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子どもたちの民主主義
映画「蝶の舌」とだっこちゃん

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この文章の内容にかかわる責任は私、細谷常彦にあり、「だっこちゃん」および株式会社「タカラ」(現株式会社タカラトミー」とは一切関係がありません。

ぼくがTシャツをはじめて着た時 2001年11月 細谷常彦 


キャデラックが通り過ぎた路地に
とり残された夕暮れの空よ
まるでもう日が暮れないかのように
遠近法的な青春の海岸線を
ヒットナンバーを鳴らして突っ走る
キャデラック
それはぼくの見たはじめての英語だった
それは時々やってきたぼくの父親だった

ドッジボールとせみとりと
高校野球と中古のラジオ
希望に満ちた記念写真と
はじめて持ったハーモニカ
それはぼくの見たはじめての民主主義だった

 「蝶の舌」というスペイン映画を見た。1936年の冬の終わり、ガリシア地方の小さな村。喘息持ちで一年おくれで学校に行った少年モンチョを、優しく教室に入れるグレゴリオ先生。春になると子供たちを森に連れだし、自然の不思議をたくさん教えてくれた。
 ティロノリンコという鳥が繁殖期になるとメスに蘭の花を贈ること、蝶には細くてゼンマイのように巻かれた舌があるということ。モンチョは先生に導かれて大自然の驚異にふれながら成長していく。
 夏のはじめ、グレゴリオ先生は「自由に飛び立ちなさい」という言葉を残して引退する。夏休み、モンチョは先生と森へ出かけ、ニ人の絆はより強くなる。
 そんな夏休みの終わり、フランコ将軍が軍部、教会、資本家を後ろ盾に軍事蜂起し、40年間のフランコ独裁へとつづくスペイン内戦がはじまる。
 教会の勢力の強いガリシア地方はまたたく間に軍部派に占拠され、リベラルな人たちが次々と検挙され、トラックの荷台に連行される。その中にグレゴリオ先生の姿もあった。
 村人たちは自分たちが生き残るため、仲間や友人たちに罵りの言葉を投げかけ、石を投げるのだった。
 モンチョは走り出すトラックを追いかけ、叫ぶ。「ティロノリンコ!蝶の舌!!」。
 別れることの術もまだ知らない少年の悲しい瞳が映し出されたまま、映画は終る。

時代の風景

 この映画を観て、子どもだった頃、ぼくのひとみに映ったはずの大人たちの社会を検証してみたくなった。
 ぼくもまた時代のすべてを風景として子どもの現実を生きたはずだし、子供たちのひとみがモンチョのような悲しみにつつまれないために、大人のぼくがしなければいけないことがあるのではないかと思った。
たとえば、1960年……。

 1960年は安保闘争の年だった。岩波ジュニア新書「昭和時代年表」によると、2月に新安保条約国会上程、4月26日8万人の請願デモ、5月19日自民党単独強行採決、5月20日10万人、26日17万人のデモ隊が国会議事堂を包囲した。
 6月4日・15日労働組合の実力行使に600万人の労働者が参加、全国の鉄道はマヒした。6月15日国会突入、樺美智子さんの死、6月18日33万人が国会を包囲した。
 そして、6月19日午前零時、数万人が国会を包囲する中で新安保条約は自然承認、沖縄に立ち寄ったアイゼンハワー大統領が25000人に囲まれる。
 7月15日岸信介首相辞任、池田勇人首相の所得倍増計画、10月12日社会党委員長・浅沼稲次郎が刺殺される。

 すべての大人たちが参加したわけではもちろんないし、ぼく自身それから10年後、70年安保の激動の時も傍観者にしかなれなかったが、ぼくが大人になっていく20年あまりの年月は、ぼくにとっても社会にとっても特別な時代だったのだと思う。

思い出としての民主主義

 1947年、ぼくは生まれた。ぼくが育った風景は、鉄条網とガード下と原っぱと牛馬とメリケン粉と麦飯…。おもちゃもないぼくたち子どもは黒い土の上を走りまわり、相撲ごっこやドッジボールで遊んだ。
 夕方、長屋の前に並ぶ七輪からいわしの煙が立ち込める時間になると急いで家に帰り、我が家がやっと手に入れた中古のラジオで聴いたドラマ「少年探偵団」の小林少年たちの活躍に、心おどらせたものだった。

 1960年4月、ぼくはまたたくまに燃えていく中学校の木造校舎を見ていた。
 それは入学式から1週間たった日曜日だった。地面を黒くしたまま何もなくなってしまった焼け跡に朝礼台だけがさびた光を遊ばしていた。
 不謹慎だが、実はぼくはうきうきしていた。それは思いがけない事件の中にいる興奮のせいだけではない。大人たちが用意したものはすべてなくなり、いまからぼくたち子どもが学校をつくるような幻想にひたれたからだ。
 2年の時に学校が合併し、コンクリート建てのまっさらな校舎に入ったが、1年の時の放課後にプレハブ校舎をつつむ夕やけの赤さだけを今もはっきりと思い出す。

 ぼくたちは貧乏だった。そして自由だった。界隈にお金持ちはほとんどいなかった。生活の苦しさや個々の家族の事情が大人たちにあっただろうが、そんな事情をぼくたちこどもが読み取れるはずもなく、貧乏であることが普通だった。
 1945年から1960年まで、めまぐるしく走りぬける時代の風景はいつも青い空につつまれ、ぼくたちもまた貧乏とともにやってきた戦後民主主義の原っぱをかけめぐったのだ。
 今の街や学校はどうだろう。映画「蝶の舌」を見て、焼け跡にできた1年だけのプレハブ校舎を思い出す時、言葉をのみこんでしまう。

21世紀の子どもたちへ

 今回、株式会社タカラと契約し、新生「だっこちゃん」キャラクターを使用したトレーナーを製作した。
 たまたま、豊能障害者労働センターの代表である河野さんがタカラで話をする機会があり、その縁で東京のタカラ本社を訪ね、協力をいただけることになった。
 「だっこちゃん」(ウィンキー)といえば1960年に半年で240万個売れた大ヒット商品となり、日本中の誰もが夢中になって腕につけたり、体につけて歩くファッションとして一大ブームの社会現象を巻き起こしたことを思い出す。時をへて、「だっこちゃん」は黒人差別を象徴すると一部団体からの批判対象となり、社会から消えていった。

 2001年、タカラは21世紀の「だっこちゃん」を世に出した。人権に配慮し、心のしずくをイメージした新しい「だっこちゃん」は形も色も変わり、心と心をつなぐ暖かさ、癒しを表現している。
 「つながっていきたい」「気持ちを伝えたい」という心の中の夢やあこがれから生まれた新生「だっこちゃん」は、障害のあるひともないひとも手をつなぎ、共に生きていく社会をつくりたいと願うぼくたちの夢でもある。

 1960年の初代「だっこちゃん」は、大人たちにとっても子供たちにとっても時代の風景が大きく変わる時だったからこそ、あんなに受け入れられたのだと思う。
 街はまだかろうじて黒い土を残していたが、ぼくたちはもう、そんなに単純には貧乏であることも自由であることも許されなくなりつつあった。
 それぞれの家の事情がぼくたちこどもをひきはなし、つながれない悲しみとつながることを切なく求めるひとみを持つ子どもになっていった。この年の9月にはテレビのカラー放送が始まった。
 1960年の「だっこちゃん」現象は60年安保の後、経済の時代へと大人たちが高度経済成長に突き進むのを予感するものであったと同時に、白黒の荒野をかけめぐった子どもたちの民主主義が街の路上にあふれ出た一瞬でもあったのだ。
 そしてそれは始まった途端に終わってしまったのだと、今では思う。

 そして今、ぼくが生きた54年をふり返る時、思い出としての民主主義ではだめなのだと思う。もちろん、スペインのファシズムを映さなければならなかった少年モンチョのひとみと、今の子どもたちのひとみが同じだとは決して思わない。
 けれども、携帯メールのなにげない言葉に切なくちぢむ心をたくす子どもたちに、20世紀の子どもだったぼくたちが渡し忘れた「自由」と「夢」を届けたいと切実に思う。

「自由に飛び立ちなさい!」
「ティロノリンコ!蝶の舌!!」

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