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山田太一さんのドラマは
「なにげない」が崩れたとき、見えてくる
2001年山田太一講演会に寄せて

2001年6月2日、箕面市民会館で「山田太一講演会」を開きました。当日は650人のお客さんがご来場くださいました。講演の後、牧口一二さんとの対談、河野秀忠さんを交えた鼎談、加納浩美さんのミニライブもあり、楽しんでいただけました。

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箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
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1999年筑紫哲也トークイベントに寄せて
静かで、決してゆるがない決意
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「風と夢」、「伝えてください」
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彼女が歌い始めると、空と大地が広がっていく。加納浩美さん
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山田太一1992・2001
ひとびとの「きもち」がやってくるぞ!
河野秀忠
「なにげない」が崩れたとき、見えてくる 牧口一二
テレビと力道山と山田太一
人生を変えてしまうテレビドラマがあった。
山田太一のドラマはフィクションで終わらなかった。
山田太一ファン・メッセージ
「車輪の一歩」を観て
山田太一ファン・メッセージ
「シルバーシート」を観て
山田太一ファン・メッセージ
もっともっと山田太一
山田太一さんとの対談を終えて
牧口一二
物静かに箕面市民会館に現れ、物静かに箕面を去って行った。
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牧口 一二(まきぐち いちじ)
1937年8月・大阪市生まれ。翌年、ポリオ(脊髄性小児マヒ)にかかる。母におぶわれて小学校(普通校)入学(戦争のため3年遅れ)。小学2年の2学期から松葉杖にて通学できるようになる。以後、中学、高校、美術学校(すべて普通校)卒業。が、まったく就職できず、美術学校時代の学友に支えられて、26才で初めて社会に出る。20年ほど前から小・中・高と学校を巡り、「松葉づえで得た人生」を語り、訪問校は1600校を超える。1998年度「朝日社会福祉賞」受賞、「雨あがりのギンヤンマたち」他著書多数。
ゆめ風基金代表理事

ゆめ風基金とわたしたち  2001年4月 牧口一二


 敬愛する山田太一さんのことを知ったのは、いつ、どんなときだったか、はっきり覚えている。なにげなくNHKドラマ「男たちの旅路」シリーズの「シルバーシート」を観ていて、釘づけになってしまったのだった。が、そのときはまだ、このドラマのシナリオライターが「山田太一」ということすら知らなかった。
 放映されて数日後、朝日新聞の文化欄に大きく、「シルバーシート」について書かれた山田さんの心境が紹介されていたのだ。このとき、ぼくの頭脳に「山田太一さん」というお名前がしっかりインプットされたのはいうまでもない。

 この「シルバーシート」というドラマは、一日の務めを終えて車庫に入った都電の中に4人の老人が入り込み、車両をジャックしてしまう話だ。
 なぜ、そうなったか。高齢者になるとみんな、過去(の栄光)を捨てて生きなければならない、そんな空気が現代にはある。
 誰かにちょっと話してみたくなる誇らしい思い出をもつ老人は、つい吐露したくなるが自分から自慢話など恥ずかしくてできない。
 これは節度のある人ほどすごいストレスになり、何かの形で世間に反抗してみたくなる。それが都電ジャックだったのだ。彼らのひとりは「これは老人の、要領を得ない悪あがきです。」と静かに言う。

 このドラマに衝撃を受けたぼくは、障害者運動をはじめて3年目のころだった。NHKだったか朝日新聞社だったかに住所を教えてもらって、もう夢中で「山田太一さま」に初めて手紙(感想)を書いた。
 「高齢者を障害者に、過去を現在に置き換えて、体がふるえながら観ていました」と。ナント返事をくださった!
 それからは、当然のことながら山田太一ドラマにのめり込んでいった。
 思えば、NHK大河ドラマにしてはひと味もふた味も違っていて日曜日がたのしみだった「獅子の時代」も、朝ドラの「藍より青く」も山田さんの作品だったのだ。以後の作品はほとんど観ていると思う。
 ところで、「シルバーシート」は1977年11月に初放映された作品で、「男たちの旅路」シリーズ第7話とのこと。その第12話が、あの障害者問題の名作「車輪の一歩」であり、1979年11月に初放映されている。
 このドラマは、頚椎損傷の若い女性が、車いすで果敢に町に繰り出しはじめた若者たちに勧められ、やがて勇気を出して通行人に声をかけて手助けしてもらって、街に出て行くまでを描いている。
 ちょうど車いすを足とする仲間たちがバリアだらけの町にどしどし挑みはじめた時期で、ぼくが直接かかわっているものでいえば、「おおさか行動する障害者応援センター」の発足と「そよ風のように街に出よう」の発刊がこの年である。
 また1981年が国際障害者年だから、まことにタイムリーな作品だった。

 じつは大阪女学院の中学3年生が毎年、一泊研修という形でぼくの話を聴いてくれる行事が十数年続いている。
 まず前半の60名ほどがバスを連ねて研修施設へ。昼いちばんにぼくの話、そして班に分かれて夕食づくりの飯盒炊さん、夜は障害者問題の映画鑑賞。
 明朝はぼくが質問や反論に応える。そして昼食後、後半が到着したバスに乗って帰る。ぼくは後半の生徒に話しはじめる。
 つまり講師のぼくは2泊3日。この夜の映画鑑賞に毎年「車輪の一歩」を使っている。「20年以上前の作品ですよォ」と、山田さんに恥ずかしそうに驚かれてしまった。
 さすがに主演の鶴田浩二さんがすでに亡くなられていて中学生はほとんど知らない。おもしろいのは個性派の斎藤洋介さんや京本政樹さんが出てくるとキャーキャー騒いでいる(きっと、いまどきのトレンディードラマに出演中なのだろう)。
 ぼくなら赤木春恵さん、岸本加世子さんのほうがピンとくるんだけれどねぇ。

 止められない止まらない、で続けているのは、ぼくが知る範囲で障害者問題の映像で「車輪の一歩」を超える作品に未だに出会っていないからだ(むろん、ぼくの好みもあるだろうが)。
 それと障害者運動の初期を若い人たちに知っておいてほしい思いもある。駅にエレベーター、あちこちに車いすマークのトイレ、歩道には点字ブロック……などが、「障害者運動が設置させたんだ」なんて自慢するとチト恥ずかしいけれど(「シルバーシート」の老人の心境だ。ぼくはストレスを溜めるのがイヤだ)、これらは行政のやさしさで設けられた、と思い込んでいる若者が意外と多いのに驚いてしまったからだ(ぼくは大阪市がやっている「まちのやさしさ発見」中・高生レポート公募の審査委員長)。

 ところで、もうずいぶん前のことだけれど、おそらくテレビの正月番組、新春ビッグ対談だったと思う。山田太一さんが出演された。
 お相手が誰だったか忘れてしまって申し訳ないが、そのときの話で、山田さんは知人と駅で待ち合わせをされて約束時間より早く着かれた。駅での人の流れをぼんやり眺めておられて、ふと駅のシーンで、監督の指示に従ってエキストラの人たちをもっともらしく動かしていた松竹の助監督時代を思い出された。
 で、「いまホームから降りてくる人々それぞれにドラマを感じてしまったんです」とおっしゃった。
 若いカップルが少しでも体の多くを密着していたいふうに奇妙な格好で重なるように降りてくると、いまが最高のときでこれからいろいろあるんだろうな、とか。孫に手を引かれたお爺さんが危なっかしい足どりで、それでも孫を気遣いながら降りてくると、お連れ合いは? お子さんたちは? とか。
 そんな話だったと記憶している。

 そのとき、あー山田さんなら松葉づえのぼくが足を引きずりながら階段を降りていけば(いまは車いすに乗ることが多いけれど)、瞬時にドラマを創ってくれるだろうな、と思った。
 どんな人が降りてきても、その人の背景が想像できる能力。当たっていても当たっていなくても、その想像に人間をいとおしむリアリティがあればいい。それが人を差別しないということだ。
 山田さんのほとんどの作品に都心と郊外をつなぐ(通勤)電車がゴーとひた走る。なにげない人の、なにげない生活を象徴するように。
 その、なにげない日常のバランスが、なにげない出来事でふと崩れるとき、そこから山田太一ドラマの幕が上がる……

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