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一日一日をだきしめたくなるカレンダーです。

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恋する経済オリジナルTシャツ
箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
松井しのぶさんプロフィール
松井しのぶさんとの出会い
松井しのぶとシュールレアリスム
松井しのぶと宮沢賢治
松井しのぶと宮沢賢治2
松井しのぶと阪神大震災の焚き火
松井しのぶと光のくじら
壁掛けカレンダーの切実な役割
映画「ストロベリーショートケイクス」
そして希望の一年がやってくる
カレンダーをいっしょに販売しませんか?
50部以上、特別協力会員価格でお届けします。障害者団体に限りません。
1984年、吉田たろうさんとの出会いからカレンダーの制作が実現しました。2003年に急死されるまでの20年間、協力してくださった吉田たろうさんに深く感謝しています。
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豊能障害者労働センター

松井しのぶのホームページ

細谷 常彦

このほしがすき
このほしをいきるひとびとの
かなしみさえもきぼうにかえる
このほしがすき
ともにいきるゆうきをおしえてくれる
このほしがすき
そしてこのほしのそらのしたで
あすをいきるあなたがすき

 2003年10月15日、ぼくたちの活動を応援するために20年間、カレンダー「季節のモムたち」のイラストを描いて下さった吉田たろうさんが亡くなられた。
 モムのカレンダーと呼ばれ、たくさんのひとびとに愛されたこのカレンダーは、障害のあるひともないひとも共に生きる社会を願うぼくたちのメッセージを多くの方々に届けるとともに、その収益は一般企業で働くことができない障害者の働く場の運営費と給料をつくり出す命綱だった。
 カレンダーの販売は、1982年に粉石けんの販売を通してネットワークをつくった障害者労働センター連絡会(DWC)の共同事業として、1984年からつづけてきたものだった。最初数団体が共同で5000部を制作したが、1997年には55000部までになった。
 13年間に10倍まで販売数が伸びたのは、このカレンダーを販売して運営費の助けにしたり、障害者の年末一時金をつくりだそうとする団体が増えつづけたことによる。カレンダーの販売を通じて広がったネットワークはまさしく貧困と飢えのネットワークで、だからこそみんなが必死にカレンダーを売り、掴んだいくばくかのお金をにぎりしめ、年を越したものだった。
 けれども、1997年をピークにカレンダーの販売は年々少なくなっていった。1980年代に障害者作業所として出発した各団体はその後、生活支援と介護保障をすすめる場となっていった。就労を拒まれてしまう障害者の働く場と所得保障の制度がない以上、また就労以前に障害者の切迫した要求が介護保障にあることを思えば、カレンダーを販売するグループが年々少なくなっていったのもやむをえないことだった。

 最近の福祉制度はますます専門用語と数字が飛び交う迷路となり、利用する障害者がとまどっている間に、実現できたはずの制度や政策が次々と福祉予算の削減のもとで後退していく。そして一般市民のひとびとに知られないまま、福祉制度のブラックボックスの中で障害者の命までもおびやかされている。
 ほとんどの障害者が働く場もなく、経済的な基盤をゆだねる家族に何か起これば、たちまち生活していけなくなる不安を抱えながら暮らしている現状は昔も今も変わってはいないのだ。
 この現実を見れば、生活支援の活動をするグループでも、また運営形態が社会福祉法人やNPO法人であっても、自主財源や障害者の所得をつくるためにカレンダーを販売するグループの参加が増えてくれるのではないかと思う。
 そんな矢先に吉田たろうさんが亡くなり、それを機に生活支援の場がほとんどになっていた障害者労働センター連絡会も解散することになった。解散は決めたもものの、それでもいつくかの団体にとってはカレンダー販売の収益が年末の大切な運営資金になっていて、少なくなったとはいえ3万部をこえるカレンダーを制作販売してきたネットワークがある。そこでぼくたちは入会費も会費もなく、カレンダーを販売することで簡単に運営費をつくりだせる障害者市民事業ネットワークを結成したのだった。

 新しいカレンダーを制作販売することにしたものの、ぼくたちの思いを受け止め、イラストを引き受けてくれる人を探さなければならなかった。2005年カレンダーは過去20年におよぶ吉田たろうさんの傑作イラストをみんなで選び、「季節のモムたち・スペシャル」を制作することにしていたから、1年間の余裕はある。けれども数あるイラストからぼくたちの活動にふさわしいものを選び、そのイラストレーターにお願いし、引き受けてもらうまでの時間を考えると、慎重に進めなければならないがゆっくりしてもいられない。
 吉田たろうさんへの哀悼の思いの中で、ぼくは身近なコネクションから、最後は毎日インターネットで新しいカレンダーにふさわしいイラストレーターを探しつづけた。情報の洪水の中で、数あるすばらしいイラストに目移りしながらもどこかがちがい、また最初から検索しなおすという作業をくりかえした。
 そしてとうとうそのひと、松井しのぶさんを発見したのだった。彼女の作品を見た瞬間、「これだ」と思った。今までの迷いが消え、このイラストと出会えた幸運に感謝した。2003年の暮れのことだった。

 だが現実に戻るとまだ何も始まっていないのだ。松井さんのホームページではメールを送れるようになっていたが、断られたらどうしようという不安が先立ち、お願いのメールを出すのをためらっていた。もちろん、その間に知り合いをたどって彼女に直接会ってお願いできないものかと努力してみたが、まったくつながりがなかった。
 2004年5月、ぼくは決意して長いメールを送った。今までのこと、これからのこと、ほんとうに精一杯の気持ちをこめてお願いした。
 信頼される紹介者がいるわけではなく、メールを送ったもののほとんどあきらめていたが、なんと数日で快諾の返事が来た。うれしかった。まったくつながりがなかったのに、ていねいにぼくたちの手紙を読み、カレンダーに寄せるぼくたちの思いを受け止めてくれた松井しのぶさんに、あらためて感謝したい。
 それから何度となく松井しのぶさんはぼくたちのために時間を取ってくれて、ぼくたちはカレンダーの構想を話し合った。その間に松井さんのイラストをみなさんに紹介するため、Tシャツやポストカードもつくった。
 また、長い間吉田たろうさんとともにカレンダー制作にたずさわっていただいた朝倉靖介さんがひきつづき新しいカレンダー制作も担当してくださることになり、わたしたちの信頼する大先輩である牧口一二さんの一口メッセージもつづけて書いてくださることになった。
 カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」は、こうして1年以上にわたる豊穣な時間に抱かれながら、誕生の時を待つことになった。

 2005年9月、完成したカレンダーをゆっくりとながめながら、「やっとここまでこぎつけた」というほっとした気持ちと、松井しのぶさん、朝倉靖介さん、牧口一二さんをはじめ、制作に関わっていただいた多くの方々のご協力を無にしない販売結果を出せるのかという不安が入り混じっていた。吉田たろうさんの遺志をひきついで制作した新しいカレンダーが、多くの方々に愛されることを願って販売をはじめたのだが、ぼくたちの思いはたくさんの方々に受け入れられ、それからもう6作のカレンダーをお届けすることができた。

 今年は原画展を開催し、松井しのぶさんの世界にふれていただく機会をつくりたいと思っている。そして、それを機会に一人でも多くの方にこのカレンダーをお届けしたいと思う。

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