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「海の上のピアニスト」と小島良喜
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箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
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1947年の手紙 2002年6月22日 細谷常彦 


 「ぼくはこの船で生まれた。この船には、世界がやって来ては去って行った。でも、1回に2000人ずつだ。
ぼくにだって、夢はあったさ。でも、そいつは舳先と艫のあいだに収まる夢だった。無限ではない88の鍵盤の上で自分の音楽を弾く、それがぼくの幸せだった。そうやって、自己流に自分の音楽を生み出してきた。陸地というのは、ぼくには大きすぎる船。長すぎる旅。美しすぎる女。強すぎる香水。ぼくには弾くことのできない音楽。ぼくは船を降りない。(映画「海の上のピアニスト」」)

 映画「海の上のピアニスト」を見た時、小島良喜のピアノを思い出した。「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ監督のこの映画は、船の中で生まれ、一度も船を降りなかったピアニストの物語だ。
 世紀の変わり目の年にあたる1900年。ヨーロッパとアメリカを結ぶ客船ヴァージニアン号のラウンジにあるピアノの上で、黒人機関士が生まれたばかりの赤ん坊を見つける。機関士は赤ん坊にナインティーンハンドレットという名前を付け、我が子同然にかわいがる。
 船底で成長した彼は、やがてその船のバンドのピアニストになる。大西洋を行き来するこの船には、担保のない希望をかばんに詰め込み、新天地アメリカへと押し寄せる貧しい人々と、船旅を楽しむ裕福な人々が乗っていた。
  トランペットを吹く友人の語りでつづられていくこの映画は、わざとらしいおとぎ話という批判もある。だが、それでもぼくはピアノのこと、ピアニストのこと、音楽のこと、人生のことを考えさせられて、不覚にも涙を出してしまった。

 子どもの頃、同級生の女の子の家に何人かで遊びに言った時、はじめてピアノを見た。音楽とまったく縁のなかったぼくにはとても奇妙な物体だった。
 黒光りするそれは子ども心にとてもセクシーで近寄りがたく、どこか残酷なにおいさえも感じた。
 その感覚がまとはずれでなかったことを、大人になってから映画が教えてくれた。古くは「ピアニストを撃て」、「ピアノ・レッスン」、「伴奏者」、最近の「ピアニスト」や「暗い日曜日」など、ピアノやピアニストにまつわるはかなくもせつない愛の映画は、ピアノの持つ妖しい魅力から生まれたのだと思う。
 ピアニストがピアノを弾くというより、ピアノがピアニストを受け入れ、誘いこみ、聴いている者までどこかに連れて行ってしまう。
 「海の上のピアニスト」は、ピアノにとりつかれたピアニストの幸せな映画でもある。

 そんなピアニストが現実にいる。小島良喜。はじめて出会ったのは1990年の春、「桑名正博コンサート」の時だった。
 ぼくたちが舞台で打ち合わせをしている間、ずっとピアノを弾いていた。まるでピアノと話をしているようだった。
 桜の花が散るときに大地をピンクのじゅうたんに染めるように、小島良喜の指と鍵盤から生まれた無数の音が、お客さんがまだいない市民会館の客席に散りばめられた。その時、子どもの時にはじめて見たあのピアノを思い出した。
 小島良喜のピアノを聴くと風景が見える。

 1946年、船が爆破されることを知ったトランペット吹きの友人が船の中に入る。ピアニストは船の中にいた。友人が「船を降りて音楽をやろう」と言う。ピアニストは答える。「陸地はぼくには大きすぎる。ピアノの鍵盤は88しかない。無限の鍵盤をぼくは弾けない」。
 映画はピアニストを乗せたまま船を爆破してしまう。

 ピアノは重くて大きくてデリケートな楽器で、持ち運びが大変だ。ロック音楽の歴史をさかのぼると、アメリカの奴隷解放以後の貧しい黒人が職を求めてアメリカ大陸を移動するたびに新しい音楽が生まれている。
 そのルーツといわれるブルースは、最初バンジョーやギターなど、持ち運びが簡単な楽器からはじまる。やがて飯場や酒場にピアノが置かれるようになり、ピアニストたちが移動するようになった。
 ピアニストたちはピアノを選べず、ピアノもまたピアニストを選べなかった。ピアニストたちとピアノはその場限りの対話と行きずりの恋を必死にすることで、音楽を作ってきたのだと思う。
 小島良喜のピアノを聴くと、そのことをほんとうに実感できる。そのことを確かめたくて彼に聞いてみた。「いろいろなピアノがあってね。また季節によってもちがう。まずはそのピアノと仲良くなるために弾き続ける。」と、彼は答えてくれた。

 船の上で世界や時代や人間を見続けたことを、ひとつのピアノで表現することに恵まれた「海の上のピアニスト」は、その天才ゆえに別のピアノ、別の人生を選ぶことができなかった。
 たった一度恋した女性を追いかけて陸に下りる決心をしてみたが、摩天楼を見上げ、「こんなピアノをぼくは弾けない」と船にもどってしまうのだった。
 もし彼がその時アメリカ大陸の土を踏んでいたら、丘から見える海の叫びを音楽にしたことだろう。そして1900年からの50年間のブルース誕生からロックへとつながっていく音楽の荒野を旅するピアニストになったことだろう。

 小島良喜は「海の上のピアニスト」のラストシーンから始まる、「陸の上のピアニスト」という壮大な音楽の物語に登場するピアニストたちの中でも、とっておきのピアニストだとぼくは思う。

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