競う経済から助け合う経済へ、争う経済から夢見る経済へ。障害者が参加、運営をになうソーシャルビジネスを応援するサイト

恋する経済&障害者市民事業ネットワーク
する経済
共に生きるすべてのひとの希望をたがやすために
恋する経済&障害者市民事業ネットワーク

山田太一のドラマはフィクションで終わらなかった。
2001年山田太一講演会に寄せて

ブログ・恋する経済
恋する経済オリジナルTシャツ
ゆめ風基金とわたしたち
箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
ぼくの「上を向いて歩こう」
永六輔さんNO.1
6月22日、永六輔さんが現れた
永六輔さんNO.2
「だいじょうぶ!永六輔ひとり応援団」  永六輔さんNO.2
テレビでなじみの声が聞こえた。
筑紫哲也さんのこと
1999年筑紫哲也トークイベントに寄せて
静かで、決してゆるがない決意
小室等さんのことNO.1
まるで風の又三郎のように
小室等さんのことNO.2
「歌う」のではなく「語る」歌
小室等さんのことNO.3
ゆめ風基金応援歌CD
小室等さんのことNO.4
ゆめ風基金応援歌CD
「風と夢」、「伝えてください」
ゆめ風基金応援歌CD
参加ミュージシャンのメッセージ
彼女が歌い始めると、空と大地が広がっていく。加納浩美さん
山田太一さん
山田太一1992・2001
ひとびとの「きもち」がやってくるぞ!
河野秀忠
「なにげない」が崩れたとき、見えてくる 牧口一二
テレビと力道山と山田太一
人生を変えてしまうテレビドラマがあった。
山田太一のドラマはフィクションで終わらなかった。
山田太一ファン・メッセージ
「車輪の一歩」を観て
山田太一ファン・メッセージ
「シルバーシート」を観て
山田太一ファン・メッセージ
もっともっと山田太一
山田太一さんとの対談を終えて
牧口一二
物静かに箕面市民会館に現れ、物静かに箕面を去って行った。
カレンダー
「やさしいちきゅうものがたり」
みんなでつくる春のバザー
平和を願うメッセージ
豊能障害者労働センター
30年ストーリー
ゆめ風基金とわたしたち
永六輔・山田太一・筑紫哲也
恋する経済のススメ
エッセイ&制度
1947年の手紙
「積木」編集分室
ゆめ風基金とわたしたち  2001年4月 細谷常彦


 人間は、してきたことで敬意を表されてはいかんかね。してきたことを大切にできなければ、人間は使い捨てられるだけじゃないか」と、一人の老人が言う。
 「こんなことをして世間が敬意を表しますか。すねた子どもが押入れに閉じこもっているのと変わらないじゃないですか」と、警備会社の吉岡が言う。
「わしらは押し入れにとじこもっただけです」。
 「あんたにはわからないんだよ。税金のお世話になっているもんは、おとなしくしてなきゃいかん。そんなことはわかってるんだよ。だけど、時々、わーっ、わっーて、無茶をしたくなる年寄りの気持ちなんか、あんたにはわからないんだよ」。
 「これは老人の、要領のえん、悪あがきです。だまって、警察に突き出してくれますね」と、老人たちは言うのだった。

 1977年に放映された男たちの旅路シリーズ「シルバーシート」は、老人ホームに入っている老人たちが友人の死をきっかけに、車庫にある都電に篭城する話だ。
 じいさんたちはさびしいんだ、若い奴がすぐにのけものにするからだ、社会に訴えたいことがあるんだ……。
 老人たちに好意的な警備員たちがさまざまな憶測をし、老人たちを説得するが、いっこうによせつけない。
 「吉岡さん、あんたの言っていることは理屈だ」「あんたは、まだ若い。若いから理屈で納得できる」「あんたの20年後ですよ。20年たったら、あんたの言っていることが理屈だとわかる」と、老人たちは言う。
 「死んだ本木さんの骨が帰ってきた時、悲しくてね、くやしくてね、このままおとなしく死んじまってたまるかと思ったんだ」。

 このドラマを見た時、ぼくは30才だったが、「あんたの言っていることは理屈だ。あんたはまだ若い」という言葉が、54才になろうとする今もずっと心にひっかかったままだ。
 ラスト近くの10分間、篭城した都電の中で笠智衆、加藤嘉、殿山泰二、藤原釜足という名優たちがたたみかけるセリフにかくした山田太一のメッセージは、四半世紀がすぎて介護保険制度ができた今でも、いや今だからこそますますその意味は重くせまる。
 まわりがどんな福祉制度で固められても、福祉制度に合わせられてしまう「老い」ではなく、ひとは自分の「老い」と出会い、とまどいながらもどうつきあっていくかを自分で決めるしかないし、自分で決める自由があるはずなのだ。
 「シルバーシート」の老人たちの痛烈な言葉は、まるで思い通りにならない恋人とつきあうように「老い」を生き、「老い」とつきあう人間のいとおしさ、不思議さをかくしていた。
 「わしたちが何を要求しているのか、わかりますか?あんたも20年たったらわかる」とは、テレビの視聴率と格闘しながら山田太一がかけた、時代をこえる「謎」のメッセージなのだと思う。
 その「謎」を、ぼくたちは今解き明かすことができたのだろうか。このドラマが放映されてから24年の間に、たしかに老人や障害者にかかわる福祉制度は大きく変わった。
 だが、人間の不思議さや人生の謎、「老い」や「かけがえのない個性」や「友情」を分かち合う社会の仕組みを、ぼくたちはまだ持てないでいる。

 1979年11月24日、男たちの旅路シリーズ最終回「車輪の一歩」が放映された。車イスを利用する青年たちに吉岡が言う。
 「ひとに迷惑をかけるなという、この社会がいちばん疑わないルールが君たちを縛っている。ひとに迷惑をかけていいじゃないか。君たちが自由に街に出られないルールの方がおかしいんだ。迷惑をかけることを恐れるな」。
 当時は「なぜ、鶴田浩二扮する吉岡に言わせるのか」という障害者市民運動からの意見もあったと聞くが、このメッセージは当時障害者の友人がいなかったぼくの生き方、感じ方を見事にひっくりかえしてくれた。
 それから3年後、活動をはじめたばかりの豊能障害者労働センターに行った時、小泉さんや梶さんとすぐ仲間になれたのは、このドラマを見ていたからだった。
 最初は周辺にいただけだったぼくが、1987年に豊能障害者労働センターのスタッフになったのも、すべてはこのドラマからはじまっていたのだと、今では思う。
 2回に渡り、ぼくの「山田太一ファン・メッセージ」をつらつらと書いてしまった。もとより、つたない言葉をいくら積み上げても、山田太一という稀有の人をとらえることができないことはわかっていたが、それにしても言い足りない、うまく伝えられなかった後悔でいっぱいだ。
 ドラマにしても、この2本のドラマよりもっと数々の名作がある。しかし、一本のドラマで人生が変わることを教えてくれる、そんなドラマをつくる作家はそんなに多くはいないと断じて思う。
 「シルバーシート」、「車輪の一歩」は、まちがいなくぼくの人生を変えてしまったのだった。

 山田太一の人気ドラマに「ふぞろいの林檎たち」があるが、豊能障害者労働センターのスタッフは、ほんとうに「ふぞろいの林檎たち」そのままだ。
 その「ふぞろいの林檎たち」のために、箕面に2回も来てくださることになった山田太一さんに深く感謝すると共に、不遜を承知で言えば、それはぼくたちの誇りでもある。
 そして当日、たくさんの方がご来場いただくことを、そして山田太一さんのメッセージを肉声でお聞きいただくことを、切に願っている。

 2001年6月2日、箕面市民会館で「山田太一講演会」を開きました。当日は650人のお客さんがご来場くださいました。講演の後、牧口一二さんとの対談、河野秀忠さんを交えた鼎談、加納浩美さんのミニライブもあり、楽しんでいただけました。

ページ先頭に戻る
Copyright (C) koisurukeizai All Rights Reserved
 恋する経済