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「歌う」のではなく「語る」歌
ゆめ風基金コンサートに寄せて
小室等さんのこと3

ゆめ風基金イベント情報2007/3/18in箕面

ブログ・恋する経済
恋する経済オリジナルTシャツ
ゆめ風基金とわたしたち
箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
ぼくの「上を向いて歩こう」
永六輔さんNO.1
6月22日、永六輔さんが現れた
永六輔さんNO.2
「だいじょうぶ!永六輔ひとり応援団」  永六輔さんNO.2
テレビでなじみの声が聞こえた。
筑紫哲也さんのこと
1999年筑紫哲也トークイベントに寄せて
静かで、決してゆるがない決意
小室等さんのことNO.1
まるで風の又三郎のように
小室等さんのことNO.2
「歌う」のではなく「語る」歌
小室等さんのことNO.3
ゆめ風基金応援歌CD
小室等さんのことNO.4
ゆめ風基金応援歌CD
「風と夢」、「伝えてください」
ゆめ風基金応援歌CD
参加ミュージシャンのメッセージ
彼女が歌い始めると、空と大地が広がっていく。加納浩美さん
山田太一さん
山田太一1992・2001
ひとびとの「きもち」がやってくるぞ!
河野秀忠
「なにげない」が崩れたとき、見えてくる 牧口一二
テレビと力道山と山田太一
人生を変えてしまうテレビドラマがあった。
山田太一のドラマはフィクションで終わらなかった。
山田太一ファン・メッセージ
「車輪の一歩」を観て
山田太一ファン・メッセージ
「シルバーシート」を観て
山田太一ファン・メッセージ
もっともっと山田太一
山田太一さんとの対談を終えて
牧口一二
物静かに箕面市民会館に現れ、物静かに箕面を去って行った。
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平和を願うメッセージ
豊能障害者労働センター
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1947年の手紙
「積木」編集分室


 2007年3月18日、ゆめ風基金の総会後のイベントとして、箕面市立萱野人権文化センター・らいとぴあ21で小室さんのライブを開催されました。
箕面市内の障害者事業所、作業所がつくるネットワーク「みのおみちくさロード」が共催し、実施しました。
当日は200人のお客さんが来てくださいました。

ゆめ風基金とわたしたち 2007年3月 細谷常彦 


 3月18日、小室等さんのコンサートをすることになった。
 小室さんは、阪神・淡路大震災から12年にわたり国内外各地で起こった自然災害による被災障害者に支援金を届けてきた「ゆめ風基金」(代表理事・牧口一二)の呼びかけ人代表を、永六輔さんから引き継がれて2年になる。
 もちろん小室さんはゆめ風基金設立当初からの呼びかけ人で、「ゆめ風基金」を広めるためのさまざまな催しに参加されてきた。
 ぼくはその催しのスタッフとして、小室さんの歌だけでなく、すてきなお話をいっぱい聴く機会をいただいた。その縁もあり、今回のコンサートが実現したのだった。 

 2003年の秋、ゆめ風基金のCD制作のお願いをする話し合いの場にぼくも同席させてもらった時のことだった。
 ゆめ風基金のCDをつくるとすれば、震災のことと障害者のことなど、メッセージを届ける歌をぼくたちは期待してしまうが、小室さんはメッセージをストレートに歌うことが求められたフォークソングの絶頂期に、メッセージを伝えるためだけに音楽があるなら、音楽そのものが持つ「伝わる力、つながる力」が失われてしまうのではないかと苦悩されていたと聞く。
 歌は政治的にも文化的にも何かの力に利用されてきた歴史がある。そのことに無頓着に、あるいは確信的に迎合してしまう危険を小室さんは若いときからずっと感じていたのだと思う。
 けれどもまた、歌は危険と隣り合わせにいながら、愛を必要とする心に、切ない夢をかくす心に、生きる勇気を育てる心に届く力を持っていることもまた確かなことなのだ。
 そのことを痛いほど経験してきた小室さんだからこそ、「ゆめ風基金応援歌」は単に基金運動に奉仕する道具になってしまう危険から解放されたすばらしい歌になった。

 そのあくる日、大阪心斎橋のライブハウスで、娘さんのこむろゆいさんとのジョイントライブがあった。そこではじめて小室さんの「ホワッツ・ア・ワンダフル・ワールド」(この素晴らしき世界)を聴いた。
 心にしみた。ひとみからは決して出ないなみだが心の底につたい落ちる、そんな歌だった。
 「ホワッツ・ア・ワンダフル・ワールド」は1967年、あのルイ・アームストロングの独特の歌声によって誕生した。
 ベトナム戦争のただ中で平和への願いを込めて歌われたとされるこの歌はアメリカを正当化するという批判もあるが、その後の世界の悲惨な出来事、おびただしい血と悲鳴にかき消されそうになりながらも世界中で歌い継がれてきた名曲である。

 ルイ・アームストロングはジャズ発祥の地といわれるニューオリンズの、黒人が多く住む貧しい地域で生まれた。子供の頃にピストルを発砲して入所した少年院のブラスバンドでコルネットを演奏することになったという。
 その才能は一気に開花し、少年院を出てすぐにもう、プロミュージシャンの仲間入りを果たす。
 ぼくはルイ・アームスロングがピストルをすて、楽器を持ったところから、「ホワッツ・ア・ワンダフル・ワールド」へとつながる道を見つけたのだと思う。
 ちなみに、ぼくがはじめて聴いたジャズはおそらく高校生の時で、古本屋さんのラジオから流れてきたルイ・アームスロングの「聖者が街にやってくる」だったと思う。
 薄暗く時をたべた紙の匂いが充満する空間に、「ヒュー、ヒュー」という雑音とともに風のように流れる、どこか悲しさを秘めた陽気な歌声を、いまでもはっきり覚えている。

 「ホワッツ・ア・ワンダフル・ワールド」は世界中のさまざまなひとが自分なりの歌い方をしても、ぼくたちはルイ・アームストロングの強烈な個性にひきつけられ、彼のオリジナルにひきもどされる。
 ところが、小室さんの「ホワッツ・ア・ワンダフル・ワールド」は、まったくちがっているのだ。はじめて聴いたとき、この歌だとぼくにはわからなかったほどだった。
どこがちがのかと言うと、小室さんはこの歌を「歌う」のではなく「語っている」のだった。
 実はこの歌に限らず、最近の小室さんはジャズのスタンダードを歌っているが、どれも油断していると原曲を思い出せないほどなのだ。
 それはなにも、その歌を故意に変形して、いかにも「つくりかえました」というのではない。どこか自由でしなやかで、みずみずしく、原曲の大切なイメージをこわさないまま、自分の歌にしてしまっているのだった。
 そのことと関係があるのかわからないが、本来稀有の才能の持ち主で数々のご自身の作詞作曲による名曲がたくさんあるのに、なぜかしら谷川俊太郎や別役実、唐十郎など、別のひとの作詞による名曲の方にぼくはついつい心ひかれる。
 さらにいえば、「ホワッツ・ア・ワンダフル・ワールド」のように、別のひとが作詞作曲した歌を小室さんが歌うときに、一番「小室等」を感じさせてくれる。
 その静かな「語り」は、おそらく年を重ねることでしかえることができなかったやさしさに満ち溢れていて、ややもすればかたくなになってしまうぼくたちの心をやわらかくつつみ、ほぐしてくれるのだ。

 街は音の洪水で、いつでもどこでもスピーカーから音がわめいていて、ぼくたちも大きな声でがなりたてるような暮らしをしてしまっている。
 大きな声でがなりたてるのに、なにひとつ伝えられない、なにひとつ聴こえてこないことに気づいた時、いたたまれない悲しみと自己嫌悪におそわれる。
 風の気配、土を踏む音、鳥のさえずり、声にならない声、夜の沈黙、光のおしゃべり、星の合図……。世界はこんなにも静かなコミュニケーションにつつまれているというのに、ぼくたちはそれを聴き取る力をいつのまになくしてしまったのだろうか。

 そんな思いに立ち止まる時、耳をすませば聴こえてくる。その音楽こそが小室等さんの音楽なのだ。
 今回のコンサートで、一人でも多くの方が小室さんの音楽にふれていただくことを願っている。

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