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心に深く、大地に広く……
ゆめ風基金応援歌「風と夢」、「伝えてください」

ゆめ風基金応援歌CD・風と夢・伝えてください
ゆめ風基金応援歌CD

風と夢
どこから吹いてくるのだろう
やさしい風 むごい風
どこへ吹いてゆくのだろう
風は怒り 風はほほえむ

傷ついた大地の上に
風が夢を運んでくる

夢に 風に 心よせて
また来る日のために
風に 夢に こころなごみ
また来る日のために

誰のこころに住むのだろう
楽しい夢 つらい夢
どんな未来見るのだろう
夢は実り 夢ははじける

よみがえる大地の上に
夢が風を巻き起こす

夢に 風に 心ひらき
また来る日のために
風に 夢に 心がけて
また来る日のために

伝えてください
伝えてください
あの日のことを
語ってください
何が起きたかを

忘れられない 忘れない
あのときの涙
忘れられない 忘れない
あのときの笑顔

苦しみの昨日から
歓びの明日へと

祈ってください
あの日のことを
歌ってください
何が起きたかを

いつまでも いついつまでも
あの時の絆
いつまでも いついつまでも
あの時の力

こころからこころへと
ひとりからひとりへと

ブログ・恋する経済
恋する経済オリジナルTシャツ
ゆめ風基金とわたしたち
箕面市障害者雇用制度と豊能障害者労働センターが朝日新聞に紹介されました。2011/6/27
ぼくの「上を向いて歩こう」
永六輔さんNO.1
6月22日、永六輔さんが現れた
永六輔さんNO.2
「だいじょうぶ!永六輔ひとり応援団」  永六輔さんNO.2
テレビでなじみの声が聞こえた。
筑紫哲也さんのこと
1999年筑紫哲也トークイベントに寄せて
静かで、決してゆるがない決意
小室等さんのことNO.1
まるで風の又三郎のように
小室等さんのことNO.2
「歌う」のではなく「語る」歌
小室等さんのことNO.3
ゆめ風基金応援歌CD
小室等さんのことNO.4
ゆめ風基金応援歌CD
「風と夢」、「伝えてください」
ゆめ風基金応援歌CD
参加ミュージシャンのメッセージ
彼女が歌い始めると、空と大地が広がっていく。加納浩美さん
山田太一さん
山田太一1992・2001
ひとびとの「きもち」がやってくるぞ!
河野秀忠
「なにげない」が崩れたとき、見えてくる 牧口一二
テレビと力道山と山田太一
人生を変えてしまうテレビドラマがあった。
山田太一のドラマはフィクションで終わらなかった。
山田太一ファン・メッセージ
「車輪の一歩」を観て
山田太一ファン・メッセージ
「シルバーシート」を観て
山田太一ファン・メッセージ
もっともっと山田太一
山田太一さんとの対談を終えて
牧口一二
物静かに箕面市民会館に現れ、物静かに箕面を去って行った。
カレンダー
「やさしいちきゅうものがたり」
みんなでつくる春のバザー
平和を願うメッセージ
豊能障害者労働センター
30年ストーリー
ゆめ風基金とわたしたち
永六輔・山田太一・筑紫哲也
恋する経済のススメ
エッセイ&制度
1947年の手紙
「積木」編集分室
ゆめ風基金とわたしたち 2005年 細谷常彦 


 小室等さんと酒を飲み交わしながら話をする機会があるとは、思ってもみなかった。
 2002年6月、ぼくは香川の友人グループの「コスモスの家」と被災障害者支援「ゆめ風基金」が主催した小室等コンサートの手伝いに行った。
 その打ち上げの席のことだった。それまでぼくは何回もコンサートやトークイベントにかかわってきたが、出演者と話をする機会がなかった。
 この時もぼくはいつもの習慣どおり出演者とは離れた席に坐っていたのだが、スタッフをねぎらうために小室さんが席を移動してきたのだった。

 小室さんの4才下で1947年生まれのぼくの世代はビートルズ世代であるとともにフォークソング世代でもある。けれどもぼくがほんとうに小室等さんの音楽と出会ったのはずっとおそく、1976年に放送された山田太一のドラマ「高原へいらっしゃい」の時だった。
 このドラマの中で「お早ようの朝」と「高原」が流れたが、どちらも谷川俊太郎作詞のアルバム3部作のひとつである「いま生きているということ」に収められている。
 「男たちの旅路」、「岸辺のアルバム」をはじめ、1970年代に放送された山田太一のドラマは多くの山田太一ファンをつくったが、「高原へいらっしゃい」もそのひとつだった。田宮二郎、益田喜頓、北林谷栄、池波志乃、三田佳子、尾藤イサオ、岡田英次など、出演者も多彩な顔ぶれだった。

野苺の花の上の露のひとしずく
まん中に草の生えてる道は
霧の中へ消えてゆく (「高原」)

 尾藤イサオが運転するジープがゆっくりと高原の道を走るシーンでかかったこの歌を聴いて、ぼくはすぐにレコード屋に行ってLP「いま生きているということ」を買った。
 歌はほんとうにふしぎなもので、歌の作り手からはなれ、巷に流れたとたん、いまその歌を必要とする心に届く瞬間がある。
 きっと歌はひとが言葉や道具や歴史を生み出すずっと前からあり、大地の中にしみこんでいたり水の中をもぐっていたり風の中にかくれていたりしていて、ある朝いつものように水道の蛇口をひねるだけで心を満たし、生きる勇気を運んでくるのだ。
 ぼくにとって「お早うの朝」や「高原」はそういう歌だった。

 小室さんの歌との出会いから11年後の1987年12月、ぼくは豊能障害者労働センターのスタッフとして、小室等さんのコンサートスタッフの一員になっていた。
 いつも心の中にいたひとが突然ぼくのすぐ前に現れた。しかもステージの上に立つそのひとはとても近くにいるのに、心の中にいる彼よりも近寄りがたく遠い存在で、キラキラかがやいているのだった。
 それからぼくは何度か小室さんのコンサートを主催したり、応援スタッフとして参加することになったが、話をする機会はなかった。

 「どうしよう、小室さんがやってくる」と、内心どきどきの僕の前に小室さんがすわったとたん、ぼくをつつむ空気があたたかくなった。どこかなつかしいこの暖かさは何だ?と思っている間に、まるで何年ぶりかに会った古い親友のように話をしてくれた。
 とくに武満徹の話になると止まらなくなり、ぼくの知らない武満徹のエピソードをたくさん聞かせてもらった。思いがけず話し込んでしまい、ふと気づくともう30分以上も小室さんを拘束していたことに気づいた。
 小室さんにもまわりの人にももうしわけないとあやまり、その場は終わったが、1976年からぼくの心の中にいた小室さんと現実の小室さんがひとつになった出来事だった。
 その日はスタッフとしての役目を終え、主催者の許しを得て途中から会場の端で小室さんの歌を聴くことができた。
 実はそれまでの数年聴くチャンスがなく、久しぶりに小室さんの生の声を聴いたのだが、正直おどろきと感動で涙が止まらなかった。
 失礼かも知れないが年のとり方が実にステキなのだ。髪の毛は真っ白だし、体は折れそうに細く声も枯れそうなのだが、数年見なかっただけでこんなにキュートに、ピュアになっている。
 若返るのではなく、年を重ねるたびにセクシーになっていく。やっぱり小室さんはただ者ではないと思った。

 小室さんの歌には、人間の笑いや怒りや涙や、さりげないやさしさやせつない希望がかくれんぼしていて、ぼくたちはたとえば夕暮れ、野に咲く花にふと立ち止まるようないとおしくもなつかしい何かに心を打たれるのだ。
 そしてこの世にはスターダストのように何百億もの歌があり、ぼくたちは実は空気といっしょに無数の歌を呼吸しているのだと感じる。
 小室さんはその土地その土地の空気をからだと心いっぱいに吸い込み、それをゆっくり吐き出すように歌う。
 もちろんその中には土のにおいや川の流れ、木々のおしゃべりなど、その土地の自然が語りかける歌もあれば、その土地に暮らすひとびとの日常や今を生きるぼくたちの時代そのものの歌もあるだろう。
 だから小室さんの歌を聴きながら、おそらく小室さん自身が言う「音楽が立ち上がる場」、無数の「歌屑」から新しい歌が生まれる瞬間にぼくたちは立ち会っているのだと思う。歌っている小室さんがセクシーである秘密はそこにあるのだと思う。

 そんな小室さんが「ゆめ風基金」の呼びかけ人代表を永六輔さんから引き継ぎ、「ゆめ風基金応援歌」を作曲した。作詞は永六輔さんと谷川俊太郎さん。
 「ゆめ風基金」のぜいたくで無茶な呼びかけが実現してしまったのだ。
 小室さんは昔フォークソング絶頂期に、ひとつだけのメッセージを伝えるためだけに音楽があるなら、音楽自体はメッセージを持たないのかと苦悩されていたと聞く。ゆめ風基金のCD制作の話が出たときも、あの「ウィ・アー・ザ・ワールド」に疑問を感じるところもあると言われたのは、そのことと関係があるように思う。
 政治的だろうと文化的だろうと、歌は時々何かの力に利用されてきた歴史がある。そのことに無頓着に、あるいは確信的に迎合してしまう危険を小室さんは若いときから感じていたのだと思う。
 けれどもまた、歌は危険と隣り合わせにいながら、愛を必要とする心に、切ない夢をかくす心に、生きる勇気を育てる心に届く力を持っていることもまた確かなことなのだ。
 そのことを痛いほど経験してきた小室さんだからこそ、「ゆめ風基金応援歌」は単に基金運動に奉仕する道具になってしまう危険から解放されたすばらしい歌になった。
 この10年、「ゆめ風基金」を支えてきた関西のミュージシャンと、小室さんが信頼する友人のミュージシャンが録音に参加し、「風と夢」、「伝えてください」の2曲がCDに収められた。
 2つの歌を聴いていると、11年前の神戸が立ち現れる。もう思い出したくないひともたくさんいるだろうけれど、瓦礫の底に横たわる黒い大地から立ちあがる「ともに生きる勇気」が11年の時を育てて歌となり、ぼくたちに届けられたのだ。
 心に深く、大地に広く……。ぼくたちはまた、「音楽が立ち上がる場」、新しい歌の誕生に立ち会うことができたのだ。

「人生を積極的に肯定する情熱がない限り、歌は生まれないだろうと思う」
                                         武満徹
                
   (小室等著「人生を肯定するもの、それが音楽」より)

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