内藤裕敬作・演出「演出家だらけの青木さん家の奥さん」豊中バージョン

10月26日、大阪府豊中市立ローズ文化ホールに内藤裕敬作・演出「演出家だらけの青木さん家の奥さん 豊中バージョン」という芝居を観に行きました。
「青木さん家の奥さん」は大阪を拠点とする南河内万歳一座が1990年に初演し、その後この劇団はもとよりさまざまな劇団やプロデュースによって毎年と言っていいほど全国各地で上演されてきた作品で、脚本がなくほとんどがアドリブで「即興演劇の極み」とされている名作です。
今回の公演は複数の地方公共団体が演劇公演を共同・連携する2016年度「公共ホール演劇ネットワーク事業」として実施されたもので、豊中の他、北九州、高知で10月に連続公演し、来年3月には長野県上田、新潟県魚沼の公演が予定されています。
最低限の設定の上で繰り広げられる自由すぎる舞台に、脚本・演出を担当する内藤や、劇団太陽族の岩崎正裕、東京デスロックの多田淳之介、田上パルの田上豊といった現代演劇界の第一線で活躍する演出家4人と、南河内万歳一座の俳優として活動する傍ら、自らも演出を手がける鈴村貴彦と荒谷清水に加え、それぞれの地域にゆかりのあるキャストが参加しました。豊中バージョンでは地元のオーディションで選ばれた、和、島勝美、福田和栄、松田榮子、凛霞が出演しました。

舞台はビールケースが山と積まれたとある酒屋の倉庫。上手の端でギター演奏。新入りアルバイトは酒屋なのになぜか芋の芽を向いています。そこに先輩が現れては歌を歌い、横に座ると伝票を繰ってはプレゼントの芋を袋に入れます。「あっ、ない!」と突然叫び去っていきます。同じように4人の先輩が現れては歌を歌い「あっ、ない」と叫び去っていきます。
次の瞬間、4人が同時に現れ、身体をぶつけながらなじりあいます。「伝票をどこにやった!」
彼らは町内一の美人の「青木さん家の奥さん」の配達伝票を取り合っていたのでした。
新人が「青木さん家の奥さんって、誰なんですか?」と訊きます。4人の先輩たちは、皆うっとりして答えます。
「いいか、青木さん家の奥さんはな」「このご町内でナンバーワンの美人さんなんだよ」「出るとこ出てる、ひっこんどるとこひっこんでる、ボンボーンや!」「青木さん家の奥さんはな、僕の、夕焼け空なんやっ!」「いいや、青木さん家の奥さんはな、夏の女神さんさ!」「違う、青木さん家の奥さんはな……さびしいんだよ!」「ワリャええ加減にせえ!青木さん家の奥さんはな、……俺の海だ!!」
酒屋の新入りアルバイトは、先輩たちの話を聞いているうちに、「僕も、青木さん家の奥さんとこに、配達に行きたい!!」と口走ってしまったために、先輩たちから「10年早い!」と叱られる。そして“青木さん家の奥さん”に、粗相のないように配達する方法”を特訓される…。
いくつかの設定で伝言ゲームのように登場人物が話をつないでいくことで芝居が進んでいくのですが、そのほとんどがアドリブなので、どうしてもテンポが失速してしまいます。プロのベテラン役者であってもかなりの力技を必要とするのですから、今回のようにオーディションなどで選ばれた地元の役者はほんとうに大変だったと思います。
しかしながら、前の人間が言ったセリフを受け取り、それに輪をかけたセリフで芝居のボルテージを上げようとするのですがそんなにうまくいくわけがなく、とっさに考えた挙句、たいがいはテレビのバラエティ番組でいうところの「はずしてしまう」ところがかえって新鮮で、芝居や演劇、物語が生まれ出る瞬間に立ち会い、役者と一緒にセリフを考えている自分がいて、不思議なドラマツルギーを感じました。
この芝居は決められたセリフで構築され、決められたパフォーマンスを見せてくれる芝居の面白さと正反対のところに立ち、芝居の中で「青木さん家」に配達するリハーサルを延々と繰り広げることがこの即興劇の通し稽古のようなのです。
とくに、芝居が進むにつれてリーダーのようにふるまう先輩の配達員を演じる内藤裕敬が、いつのまにかこの芝居の演出家になっていくようすがとてもスリリングな面白さをつくりだしていたと思います。
そして、ドラマツルギーを求める芝居とは正反対に、現実の人生はそんなにドラマチックなものではなく、時にはつまづき時にはこけてしまい、時にはかっこう悪くだらしなく、その時に感じたことをすべて表す言葉など見つからず、時が経っていくことを残酷にも教えてくれました。

南河内万歳一座は1980年10月、大阪芸術大学(舞台芸術学科)の有志により結成。「蛇姫様(作・唐十郎)」で旗揚げしました。唐十郎を尊敬する内藤裕敬の世代論を軸とする繊細な戯曲を時にはプロレス技も飛び出す集団演技のアンサンブルとダイナミックな演出により、爽快でパワフルな舞台をつくりだすことで定評があります。台本に忠実なセリフの一方で即興性も取り入れ、台詞を肉体から発想することにリアリティを求めるところは唐十郎と通じるところがあると思います。
わたしは1980年代の初期の作品を何本か見ていて、「唇に聴いてみる」など通称「六畳一間シリーズ」に見られるような、高度経済成長を象徴する団地とニューファミリーの牢獄の中で大人になったかつての子どもたちが、なくしてしまった自分を探す切なくもノスタルジックな芝居に自分の人生を重ね合わせたものでした。
そんな内藤裕敬が自分の演劇に行き詰まりを感じ、台本を書けなくなるスランプが結構長く続き、その中から芝居の設定だけを決め、役者がアドリブで芝居をする即興劇「青木さん家の奥さん」が生まれたと聞きます。
そんな経験を経てからはより幅広い演劇の可能性を求めて勢力的に活動し、とくに今回のように大都市ではなく小さな町の公共ホールの活性化のためワークショップなど市民参加による「劇的なるもの」を求める活動へと進化してきたと思います。
その最たる試みは滋賀県の知的障害者施設・あざみ・もみじ寮と出会い、寮生劇「ロビンフッドの冒険」ボランティアに参加、2006年「ロビンフッド・楽園の冒険」の作・演出を担当し、福祉の枠を超えたクリエイティブな障害者の演劇体験をプロデュースすることに結実しました。
「僕らにとってとにかく強烈だったのは「彼らは天才だ」ということです。それは最初の出会いの時から感じていました。無意識であのパフォーマンスができるんですから、僕らの想像力を越えています。彼らは知らん顔して企んでるんじゃないかと疑いたくなります。もはや芝居の域を越えている。そういう意味で、役者としても吸収する部分が多かったです。」(内藤裕敬)

「青木さん家の奥さん」は演劇の可能性を広げたきっかけになった作品で、その自由さとアナーキーさによって1990年のオリジナル初演から26年たった今でも毎年どこかで上演され、進化し続けているのでしょう。

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