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テレビと力道山と山田太一
1992年山田太一講演会に寄せて

ブログ・恋する経済
恋する経済オリジナルTシャツ
ゆめ風基金とわたしたち
箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
ぼくの「上を向いて歩こう」
永六輔さんNO.1
6月22日、永六輔さんが現れた
永六輔さんNO.2
「だいじょうぶ!永六輔ひとり応援団」  永六輔さんNO.2
テレビでなじみの声が聞こえた。
筑紫哲也さんのこと
1999年筑紫哲也トークイベントに寄せて
静かで、決してゆるがない決意
小室等さんのことNO.1
まるで風の又三郎のように
小室等さんのことNO.2
「歌う」のではなく「語る」歌
小室等さんのことNO.3
ゆめ風基金応援歌CD
小室等さんのことNO.4
ゆめ風基金応援歌CD
「風と夢」、「伝えてください」
ゆめ風基金応援歌CD
参加ミュージシャンのメッセージ
彼女が歌い始めると、空と大地が広がっていく。加納浩美さん
山田太一さん
山田太一1992・2001
ひとびとの「きもち」がやってくるぞ!
河野秀忠
「なにげない」が崩れたとき、見えてくる 牧口一二
テレビと力道山と山田太一
人生を変えてしまうテレビドラマがあった。
山田太一のドラマはフィクションで終わらなかった。
山田太一ファン・メッセージ
「車輪の一歩」を観て
山田太一ファン・メッセージ
「シルバーシート」を観て
山田太一ファン・メッセージ
もっともっと山田太一
山田太一さんとの対談を終えて
牧口一二
物静かに箕面市民会館に現れ、物静かに箕面を去って行った。
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ゆめ風基金とわたしたち  1992年1月 細谷常彦

 
 ぼくがこどもだったころ、テレビは大事件だった。
 食堂をしていた母が280円で買った中古埜ラジオ。美空ひばりや三橋美智也の歌が風のように流れてくるラジオにも耳をつけるように聴き入っていた母。
 夕方の5時20分になると、「少年探偵団」のラジオ放送を聴くためにかけ足で家に帰ったぼく。
 鉄条網と路地とバラックの家とそろばん塾と紙芝居と母と兄とぼく。
 日本中がまだ貧乏で、不安定なグライダーのように夢と幸福と失望をくりかえしていた。そして、ポスターを張る代わりにただ券をくれた街の映画館で観た映画だけが、ぼくの心のスクリーンにまぼろしのドラマを映しつづけていた。

 それからしばらくして、ぼくたちの街にテレビが力道山とともにやってきた。毎週金曜日になると、お金持ちの家の茶の間は町内のこどもたちでいっぱいになった。テレビのプロレス放送があるからだ。
 この時ばかりは近所のテレビのない家のこどもたちのために、力道山のプロレス放送を見せてくれるのだった。もっともぼくはひねくれていたのか、実は裏番組のレイモンド・バー主演の「弁護士ペリー・メイスン」を見たかったのだけれど。
 それから、あっというまに我が家にも中古のテレビがやってきた。それは、近所の牛乳屋さんからのもらい水で生活していたわが屋の裏に掘った井戸と、母がとつぜんつくりはじめた野菜サラダとともに現れたのだった。 

 ぼくがおとなになっていくにつれて、テレビは事件ではなくなっていった。テレビそのもののおどろきから遠くはなれ、灰色のブラウン管はぼくの日常生活にすりよりねそれでいていつも不気味にぽっかりとあいた窓だった。
 テレビをのぞくこむたくさんの家族の姿を、灰色の窓から見ているまぼろしの宇宙人がいるような気がした。
 その不気味な宇宙人は、実は自分自身だったのではないかと今になって思う。

 1972年、NHKの朝のドラマ「藍より青く」が放送された。ぼくがはじめて観た山田太一のドラマだった。
 山田太一の名前は、愛読していた寺山修司の「書を捨てよ、町に出よう」に2人の往復書簡がのっていて、高校を出た頃から知っていた。
 今、山田太一の作品年譜を見て、山田太一のファンとしてはそんなに古くなかったのだなあと思う。それでもそれから後のドラマはほとんど見ていたこともわかった。
 「男たちの旅路」がはじまると、いろんな人に宣伝した。シリーズ3回目の最後「別離」の時、翌日の引っ越し準備をしていて観ることができなかったぼくに、ともだちがわざわざ電話してきて筋書きをおしえてくれたことをおぼえている。

 山田太一のドラマの登場人物の、どこかさびしいところが好きだ。
 けっして暗い物語ではないのに彼らがさびしいのは、「わかりあえない」何かをいつも持っているからではないかと思う。
 山田太一のテレビドラマはだれもが思い当たるごく普通の日常だし、ありふれた会話とちょっとした事件で物語が進んでいく。
 ごく普通の家族、ごく普通の人間関係の「わかりあえている」という安心が、ドラマが進むにつれてあやういものになっていく。その時、登場人物たちはあわてふためき、おもいまどい、「わかりあおう」と必死にもがく。けれども普通だと思っていた日常はまったくちがった姿であらわれ、彼らを思いもしなかつたところへ連れていく。
 彼らがぎりぎりのところで今までとちがう自分を見つけようとする時、さびしさはさびしさはけっして人生を絶望させるものだはなく、彼らはかえって他人とちょっとだけでもいい、いっしょうけんめいつきあっていこう、いっしょうけんめい生きていこうとする。
 その時のはりつめた、かっこう悪い姿が好きだ。そして、ドラマを見るぼくも自分をはげましてしまう。そんなことで何かが変わるかどうかはどっちでもよい。そう思う自分が好きになってしまうのだ。

 きっと山田太一がテレビドラマをつくる時、テレビというとてつもないエイリアンと格闘しているのではないか。そんなことを勝手に思っていた時、山田太一さんの話を聴くめったらないチャンスがやってきた。
 スタッフの立場で言いにくいのだが、ぼくはぜったい場内で話を全部聴きたいと思っている。

1992年2月7日、箕面市市民会館で「山田太一講演会」を開きました。ゲストとして西川きよしさんも出演してくださいました。当日は1000人会場が満席となりました。

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