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箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
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阪神淡路大震災を機に国内外の数多くの自然災害の被災障害者への救援・支援をつづけてきた。

 市民事業は、教育・福祉・医療などの限られた分野で、市民団体が進める事業をいう場合が多いですが、わたしたちの場合は障害者の雇用創出を目的としています。
 ですから、得て不得手はあってもどの事業分野でもよく、一般の商店や企業と実際の活動は変わりがありません。
 言いかえれば秒単位でお金が世界中をかけめぐる経済ではなく、ひとりひとりの「しあわせ」や「夢」や「希望」が大切にされる経済や、地域のコミュニティをつくりだしていくための市民事業の主体は企業や商店でもかまわないのです。
 市民事業は収益を上げてはいけないのではなく、上げた収益を地域や社会に再投資する事業活動です。


 市民事業は結果として、収益はそんなに上がらないのです。わたしたちの例でいえば、収益が上がりそうになると新しい事業や拠点をつくって新しい障害者の仲間を迎えいれることになり、その費用に収益は使われます。
 利潤を求めたら採算に合わない事業でも続ける場合があります。それをあてにした行政の経費節減のために、公的サービスを市民事業に委託する割合が全国的に増えていくことになると思います。
 その評価はプラマイナス両面あり、担い手の使命や熱意だけでは経営が不安定な一方で、市民社会の課題を市民自身で解決しようとする市民事業は、貧しくてももう一つの豊かさを自らも追い求め、それを社会にも提案しようとします。

恋する経済  2002年10月 細谷常彦 


夢の足跡

今年もあと2カ月になりました。積木読者の方々には、わたしたちの活動をいつも応援してくださっていることを、深く感謝します。
 春からお伝えしていますように、今年は豊能障害者労働センターの20周年の年です。(正確には4月が20周年でした。)
 わたしたちの夢の足跡を時の流れに透かしてみるにはあまりにもけたたましく、また多感な日々の連続でした。
 20年前、ひとりの少年の切ないひとみからあふれだした「あたりまえに働き、あたりまえに暮らしたい」と願うその夢は、この社会の重い眠りを醒ますには多くの夜を必要としましたし、今もまだ夢の途中であることは確かです。
 それでも20年という時がプレゼントしてくれたものは当時のわたしたちには想像できませんでした。当初2人の障害者をふくむ5人だったスタッフは今、障害者28人をふくむ53人になりましたし、今では7つのお店の運営と通信販売事業で、市内市外を問わずネットワークをひろげるところまで来ました。

措置から利用へ、利用から参加へ

 障害者を指導訓練する福祉施設ではなく、対等に働いて得たお金をわけあって、自立して暮らしていこうと考えたわたしたちの活動を支援する福祉制度はありませんでした。
 ですから活動をはじめた1982年からしばらくは、毎週日曜日に大阪梅田の地下街でカンパ活動をしていました。「障害があるひともないひとも腹が減る」と書いたチラシをまき、行き交う人々がお金を投げるバケツの中を見つめていたものでした。
 実際、日々の事業よりはカンパのお金の方が圧倒的に多く、それで食いつないでいました。「障害者の働く場」というよりは、24時間介護を必要とする障害者の介護を保障するために年中無休で活動していた時代でした。
 1984年、わたしたちはお店をはじめました。その頃、知的障害といわれるひとたちが仲間に加わり、仕事をつくりだすことも理由にありましたが、事業を広げていくことでカンパ生活から脱出しようと思いました。
 しかしながら、商売のことをなにも知らないわたしたちがお店の収益を上げていくことはむずかしいことでした。
 「こんなことなら、お店なんかしなければよかった」、「お店をすることで介護の保障ができにくくなるなら、お店なんかやめたらよい」と、けんかが絶えない毎日でした。
 それでも、一般のお店なら早くに閉めたにちがいない経営状態のままお店を維持し、さらにお店を少しずつふやしてきました。
 在宅か施設しかなかった時代、お店で市民のひとたちと出会うことは、障害者スタッフにとって社会とつながっている実感となっていきました。

 1990年、財団法人・箕面市障害者事業団が誕生し、障害者の労働の場を広げ、自立をすすめる福祉制度をつくった箕面市は1994年、障害者事業所としてわたしたちの活動を認め、独自の支援制度をつくりました。
 わたしたちはこの制度のもとで、より活動を大きく広げることになりました。
 いまふりかえると、他の福祉制度が当事者を対象としたサービスであるのに対して、障害者の雇用を広げ、障害者の経営参加を義務づけているこの制度は、当事者参加をすすめる政策として先見的ですぐれたものでした。
 役所が当事者のサービスを決める「措置」から、当事者がサービスを選び、契約する「利用」へと変わる支援費制度が来年から始まろうとしている今、8年も前に「措置から参加へ」と道を開いたこの制度は今後より輝きを増すことになるでしょう。

市民事業は恋する経済の冒険

 ここ数年、わたしたちの活動をいままでとはちがう見方で考えるようになりました。障害者の就労といえば一般の会社に就労するのがベストと言われますが、その一般の会社がリストラをしなければならない状態ですし、雇用形態も大きく変わり、多様化しています。
 一般の会社への就労が大切なことはわかりますが、わたしたちの活動が一般の会社に就職できないひとたちの次善の受け皿とは今は思いません。
 障害者が運営に参加し、経営をになうわたしたちの活動は単に一般の会社のような雇用の場とは言い難いですし、むしろ最近日本でも注目されるようになった市民事業と考える方がわかりやすいのではないかと思っています。

 市民事業とは、地域の課題を地域の市民で解決していく事業で、かつてサッチャー政権の時、福祉サービスを大幅にカットしたイギリスなどから生まれました。
 いまもっとも多い市民事業はNPO団体が行政の委託や介護保険制度のもとで福祉サービスを提供するケースです。
 もっとも、わたしたちの場合は当事者である障害者市民参加型の活動で、障害者の就労の場をつくりだす本来の目的と、障害をもつひとももたないひとも共に生きるコミュニティをつくる目的をあわせもつ市民事業と考えています。
 わたしたちは福祉サービスを利用するといわれる当事者の自主運営型や参加型の市民事業が次々と生まれることを願っています。
 障害者市民の人権や住民自治の視点からも、また日本全体の経済動向からみても、その方向へと変わらざるを得ないと思います。

 箕面市は今、行政の仕事の民間委託をすすめることで経費を削減しようとしていますが、経費を削減するだけではなく地域でお金をつくりだし、雇用を創出しながら地域コミュニティを再生するプログラムをつくり、企業や商店もふくむ市民事業を育てる政策投資をするべきだと思います。

 わたしたちの20年は少ないパンと大きな夢をいっしょにたべることで、貧乏ながらも豊かな20年だったと思います。
 夢や生きがいを加えた経済活動をささえる市民事業の担い手として、来年、豊能障害者労働センターは新しい荒野へと出発します。

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