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障害者労働センター連絡会の23年
障害者労働センター連絡会(DWC)の解散に寄せて

武藤芳和

 
DWCが解散することになった。23年経つらしい。らしいとはエエかげんなものだが時系列は当然のこと、記憶があいまいでどうしようもない。記憶があいまいなのには理由がある。2004年2月に脳出血で倒れ、左半身がマヒし新米障害者となった。脳に影響し多くの記憶があいまいになった。
 倒れる前も記憶に自信はなかったがより忘れっぽくなった。友人が「私もよく忘れる」と言ってくれるがケタがちがう。人に説明する度に説明しやすいので「ど忘れ」という言い方をするが本当に「ど忘れ」とはケタがちがう。

 「判断力」もほとんどない と言っても過言でないように思う。明日なにを着るかさえ迷ってしまう。よくあることだと言われるがそういうことじゃあない。倒れるまでにはなかったことだ。まっ、説明してもわかってもらえないとは思うが……。
 最近文章ををつくろうとするといつも病気のことから始まる。ま、自分の中でも衝撃的なできことであることはまちがいない。だからテレビでも「脳卒中」とか「記憶」とかにかかわる番組をついつい見てしまう。
 なんのかんのいいながらまだ自分の状態が飲み込めてないし許容できずにいるんだろう。いや、まちがいなく許容できていない。が、しかし本当にわずかずつで気がつかない程度のスピードだが変わっていっているように思う。変わっていけばいいのに。
 そんなことを思いながらまわりを見渡すと、ずいぶん若いつもりでいたが自分より古い人間はかぞえるほどになっていた。大勢の人と会わなくなった。あの人たちはどうしているんだろう。なにかむしょうに懐かしい人たちに会いたくなっている。これも障害ゆえか。

 設立当初は粉せっけんの拡販を目的にしていた。詳しい話をしようとするとそれだけで与えられたスペースを使い切ってしまいそうなのでとりあえず設立目的はそうだったのかと思ってほしい。
 しばらくしてカレンダーを売ることになった。知る人ぞ知る故吉田たろうさんが描いてくださった「モムのカレンダー」だ。思い出がたくさんありすぎて何を書いたらいいのか迷ってしまう。おばけ箱(当時の名称はエーデザイン)のご好意で格安で作っていただいた。

 20年以上も前のことなのに不思議と覚えている。みんなカレンダーはもらうもので売るものじゃないと制作を反対した。それでも作りたいと主張する人がおり、熱意に負けてと言えば聞こえはいいが反対の理由が確たるものじゃなかったので結局作ることになった。
 いざ作ってみると飛ぶように売れた。5000本作ったカレンダーが一瞬になくなった。最高で55000本作ったこともある。
 以降DWCはカレンダー屋と言われるようになった。障害者が生きていくための金儲けだ、なんと呼ばれてもかまわない。いろんな形の障害者運動がある。行政へのはたらきかけ、企業などに対する就労闘争、欠格条項の撤廃などなど。DWCは金儲けを選んだ。

 時代は移り変わり、DWCに社会福祉法人の団体も加盟するようになった。つまりカレンダー収益が給料の補填としてでなく、工賃の補填という形になった。給料と工賃。まったく違うものだ。悲しいかなこの違いをあたりまえに思っているやからが多い、あたりまえのように通している世間の方が変らなければならないのに、今はというべきか、今もというべきか私の考えの方がマイナーなようだ。
 私たちも古い考え方にしがみつくのをやめて時代の流れに乗らなければならない。前述したことを指して「古い」といったのではない。やり方を変えなければならないと思う。

 DWCに「由目本社(後にゆめ本社と改名)」というけったいな名前の事務局をつくった。自由の自の字から一画目を取りさかさまにしたそうだ。自由にはちょっと欠けるという意味らしい。わけのわからない名前だが、DWCの遺産ともいうべきものだ。その遺産が自らの意思を持って動き始めた。事務局としてでなく由目本社が本体になって。
 ありふれた言い方だが由目本社が動くこと、生きぬく方法を見つけることこそが障害者運動だと思う。由目本社のやることが必ずしも正しいとは思わない。むしろ間違えたことをやる方が多いかもしれない。しかしパンドラの箱じゃないけれどもそこには「希望」がある。まさに「ゆめ」がある。DWCが実現できなかったことを時代の流れに乗りやれるかもしれない。いや、やってほしい。

 無責任かつ露骨な言い方になるが金儲けをしてほしい。そして金持ちになってほしい。少なくとも世間の平均賃金をもらってほしい。そしてそれをひけらかしてほしい。
 ほしいという言い方をしなくてすむ世の中にしてもらいたい。わざとらしく「もらいたい」にしてしまった。なんか文章をつくりながら興奮している自分に気がついた。いかんいかん冷静にならなくては。この文章は機関紙に載せたいということで依頼を受けたがこんな調子で載せてもらえるだろうか。ちょっと不安になってきた。

 文章をつくりながら思ったが依頼を受けたときDWCを解散するにあたって何か書いてほしいとのことだった。はっきりいってそんなことはどうでもいい。過去を振り返ってどうなるものでもない。振り返ってどうにかなるのならなんぼでも振り返るが。
 なんか横道にそれてわけがわからなくなってしまったが、とにかく由目本社には「ガンバって」ほしい。「ガンバル」ということばはなぜか昔からきらいだが、ほかにことばが見当たらない。かげながらエールを送りたい。ガンバレ「由目本社」。

2005年5月

武藤芳和(むとうよしかず)

1957年9月6日生 
大阪府箕面市在住
障害者労働センター連絡会(DWC)
前事務局長
豊能障害者労働センター 元専従
障害者の働くパンハウスワークランド
 元専従
特定非営利活動法人 
箕面市障害者の生活と労働推進協議会
 専従

ブログ・恋する経済
恋する経済オリジナルTシャツ
箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
カレンダー「季節のモムたち」
追悼・吉田たろう 2005年総集編
吉田たろうさん、ありがとう
こんなにも深く子どもを愛し、小さないのちを愛し、平和な世界を願ったひとりのイラストレーターがたしかにいた。
吉田たろうさんについて
障害者労働センター連絡会
(DWC)とは
障害者労働センター連絡会
(DWC)の歴史
障害者労働センター連絡会
(DWC)の解散によせて
松井しのぶさんとの出会い
わたしたちは新しくイラストを描いてくださる方を探しつづけました。そして幸運にも松井しのぶさんと出会い、ご協力いただけることになりました。
松井しのぶさんプロフィール


結局、ゆめ本社も2009年に解散した。障害者労働センター連絡会はその役割を終えたのだろうか。わたしたちはそうは思わない。
障害者の就労や所得保障というとき、ほとんどが働ける障害者の就労問題であるのに対して、わたしたちは一般企業への就労をこばまれるひと、働くことをもとから期待されず、福祉サービスの消費者として見られない「重度」といわれるひとを中心に考える。就労をこばまれるなら自分たちで起業しようというのがわたしたちの活動であった。
健全者の就労問題が顕在化し、国内の雇用市場が起業の海外戦略で縮小する問題をどう解決していくのかが問われている今、自ら雇用を創出していく起業家たちの活動が注目されている。
障害者労働センター連絡会の冒険は30年も前に、しかも重度といわれる障害者が業を起こそうとする先駆的なものだったことを今さらながら実感している。その活動は先駆的であったがゆえに解散に追い込まれたが、その心は全国に散在する障害者とその友人たちに受け継がれていると信じたい。
武藤芳和さんの文章はそのことを伝えていると思う。
そして、豊能障害者労働センターはその活動をけん引する存在であるとぼくは思っている。(細谷)

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