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 「豊能障害者労働センター15周年プラス・ワンパーティー」パンフレット

豊能障害者労働センターのプラス・ワン

1986年10月 河野秀忠

ブログ・恋する経済
恋する経済オリジナルTシャツ
箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
story.NO.2
少年とその母親が市役所のガラスのドアをみつめていた。
story.NO.3
Yさんが、労働センタ−のかたむいた戸を開けた
story.NO.4
ボブ・マーレーは、あなたにこそ歌っていた。
story.NO.5
事務所の拡大移転
story.NO.6
山田太一さんも小室等さんも、桑名正博さんも小島良喜さんも。
story.NO.7
売り上げみんな被災地の障害者に持っていこ」
story.NO.8
平和を願う心が自立経済を生み出す活動につながることを、ガンジーが教えてくれた。
拡大移転基金500万円基金よびかけ文 河野秀忠
1990年・念頭所感 河野秀忠
1991年・念頭所感 河野秀忠
1992年・念頭所感 河野秀忠
15周年プラス・ワンパーティー・パンフレットより 河野秀忠
さよなら二十世紀
21世紀の子どもたちへ
カレンダー
「やさしいちきゅうものがたり」
みんなでつくる春のバザー
平和を願うメッセージ
豊能障害者労働センター
30年ストーリー
ゆめ風基金とわたしたち
永六輔・山田太一・筑紫哲也
恋する経済のススメ
エッセイ&制度
1947年の手紙
「積木」編集分室


 わたしたちが、この愛おしい大阪北部の街に、ボロクズにまみれの小さな「心の旗」を打ち立てて、15年とプラス・ワンを迎えることとなった。

 ひとりの少年のひととしての叫びに始まり、瞬時、初代の代表を担ったFさんのいのちを無念に送り、突然の障害者仲間の親、Kさんの死にうちふるえ、共通のばあちゃん、Oさんの大往生に涙がこぼれた。
 そうなのだ、わたしたちのひとりひとりの歴史は、わたしたちの活動をこよなく愛してくれているひとびとと、たなごころを重ねれば、暖かい血潮を知覚できる事柄として、確実にある。
 「わたしたちは、確かにある」ことを支えに、呼吸を続けているといっても過言ではありますまい。

 「働く」という脅迫に怯えつつ、豊能障害者労働センターのドアの前で、ただ立ちすくんでいた少年が、午前九時のくびきから自らを解き放ち、午前九時を従えた青年になり、風が、雲が、水が、時が、ひとが、わたしたちと共に流れて、今がある。
 その今も、世界が未来に向かってあるように、明日に手を差し伸べるようにしかないのだ。
 「他者のために、自分がありたい」と、論理に惑わされてわたしたちのところにくるひとも多いけれど、自分の人生は一回こっきりなのだから、自分のためにこそ、豊能障害者労働センターはあるし、そのことを知っているからこそ、他者のことに、ひとりひとりが心を突き動かされることを確信してほしい。

 わたしたちの豊能障害者労働センターにピリオドがないように、全てのひとびとにピリオドはない。わたしたちは、ピリオドを探しているのでもなければ、安息を求めているのでもない。
 ひととしての葛藤と、そのなかにある息弾むプロセスを楽しみ、生き続けることに、「わたし」という意味を見つけたいだけなのだ。そのためにだけ、わたしたちは「仲間」なのである。

 古いイタリア映画のシーンに、職場仲間のピケを突破して、ストライキ破りを実行する老労働者の表情があった。
 老労働者はいう「年老いた妻のために働かねばならんのだ。職場に行かねばならんのだ」と。
 ピケの仲間がいう「そうか、そうなのか。じゃあ行け。誰にもお前を止める権利なんてありゃあしないんだからな。でもな、これだけは知っていてくれよ。『ひとはパンのみに生きるにあらず』ってことをな。俺達は、しぼり取られることをやめようと思っているだけなんだってことを」と・・・。
 独り工場に入って行く老労働者、見送るピケ労働者達。瞳に映る哀切、行く涙と見送る涙。

 豊能障害者労働センターのプラス・ワンがここにある。
 パンのために、ゆめのために、格闘し続けるわたしたちを、
 誰がとめられようか・・・
 豊能障害者労働センターと人間のために、
 アワー・ウィンダム!

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