彼女の本当の姿なのだ。
 「きくち」には彼女がいて、決して報われないことを知っているからこそ「友だち」を装い、居酒屋でわざと乱暴な言葉づかいで飲んでいる後姿もまた、肩のふるえが伝わってくる。
 こんないとおしくせつない彼女の恋の記念日が、カレンダーの一ヶ月分に一回あるかないかの「きくち」というメモに記されている。それ以外のメモはいっさい書かれていないのだった。持ち歩く手帳や携帯電話のカレンダーにはない、壁掛けカレンダーの切実な役割がそこにはある。

 ぼくはといえば高校を卒業して友だちとアパートに住みはじめ、それから何度となく引っ越しをした。
 一人暮らしをしたり、友だち何人かと暮らしたりしてきたが、不思議にその頃はカレンダーにかかわる思い出はない。定職にもつかず、ビルの清掃などで貯めたお金で1年間は昼と夜が逆転する生活をした。そんな暮らしにカレンダーなど必要なかった。
 この映画に登場するひとたちと同じように、無垢ともいえる青い時を通りすぎた後、自分の暮らしやこれからのこと、かなわなかった恋、ふるいにかけられて残った友だち、心のひだにしみこんだ後悔…、そんな切ない日々を通り過ぎた部屋には、いつのまにかカレンダーが掛かっていた。

 世界の現実に目を向ければ、悲しい記念日に埋めつくされ、カレンダーのどの1日からも悲鳴が聞こえてくる。1995年1月17日や2001年9月11日、たくさんの世界の悲しい記念日は特別であるはずのひとりひとりの死をかくしたまま、何千、何万、何百万と死者の数を数え、おびただしい血で書き込まれた記念日を積み重ねてきたのだ。
 その血塗られた瓦礫となった壁にもまた、カレンダーは掛かっていたことだろう。この世界の誰彼にとって特別に悲しい記念日が1年365日では足るはずもない現実もまた、たしかにある。
 けれどもその一方で、この世界に生きる60億の人々の、だれかの誕生日でない日などないと思う。さよならを数えるカレンダーもあれば、いのちと出会いと愛を数えるカレンダーもまた、たしかにあるのだ。ぼくだけの大切な記念日があるように、ぼくの知らない、世界でたったひとりの誰かの特別な記念日もまた、カレンダーにはかくれている。

 そんなことを思うと、ぼくたちと松井しのぶさんと、多くの関係者がつくりあげたカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」が、どんなひとのどんな部屋に掛けられ、どんな日々をみつめることになるのか、期待と不安とせつなさでいっぱいになる。
 そして、いろいろなひとがちがった思いでちがった日に書き込みを入れてくれることを願う。このカレンダーが2万人に届いたならば、1年365日のうちの1日だけでもいいから2万の特別な記念日になることを願う。
 そして…その1日がもし悲しい記念日になったとしても、このカレンダーがその日をやさしく抱きしめてくれることを願っている。

 映画は残酷なまでに彼女たちの日常に希望を用意しないが、それでもラストシーンの、遊園地の観覧車が高く見えるどこかの海辺で、彼女たちは自分らしく片意地張らないで生きようと小さな決意をする。
 無理をすることはないのだ。自分でしかありえない自分を大切にしてあげようとするその潔さが、この痛々しい映画を勇気の出る映画に変えてくれる。

秋代「神様なんか、いらない」。

里子「恋でもしたいっすねえ」。

2006年11月26日

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