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豊能障害者労働センター30周年
豊能障害者労働センターストーリー NO.4

細谷常彦

ブログ・恋する経済
恋する経済オリジナルTシャツ
箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
story.NO.2
少年とその母親が市役所のガラスのドアをみつめていた。
story.NO.3
Yさんが、労働センタ−のかたむいた戸を開けた
story.NO.4
ボブ・マーレーは、あなたにこそ歌っていた。
story.NO.5
事務所の拡大移転
story.NO.6
山田太一さんも小室等さんも、桑名正博さんも小島良喜さんも。
story.NO.7
売り上げみんな被災地の障害者に持っていこ」
story.NO.8
平和を願う心が自立経済を生み出す活動につながることを、ガンジーが教えてくれた。
拡大移転基金500万円基金よびかけ文 河野秀忠
1990年・念頭所感 河野秀忠
1991年・念頭所感 河野秀忠
1992年・念頭所感 河野秀忠
15周年プラス・ワンパーティー・パンフレットより 河野秀忠
さよなら二十世紀
21世紀の子どもたちへ
カレンダー
「やさしいちきゅうものがたり」
みんなでつくる春のバザー
平和を願うメッセージ
豊能障害者労働センター
30年ストーリー
ゆめ風基金とわたしたち
永六輔・山田太一・筑紫哲也
恋する経済のススメ
エッセイ&制度
1947年の手紙
「積木」編集分室


エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
エレーン その答えを誰もが知っているから誰も問えない
                              中島みゆき「エレーン」

 「お茶がこぼれました。誰かなんとかしてください。」
 身をかたくして、ただじっと座っていたその女性は、うろたえながら叫んだ。その言葉のひびきは、まるで遠い国から亡命して来たかのように、ぼくたちの頭の上によどんだのだった。

 Yさん、あなたが労働センターを去ってから、もうずいぶん時がたってしまいました。この手紙をあなたが読んでくれるかどうかはわかりません。
 ですから、この手紙はあて先不明で帰ってくる、僕自身への手紙なのかもしれません。

 あなたが労働センターにいた2年半という時間を今ふりかえってみても、あなたの出した宿題はあまりにも大きすぎるように思います。
 その答えを出す時をまちがった僕ですが、中島みゆきの歌を口ずさみながら、一緒に行った須磨海岸のコンサートのことを思いだしたりします。
 あれはたぶん、あなたが労働センターに現われてからまもない日曜日だったと思います。ぼくの妻があなたを誘って、3人で行きました。
 僕と妻は、労働センターと関わったのと同じ頃、Tさんというステキな歌うたいと出会いました。不思議にもぼくらは1972年頃に彼がまだ高校生だった頃、豊中市民会館のステージで彼の歌を聴いていたのでした。

 その彼がバンドを作ってまた歌い始めた頃、僕が箕面ではじめて開いたロックコンサートに参加してくれたのをきっかけに、僕は彼のバンド「トキドキクラブ」のファンになり、彼らの出るコンサートに必ず出かけていたのです。
 あなたはおよそロックやレゲーを聴きに行くには似つかわぬいでたちで現われました。時代遅れのブラウスにブリーツのスカート、口紅だけは真っ赤でハイヒール。海岸の砂に足をとられ、足がいたいと何度も立ち止まりながら、やっと野外ステージにたどりついたのでした。

 トキドキクラブのライブが始まると、あなたは踊り始めました。それはなんとも言いがたい風景でした。今風のカッコいいファッションの群れの中で、あなたのまわりだけが古い日光写真の中にあるような、不思議な光景でした。見ていた多くの若者はしたり顔で笑っていました。
 うしろの方にいた僕は、サングラスの中でその遠い風景を見つめていました。
 そのうち妻が一緒に踊り始めました。若者の苦笑いはもっと大きくなりました。
 しばらくして気が付くと、僕はやみくもに前に走り出て踊り始めた、というより、めちゃくちゃなラジオ体操をしていました。サングラスはどっかへふっとび、財布や免許証がちらばりました。

 ぼくの姿を見た若者たちは、あざわらうように僕に視線をむけました。僕は本当に、今まで貯金してきた恥という恥を団体で使い果たしてやろうと、彼らのひとりの手をつかみ、引きずり出そうとしました。
 実際その時の僕は、その若者になぐりかからん勢いだったのでしょう。僕が近づくと、みんな逃げて行くのでした。あっ、また悪い癖が出てしまった。なんで俺はいつもこうなんだろう、と思いました。
 回りを見ると、もうひとり男が踊っていました。労働センターの良き理解者となった神戸のスナック「メルヘン」のマスター、増本さんでした。あなたと妻、増本さんは本当にトキドキクラブの音楽に酔いながら、しなやかに体を動かしていました。
 踊り始めてから見る風景は、サングラスによどんでいた風景とはまるでちがいました。5月の風に身をゆだね、太陽をちりばめた光の粒のような波の階段の踊り場で、スカートをひるがえし、それが遠い国の言葉であるかのように、トキドキクラブの音に耳をかたむけているあなたがいました。 

 トキドキの演奏が終わり、ボブ・マーレーの「ノウ・ウーマン・ノウ・クライ」がかかった時、若者たちが一斉に踊り始めました。
 いま、はっきりと僕は言える。あの時のボブ・マーレーは、カッコヨク踊る彼らにではなく、あなたにこそ語りかけていたことを。
 いま、はっきりと僕は言える。あなたの踊りが、自分をとりもどしていく時速100キロの青春の救急車だったことを。
 あなたの過ごしてきた授産施設で、あなたの青春は少女のまま、ひん死の重傷だったことを。
 それから半年後、僕たちは事務所の土間を改造し、たこやきの店「れんげや」を開店しました。あなたは僕のカミさんとたこ焼きを焼くことになりました。
 あなたが焼くふぞろいのたこやきのファンも現われました。

 きっと僕たちは、どこかでさよならの仕方を間違えたのだと思います。自分を取り戻していくあなたの変わりように、僕らはついて行けなかった。
 短い間にいくつもの恋を通り過ぎたあなたは、そのたびに別の「もうひとつの場所」を見つけてきました。その時のあなたにとって、労働センターが自由への旅のはじまりの、小さな駅の待合室でしかなかったことも仕方のないことでした。
 十三の映画館で、Tさんたちと一緒に芝居をした時、たこ焼きやの女を演じたあなたは、生き生きと輝いていました。あなたはあの時、本当のたこ焼きやさんを捨てることを決めたのではないかと思います。

 それから半年後、あなたは労働センターを去って行きました。
 寒い冬、なれない手付きでたこ焼きを焼いたあなたもまた、豊能障害者労働センターの30年をささえているのです。
 Yさん、元気ですか、いまどうしていますか。

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