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豊能障害者労働センター30周年
豊能障害者労働センターストーリー NO.8

細谷常彦

ブログ・恋する経済
恋する経済オリジナルTシャツ
箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
story.NO.2
少年とその母親が市役所のガラスのドアをみつめていた。
story.NO.3
Yさんが、労働センタ−のかたむいた戸を開けた
story.NO.4
ボブ・マーレーは、あなたにこそ歌っていた。
story.NO.5
事務所の拡大移転
story.NO.6
山田太一さんも小室等さんも、桑名正博さんも小島良喜さんも。
story.NO.7
売り上げみんな被災地の障害者に持っていこ」
story.NO.8
平和を願う心が自立経済を生み出す活動につながることを、ガンジーが教えてくれた。
拡大移転基金500万円基金よびかけ文 河野秀忠
1990年・念頭所感 河野秀忠
1991年・念頭所感 河野秀忠
1992年・念頭所感 河野秀忠
15周年プラス・ワンパーティー・パンフレットより 河野秀忠
さよなら二十世紀
21世紀の子どもたちへ
カレンダー
「やさしいちきゅうものがたり」
みんなでつくる春のバザー
平和を願うメッセージ
豊能障害者労働センター
30年ストーリー
ゆめ風基金とわたしたち
永六輔・山田太一・筑紫哲也
恋する経済のススメ
エッセイ&制度
1947年の手紙
「積木」編集分室


空気の重さと力にあらがい、鳥が空を飛ぶように、
凍てつく大地の扉をこじあけ、芽が突き出るように、
孤独をおそれない心こそが、共に生きる勇気を育てるのだと思う。
だから、どんなに小さくてもいい、どんなにほこりまみれでもいい、
この星でともに生きる世界中のおとなたちとこどもたちが、
自分らしく、静かな勇気といとおしい友情をわかちあう…、
そんなゆたかな世界でありますように…。

 1995年の阪神淡路大震災とオーム真理教の事件は、ちょうどバブルの崩壊と重なり、「今日よりは明日、今年よりは来年」という淡い期待によって成り立っていた未来予想を壊してしまった。
 50年に渡る民主主義国家のもとでの安全神話がこわれたことで安全ファシズムといえる動きが強まった一方で、今まで国や行政におまかせでやってきた街づくりを市民が担う新しい民主主義も生れた。
 わたしたちの活動においてもそれは例外ではなかった。わたしたちの活動は他の障害者団体に理解されることが少なく、わたしたちも孤立することを承知していたが、1995年の地震における救援活動を通して、運営の違いや地域をこえて助け合うことの大切さを学んだ。そして障害者団体に限らず、他の市民団体や個人の方にもわたしたちの思いをより伝えたいと思うようになった。

 2000年に入り、新自由主義、市場原理主義を取り入れた小泉政権は、規制緩和、公共部門の民営化、福祉の削減など、大きな政府から小さな政府への転換をすすめた。
 企業は国内では非正規雇用をふやし、さらに雇用そのものを海外に移すことでグローバル化の波に乗ろうとしたが、その結果国民の間に少数の「勝ち組」と、多数の「負け組」をつくったこともまた事実としてある。
 わたしたちは小さな政府に反対ではない。福祉国家が大きな政府だと言われるが、簡単に福祉の充実が大きな政府で、福祉の削減が小さな政府だと言えないと思っている
 どちらにしても福祉予算は「かわいそうなひと」「社会の一員としての役割を担えないひと」への保護として考えられていて、そもそも障害者を「かわいそうなひと」「社会の一員としての役割を担えないひと」ととらえる社会こそが変わらなければならないとわたしたちは主張してきた。

 保護することではなく、社会の一員として参加することを保障し、さまざまな個性や文化を持ったひとびとが共にになう経済システム、障害者を結局は閉じ込めてしまうために費やされる福祉政策から、真に障害者が参加し、共に働き、共に生きるための政策をわたしたちは提案してきた。その冒険のひとつが豊能障害者労働センターだと思っている。
 そして、いまにいたるわたしたちの壮大な冒険から、次の10年は国レベルでも地方レベルでも、障害者が対象となり消費者になるのではなく、障害者が運営を担い、障害者がサービスを提供する社会的企業として広く理解されていくことをめざしている。

 経済のグローバル化は、世界の貧困をより深刻なものにしたと言われている。その矛盾が、2001年9月11日の痛ましい事件を生んだ一つの要因だとされる。
 同時多発テロとアフガニスタンへの軍事行動で多くの人々が亡くなった。そして2003年、アメリカはイラク戦争へとつきすすんだ。何かしなければと思ってもわたしたちはここを離れることはできないのだ。
 わたしたちは北大阪の小さな荒野を耕し、障害のあるひともないひとも、誰もが幸せになるための経済をつくりださなければならなかった。
 わたしたちは平和を願う心が自立経済を生み出す活動につながることを、ガンジーから学んでいた。そこでわたしたちは、毎年開いてきたバザーを通じて平和を願う心、差別をなくす意志、非暴力の理念を伝えようと思った。
 アフガニスタンで活動する中村哲さんとペシャワール会を知ったのもこの時だった。

 豊能障害者労働センターの物語をここまで書いてきたが、ここからは別のひとが綴っていってもらいたい。
 わたし、細谷は2003年に豊能障害者労働センターを退職し、翌年から3年間はカレンダーの製作を担う障害者労働センター連絡会の事務局だったゆめ本社に在籍していた。
 関連団体なので行き来はしていたものの、そんなものでは雑然としていながらも奥深い労働センターの真実を垣間見ることなどできるはずもない。
 ただ、3年前からまたアルバイトスタッフとして、豊能障害者労働センターにかかわらせていただく幸運を得て、今は週に2回ほど豊能障害者労働センターに行っている。
 ひさしぶりに労働センターに足を踏み入れると、なつかしさよりも圧倒的におどろきの方が大きかった。当の彼らにとってはふつうのことが稀有のことであることに、びっくりさせられる。
 障害者スタッフの立ち振る舞いをみていると、つくづくこのひとたちがコミュニケーションの狩人、名コピーライター、人生の達人だと感心する。

 わたしがいた時よりもはるかに多い障害者スタッフが、わたしがいた時に夢見たことなどすでにあたりまえのように実行している。
 それは、なにかができるようになったとかいうようなことではない。ここでは、ひとりひとりが自分の個性をそのままあらわにしながら、「自分のことはかえりみず」、他者への心配りを決して忘れない。
 誤解を恐れずにいうなら、豊能障害者労働センターの障害者スタッフが一般企業に就職することはまず無理だと思う。それは、ひとつはたしかに企業のハードルを越えられない重度と言われる障害者だからといえる。
 だがもうひとつは、実は彼らは自分をふくめ、この集団とその構成員をマネージすることを日々他の障害者と学び合い、成長しているためなのだ。
 学校が本来教育するところではなく、学び合うところであるように。
 それはけっして福祉的就労の場である授産施設(B型就労継続支援事業所)でも、またおそらくは一般企業でも学べないことなのだ。
 日常の中で、たとえばだれかが発作でたおれたら、われもわれもと現場にかけつける。そのうち、そんなにひとがいてもしかたがないことがわかってくると、離れた場所で心配しながら状況をみつめている。
 まわりのひとがそんな彼らのことをよくわからず、いろいろな「説教」をしても、彼らはさらりと受け流し、その「おせっかい」な親切にはそれなりの礼をつくす、という案配で、それはみごとな立ち振る舞いをさらりとしてしまう。
 健全者の新人をもりたてるのにも余念がなく、スキンシップもふくめてその新人が豊能障害者労働センターの「社風」(?)に早く溶け込むようにさまざまな気配りをする。
 かぞえあげたらきりがない。こんな職場だったから、わたしも働けたのだと感謝してしまう。

 そして、かれらの活躍が縦横無尽に発揮されるのはなんといってもバザーの時だろう。よくもまあ、そんなに気がつくなとおもうほど素早く仕事をし、素早く仕事をのがれる。
 はじめてのひとが見たら、「訓練が行き届いている軍隊」とまちがい、そこから「このひとたちは一般企業で働けるのを、豊能障害者労働センターの健全者が無理やりひきとめている」と誤解の風評が立つのも不思議ではない。
 だがけっして忘れてはならないのは、彼らはいまある一般企業に就職できるわけではおそらくないのだ。反対にこんなに生き生きと仕事ができるはずの彼らを雇用できない職場のあり方、社会のあり方の方こそ問われるべきなのだ。
 彼らが生き生きと仕事をしているのは、さまざまなとんちんかんに心ゆすぶられながらも友情から生れる、ドラッカーなみの経営学をもってバザーを、そして豊能障害者労働センターをマネージしているからなのだ。
 はたしてこんなに豊かな職場関係をもっている企業が社会的企業をふくめてあるだろうか。いま社会的企業が注目される場面があるが、そこでも障害者は「お客さん」でしかないことがほとんどだと思う。
 「障害者が担う」とか「障害者が運営する」というと、ほとんどのひとが「それは建前だ」と答える。
 そのひとたちに見てもらいたい。豊能障害者労働センターの障害者たちの「大活躍」を。(ただし、彼らは奥ゆかしいので、ぱっと見でだまされないようにしていただきたい。)

 豊能障害者労働センターの半開きのドアをあけて中に入ると、ここはまさしく人生の宝探しの場だ。
 この宝の山を、わたしが独り占めするのは贅沢すぎる。もしこの文章を読んでくれたあなたとも分け合いたいと思うのだが、もう語る言葉が見つからない。

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