孤立と分断の社会から助け合い社会へ『相棒season20』元日SP『二人』

12歳の少年が心の底にある悲しみや憤りをはき出すように言うのでした。
「貧乏人といると、一緒に恐ろしいはめにあうか、おそろしいことをする羽目になるかどっちかだって。うちには祖母ちゃんしかいないし、塾とかにも行けないし、あと住民税が免除されているし…」
「そんなの君の責任じゃない」
「じゃ、誰の責任なんだよ、世の中みんな自己責任なんだよ。俺たちみたいなのは、どこまで行っても努力がたりないんだよ」
(『相棒season20』元日スペシャル『二人』)

 わたしはテレビドラマ「相棒」のファンで、元旦に放送される正月スペシャルも毎年見てきました。優秀なキャリアだが変人で、警視庁の追い出し部屋と揶揄される「特命係」に所属している杉下右京とその相棒が難事件の捜査を展開し、謎を解き明かしていきます。
 特に正月スペシャルでは警察組織との摩擦や、それらに複雑に絡み合う官僚・政治家の陰謀など、日本の政治的・社会的な問題を対国家権力の視点で「ここまでやるか」というところまで描くこのドラマがつづく限りは、まだもう少し日本も大丈夫かなと思わせます。

「あなたのいう国益とはいったい誰のための益でしょう。一部の官僚や為政者がこのような親子から奪い取った利益を国益とはいえません。ジャーナリストの核にあるのは、ふつうの人々に対する信頼です。この苦しみを知ればほっておけないはず、この理不尽をしれば怒りを感じるはず、その想いが世の中を変えていく、そう信じるからこそ、彼らは銃弾の飛び交う戦地にも立って報道をつづけているんです。そして、桂木りょうさんもまたこの国の前線に立っていました。ふつうに生きている人々のために、この国の巨大な権力を敵に回して、たたかいました!!」

 この長いセリフは2014年「相棒 元日スペシャル」で杉下右京が犯人の公安幹部に向かっていうセリフです。権力の犯罪をあばく物語がマンネリだというひともいますし、反感を感じる人たちもいるようです。しかしながら、わたしは毎回その時々の社会問題を積極的に取り上げ、それを娯楽大作としてプロデュースするこの番組にいつも共感しています。
 この時は前年暮れに成立した特定秘密保護法を背景にしていることはあきらかで、シングルマザーの貧困問題とそれにからんだ国家の犯罪を暴こうとするジャーナリストとそれを封殺、隠ぺいするために殺人まで犯す警察権力との攻防を娯楽作品にまとめ、とてもたいせつなメッセージを届けてくれたことを今も記憶しています。

 今回のドラマは、自分の置かれている状況を「自己責任」だと思わされ、それでも必死に生きる子どもを通して、非正規雇用や低賃金労働によって成り立つ新自由主義経済に痛烈な警告をしました。低賃金で働く人々を「国民」ではなく「もの」としか考えないと政治家に放った杉下右京の言葉は、多くの人々の心に届いたのではないでしょうか。

袴田代議士「警察官ごときに何がわかる。この国の経済を動かすには、低賃金で働く労働者が不可欠なのだ。」
杉下右京「国の経済…、僕にはあなたとあなたのお友だちの経済としか思えませんがね。」
袴田「国力を高め、国を豊かにするために必要なものを確保する。それが為政者の仕事だ」
右京「なるほど、あなたがたにとって低賃金で働く労働者は国民ではなく、ものというわけですか。たしかに彼らはあなた方のように何かあれば病院の特別室に入れるわけではない。しかしそんな人々にも大事な家族や生活がある。どんな人にも守りたいと願う、それぞれの幸せがあるんですよ」
袴田「それこそ自分でどうにかしたらいいんじゃないのか」
右京「そうでしょうか、12歳の少年が何もかも受け入れてあきらめて、この世は自己責任だという。困ったときに助けを求めることすら恥ずかしいことだと思い込まされている。それが豊かな国だといえるでしょうか。公正な社会と言えるでしょうか。
袴田さん、あなたのように自分たちの利益しか考えない愚かな権力者たちがこのようなゆがんだ社会をつくったんですよ。」
(『相棒season20』元日スペシャル『二人』)

 実際、「分配から成長」という「新しい資本主義」を岸田政権が形だけでも掲げざるを得ないほどに経済格差は広がる一方です。安倍政権から菅政権と、新自由主義のもとで非正規雇用が4割に達し、低賃金で「景気」の調整弁のように働くひとを使い捨てにしてきたことで、わたしたちの社会は引き返せないほどの経済格差による「分断」と「孤立」と「自己責任」という言葉に引き裂かれました。そして、他者への想像力を欠いたいじめや憎悪や妬みがうずまき、幼い子どもが輝くはずの未来から滑り落ちて自殺してしまう、悲しい社会になってしまいました。
 世界を見渡せばこの20年の間に賃金が上昇し、雇用も進んでいるのに、日本では実質賃金も一人当たりGDPのランクも下がり続けている現実を見れば、利益を海外に移転する企業の内部留保は増えても、日本の国内は低賃金のまま国内消費にはお金が回りません。
 昨年の衆議院選挙では、まさに岸田政権が新自由主義に修正を加えようとした間隙を縫って、さらなる構造改革によってこそ成長できるとした維新の会が躍進しました。
 しかしながら、「失われた30年」を取り返すためにと新自由主義を掲げ、構造改革を正義としたリストラ、非正規雇用を推し進め、外国人を研修という名目で低賃金と劣悪な労働環境に貶め、公的サービスを削減し、そのつけを民間委託に回した結果、豊かで幸せで安心できる社会になったのでしょうか。
 2年にわたる新型コロナ感染症の猛威によって大切なひとをなくして生き延びたわたしたちは、こんなに大きな犠牲を払ってもまだ、新自由主義の悪夢から醒めることができないのでしょうか。

 人件費をコストとする経営ではなく、人件費を経営成果とする経営を、わたしは障害のある人もない人も共に経営を担い、給料を共に分け合う豊能障害者労働センターで学びましたが、それだけではなく、競い合う社会より助け合う社会、奪い合う経済より共に分かち合う経済こそが、たとえGDPなどの経済指標では成長しなくても、豊かで公正で安心できる社会だと学びました。
 今回の「相棒」は、まさにそのことを強く訴え、今の経済や社会の仕組みに警鐘を鳴らしたドラマでした。
 今回のドラマではプラカードを掲げ、拡声器で「格差をなくせ!」と企業に抗議する場面があり、脚本を書いた太田愛さんが「非正規雇用の人々をヒステリックな人々として描かれるとは思ってもいなかった」と異例の記事をご自身のブログに発表しました。
 そして、「今、苦しい立場で闘っておられる方々を傷つけたのではないかと思うと、とても申し訳なく思います。どのような場においても、社会の中で声を上げていく人々に冷笑や揶揄の目が向けられないようにと願います。」とつづけています。
 わたしはこの脚本家がテレビドラマという枠の中で、一人でも多くの人たちに現実を知ってもらい、共感してもらいたいという強い願いを持って脚本を書かれたのだと思いました。ただ、現実問題として労働者が企業を相手に闘うことは強い決意が必要なこともまた事実で、実際の抗議行動はもっと切実ではげしいものになると想像します。
 それでも、わたしは「相棒」の脚本を書いている太田愛さんが大好きです。彼女が描く「相棒」では、政治家や官僚や国家の不正や犯罪を暴く時、必ずひとりの市民、それもしばしばいたいけな子どもの心の奥のひだにこぼれる一粒の涙を決して無駄にしない物語となり、それを水谷豊演ずる杉下右京に託します。
 現実にはほとんどそれらが暴かれないまま闇に葬られることを痛いほど知っているからこそ、そこに彼女の強い願いが込められているのだと思います。
 ですから、今回の件で、彼女が「相棒」から降板しないかとても心配しています。
 そして、個人的には和泉聖治が監督に復帰し、太田愛脚本というゴールデンコンビが復活することを切に願っています。

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