バルテュス展と祇園祭


 17日18日と、京都に行きました。
 今年の2月に妻の母親がインフルエンザにかかり、長く入院していったん退院したのですがすぐにまた入院となり、結局2カ月半たってやっと家に帰ってきました。なんとか元気になったものの、家の中で車いすも利用することにしましたし、以前よりも注意が必要になりました。障害がすすんだため、それまで通っていたデイサービスは少し無理になりましたが、それでも週に2回、新しいデイサービス事業所に通えるようになり、今回はじめて一泊のショートステイを利用することができました。
 それで、妻もわたしもずっと好きだったバルテュスの展覧会が京都市立美術館で開かれているので、この展覧会に行くことにしたのでした。ショートステイの迎えは9時半、帰ってくるのが翌日の3時半なので日帰りは難しく、京都で一泊することにしました。
 一か月前にホテルの予約をしようと思ったら17日の空き室が少なく宿泊料も高くなっていて、なぜかなと思っていたら、実はこの日が祇園祭の山鉾巡礼の日であることを知りました。
 わたしも妻もこの歳になるまで一度も祇園祭に行ったこともないのですが、大変な人手と聞いていて困ったなと思いましたが、なんと格安の料金で祇園祭の中心地で八坂神社の近くのビジネスホテルのツインの部屋を予約することができました。
 当日の混雑を想えばお祭りをさけて岡崎公園に行こうといろいろな行きかたを考えてみたものの、こんな機会はめったにいないのでお祭りの雰囲気も味わうことにして、比較的人手が少ないと予想される御池烏丸に行くことにしました。
 ところが、能勢から京都ですから昼過ぎになってしまい、山鉾巡行はすでに終わったところでした。このように微妙にはずしてしまうところがわたしたち夫婦らしく、祭りそのものよりは祭りの後の町を楽しみました。
 まずは昼ごはんを食べようと入ったのが御池烏丸駅の近くのイタリアン・レストラン「烏丸DUE(ドゥーエ)」。感じのいいお店で、1500円のランチを注文したところ、初めにオードブル、それからサラダ、スープとつづき、メインの鱧のパスタ、食後のコーヒーとデザートと1500円とは思えないコースで、しかもていねいな料理でとてもおいしくてびっくりしてしまいました。お店のスタッフの方もとても感じがよく、京都に行くことがあったらまたぜひここで食事をしたいと思いました。
 気分よくお店を出ると町は祭りの熱気が冷めきらず、おりしもお日様も照り付けて気温がどんどん上がって行くのをかいくぐり地下鉄東西線に乗り込み、東山駅で降りました。
 駅の近くの饅頭屋さんで蕨もちを買い、白川に沿って歩くと京都市立美術館のある岡崎公園に着きました。「バルテュス展」という大きな案内板の前で記念写真を撮ろうとしたら、バスを待っていた中年の女性が「写しましょうか」と声をかけてくださいました。
 そのうちにバスがやってきたのでかなり急いで写真を撮ってくれたのですが、その写真が良く撮れていて、ほんとうにありがたかったです。

 そして、いよいよ「バルテュス展」を観ました。
 この画家を知ったのはわたしが10代のころだったと思います。高校時代からシュールレアリスムにあこがれ、アンドレ・ブルトン、マグリットやデルボー、タンギーなどに強く惹かれていました。バルテュスはシュールレアリストとは距離を持っていたそうですが、それでもシュールレアレスムとの関連から美術雑誌で取り上げられていたように思います。
 バルテュスといえば少女が横たわり、そのそばには猫がいる部屋の一連の絵など、男の欲望を受け入れる大人の女性のエロティシズムではなく、むしろ男の欲望を拒否する官能性をただよわせ、止まった時に身をゆだねる少女の、まだなにものでもない美とエロティシズムに圧倒されます。
 しかしながら、実際の絵を目の当たりにすると、その官能的な空間はどこかさびしく、そのさびしさはバルテュスのさびしさとつながっていて、それら絵のモデルとなった少女たちの切り取られた一瞬は彼女たちの人生と彼女たちの何人かと恋におち、人生を重ねていったバルテュスの人生の長い物語がかくれているようでした。
 その意味で彼の絵はとても演劇的で、どの絵も濃密な空間と時間の破片のような官能的で劇的な一場面で時間が止まってしまっているのに、そこにいつも登場する猫は生き生きと描かれていて、ごはんを食べていたり、にやっと笑って「ニャーン」と語りかけているようで、これらの長い芝居の演出家・バルテュスそのひとのようでした。
 こちらを見ている人物はどのひとも絵画の中の空間ではなく時空を超えて絵を見つめるわたしのいる場所とつながっているようなのですが、どのひともその視線はここでもなく絵の中でもなくどこでもない場所と時にとりつかれているようでした。反対に後ろ姿の少女たちの方が絵を見るわたしたちの前に居て、何かをずっと語りかけ、見る者の視線を彼方に誘っているようで、とても刺激的でした。
 それゆえか、彼の風景画はどれも癒されます。そこにはすでに見る者見られる者の決してまじわることができない官能性に満ちた断絶はなく、いつも変化する光に包まれ、すべてのものが和解し、自然に抱かれ溶けていく至福の時間が流れているようなのです。
 30年ほど前に一度展覧会があったようなのですが、一生のうちで出会えないと思っていたバルテュスの絵をみることができてとてもうれしかったです。時として「ロリータコンプレクス」と誤解されやすい官能性が、これはわたしの勝手な感想ですが彼の実人生と微妙にからまりながらも、なにものでもないものからなにものかを生み出さざるを得ない芸術家の飢餓感や孤独感、さびしさに裏付けられていることなど、画集や映像では決してわからなかったたくさんの発見があって、ほんとうに見に行ってよかったと思いました。
 彼が11歳の時に描いた40枚の作品「ミツ」と、27歳の時に発表されたエミリー・ブロンテ「嵐が丘」のための14枚の挿絵は素描で描かれたもので、わたしはこの展覧会ではじめて見ましたが、これらの絵にはバルテュスのすべてが描かれていてとても興味深かったです。
  「ミツ」はバルテュス少年がある日見つけた猫をミツと名付け、かわいがっていたのですが、クリスマスの翌日に居なくなり、たいまつを持って少年は探し回りますが結局見つからず、最後の一枚は泣き叫ぶ少年・自分自身を描いています。
 バルテュスの作品の終生のモチーフである猫は「ミツ」がモデルであったことと、少年時代の「ミツ」を失ってしまった喪失感がバルテュスの芸術のすべてであったことを知りました。
 わたしの家にも2匹の猫がいます。それより前に15年ほど、わたしたちの人生をささえ、応援してくれた猫「メイ」が昨年の一月に死んでしまい、深い喪失感に包まれているのを見かねた息子夫婦が一挙に2匹の猫を連れてきて、この1年半、特に妻はまだ子どもでいたずら好きの猫たちと毎日格闘しています。
 ちょうどバルテュス展に行く1週間ほど前にそのうちの一匹が家を飛び出し、行方がわからなくなってしまいました。わたしはすこしあきらめかけていたのですが、妻の必死の捜索と近所のひとたちの協力と、そして息子夫婦が家のそばにカメラを設置してくれたことなどで奇跡的(?)に家にもどってきました。バルテュスの猫には以前から親しみをもっていましたが、そんなことがあったところでしたので、「ミツ」を見てバルテュスと猫のことが心に深く届きました。
 また「嵐が丘」の挿絵はとても官能的で、この14枚の絵にもバルテュスの芸術のすべてと彼の実人生が垣間見られました。
 「僕はそこに多くの多くのものを込めたい。優しさ、子どもの頃の郷愁、夢、愛、死、残酷さ、罪、暴力、憎しみの叫び、わめき声、涙といったものを込めたいんだ!」とバルテュス自身が語っていますが、当時名家の娘・アントワネット・ド・ヴァトヴィルとの恋に苦しんでいた貧しい青年画家・バルテュスは「嵐が丘」の孤児ヒースクリーフに自分自身を投影し、お屋敷の令嬢キャサリンにアントワネットを重ね、激しくもせつなくも裏切りに満ちた愛と復讐の物語に心が引き裂かれるようにこれらの絵を描いたのでしょう。
 わたしは会場の京都市立美術館そのものがバルテスの絵の部屋のように外の光がゆっくりと移ろって行くのを感じ、赤くならずに日が暮れた夕暮れのさびしさやせつなさに心を打たれ、バルテュスという孤高の画家にとても親近感をおぼえました。 

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