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吉田たろうさん、ありがとう
こんなにも深く子供を愛し、
小さないのちを愛し、
平和を願ったひとりのイラストレーターがいた

追悼 吉田たろうさん

細谷常彦

そのひとの目は細く小さかった
最初に発明された写真機が
人間の目だとしたら
四季の花々、雪景色、山、河、海・・・
この星のちいさないのちたちが
いっしょうけんめい生きる
一瞬一瞬のかがやきをいとおしく
そのレンズは見つめつづけた
彼にとって描くという行為は
この星で共に生きる
かけがえのない小さないのちたちを
抱きしめることだった 

 1988年の秋だったと思う。吉田たろうさんから電話をもらった。
細谷常彦 その年、豊能障害者労働センターはカレンダー「季節のモムたち」を通信販売で売ることを考えた。それまでは応援してくれる数少ないひとたちや団体にカレンダーを預け、そのひとたちに販売をお願いすることがほとんどだった。
 「もっと知らないひとたちにこのカレンダーを届けたい。このカレンダーを通して、ぼくたちの活動を伝えたい」と思い、書籍販売用の学校や個人の名簿、地域で運営していたお店のお客さんなど、豊能障害者労働センターとかかわりのある名簿を寄せ集め、コンピュータで宛名を出し、カレンダー特集号の機関紙「積木」を発送した。
 レイアウトの工夫もなく印刷も汚れていてみすぼらしいものだったが、伝えたいことははっきりしていた。このカレンダーを必死に売ることで年末資金をつくりたい。障害のあるひともないひとも共に生きる社会はちいさないのちのかがやきを大切にする社会なのだと教えてくれる小さな妖精モムのメッセージを、ひとりでも多くの方々に届けたいと思った。
 吉田たろうさんはそれを読んで電話してくれたのだった。ぼくたちの必死さにとても感激してくれた。
 吉田たろうさんの急死の知らせを聞いた驚きとともに、ぼくはその時のことを思い出した。

 「年末の運営資金をつくるために、カレンダーをつくりたいんです。」
 1984年のことだった。障害者の生きる場づくりをすすめる団体が集まり、障害者市民運動を切り開いてこられた大先輩である牧口一二さんのデザイン事務所に相談に行った。
 障害があるということだけで働くこともできず、家族に生活の基盤をゆだね、いつ施設に入れられるかわからない。身をかたくし、心をちぢませている障害者の現実は今以上に切実なものだった。障害者の自立と人権を獲得するために、それぞれの地域で活動をはじめた団体が集まって、「障害者労働センター連絡会」をつくった。 夢も希望も世界の果てまで広がっていくのだが、それと反比例するようにぼくたちはまったくの貧乏で、いくら食べても夢と希望ではお腹がふくれない。つたなくせつなく青臭く、そして今から思えばとても挑戦的に、ぼくたちは牧口さんに訴えた。

 牧口さんの仕事仲間の吉田たろうさんが、それをずっと聞いていた。そして、「ぼくが大切にしてきたキャラクターで、小さな妖精・モムを提供するよ」と申し出てくれた。こうして、小さないのちのひとつひとつが大切にされることを願う吉田たろうさんと、だれもが生き生きとくらしていける社会を願うぼくたちの出会いから、カレンダー「季節のモムたち」は生まれたのだった。

 その時からずっと、一般のビジネスとはちがうところで、毎年毎年、吉田たろうさんは一枚一枚を大切に描いてくださり、ぼくたちも必死で販売してきた。そして全国のたくさんの方々がぼくたちの願いをささえてくださり、このカレンダーを愛しつづけてくださった。最初5000部だったのが1997年には55000部までふくれあがった。毎年全国各紙で紹介され、筑紫哲也さんのニュース23でも取り上げられた。

 20世紀の夕暮れから21世紀の夜明けへと、歴史はより多くの血と涙で染まってしまった。人間の歴史の未来そのものである子供たちの命すら危機に瀕し、そのひとみにはかなしみと恨みが満ち溢れている。ぼくたちはこれからもまだまだ殺伐とした暗い河をわたらなければならないのかも知れない。
 しかしながらその同じ時代を、吉田たろうさんの想像力の森で生まれた小さな妖精・モムたちは、「共に生きる世界」を夢みるひとびとの心の中で育てられ、生きてきたのだと思う。
 それは吉田たろうさんにとってもぼくたちにとっても途方もなくせつない夢なのだ。その夢はいまだに実現してはいないけれど、少なくともその夢を共に見るたくさんのひとたちとこのカレンダーによって出会い、つながってきたことだけは真実だと思う。「こどもたちに、小さないのちがかがやく、やさしいちきゅうを手渡したい」と願った吉田たろうさんがモムたちにたくしたメッセージは、残されたぼくたちの宝物でもある。
 2003年10月15日、吉田たろうさんは逝った。苦しい運営をいつも年末に助けてくれたカレンダー「季節のモムたち」は、突然の終わりを迎えてしまった。
ぼくたちは遺作となった2004年カレンダーをよりひたむきに売りたいと思った。売って売って売りつくしたいと思った。それが吉田たろうさんへのせめてもの恩返しだと思った。

 こんなにも深く子どもを愛し、小さないのちを愛し、平和な世界を願ったひとりのイラストレーターがたしかにいた。そして、彼が描くモムたちを愛してくださり、共に育ててくださった全国のたくさんの方々がたしかにいた。ぼくたちはそのことを決してわすれない。ありがとう、さようなら、吉田たろうさん、そしてモムたち。

ブログ・恋する経済
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箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
カレンダー「季節のモムたち」
追悼・吉田たろう 2005年総集編
吉田たろうさん、ありがとう
こんなにも深く子どもを愛し、小さないのちを愛し、平和な世界を願ったひとりのイラストレーターがたしかにいた。
吉田たろうさんについて
障害者労働センター連絡会
(DWC)とは
障害者労働センター連絡会
(DWC)の歴史
障害者労働センター連絡会
(DWC)の解散によせて
松井しのぶさんとの出会い
わたしたちは新しくイラストを描いてくださる方を探しつづけました。そして幸運にも松井しのぶさんと出会い、ご協力いただけることになりました。
松井しのぶさんプロフィール

その時、ぼくはとつぜん信じた
ひとつぶの涙が
「かくめい」へとつづくことを

ゆめをみた
あなたが手をふっていた
まるで世界そのものとさよならするように
とおざかるあなたが手をふっていた
あなたのなみだはきんいろにこぼれ
ぼくのこころの
いちばんやわらかいところをそめた

それはほんとうにあったこと
あなたが二十歳だったとき
ふたりぶんの孤独が部屋中にあふれ
寒い冬の空が青くぶらさがっていた
ぼくが眠るそばであなたは手をふり
なにをかんがえていたのだろう
それからずっとぼくのゆめのなかで
手をふりつづけるあなたの長い時間は
早かったのか間にあわなかったのか

ゆめをみた
何億人のあなたが手をふっていた
まるで世界そのものが
さよならしているように
とおざかる何億の手が
ぼくのねむりをうめつくす
ながれつづける何億のなみだが
ぼくのこころの
いちばんもろいドアをやぶった

どんな朝がぼくたちをまってるの?
どんな空とどんな風とどんな森と
どんな夢とどんな失敗とどんなパンと
どんな伝言板とどんな証明書と
どんな映画と
どんな約束とどんな裏切りと
どんなうそと……
どんなさよならがぼくたちをまってるの?

さよなら二十世紀
ぼくたちはつぶやく
どんなにかなしいことも
どんなにゆるされないことも
どんなに血がながれたことも
二十世紀のすべてはぼくたちのこと
いとおしい二十世紀
がんばった二十世紀
どれひとつ置き去りにしないで
ぼくたちの旅はつづく

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