映画「IP5」監督 追悼ジャン・ジャック・ベネックス

 1980年代のフランスを代表する映画監督ジャン・ジャック・ベネックスさんが亡くなりました。81年に発表した初長編「ディーバ」で、独創的な映像美を評価され、86年の「ベティ・ブルー/愛と激情の日々」では、愛のために破滅していく男女を大胆なタッチで描き、仏映画界に旋風を巻き起こしました。
わたしは豊能障害者労働センター在職時の2000年6月3日に、今は廃館となった箕面市民会館で、彼の1992年の名作「IP5」の上映会をしました。
その縁で、当時の豊能障害者労働センターの機関紙「積木」で何度か紹介記事を書きました。その中の一文を、追悼文の代わりに掲載します。


純情だけをかばんに入れて、その映画はやってくる 映画「IP5」

村上春樹とジャン・ギャバンとイブ・モンタンと魚の腹
「IP5」上映会によせて

2000年2月24日発行 豊能障害者労働センター機関紙「積木」

 村上春樹の小説「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では、「世界の終わり」の街から「夢読み」という仕事を与えられた「ぼく」は、毎日夕方に図書館に行く。
 その図書館の書庫にあるのは本ではなく、なぜか一角獣の頭骨が無数に並んでいる。「ぼく」がそれらの頭骨に手を触れ、目を閉じると、その透谷に映される人間たちの「古い夢」がかすかにあらわれ、消え去るのだった。
ぼくはこの小説を読みながら映画のことを思った。いくつもの映画館で映され、役目を終えた無数のフィルムたちが眠る倉庫。世界の果てのいたるところにそんな映画たちの墓場があるのだと思った。一度は通り過ぎた小さな映写窓で身を焦がし、光にあこがれ、恋をしたフィルムたち。その中には、一度もまばゆい光に裸身をさらしたこともなく、お蔵入りになってしまった映画もあることだろう。
 ぼくはそんなに映画にくわしいわけではない。ただ、日曜日に仕事をした後、夕方にちょっと出かけるだけで休んだという気分を味わわせてくれる、そんな映画館が大好きなのだ。
 ぼくの子どものころ、どの街の映画館も立ち見が出ていた時代、それでも映画館に行くお金もない人々もまた、たくさんいた。当然、ぼくもそのひとりだった。
 ある日、幸運がやってきた。母がしていた飯屋の前にポスターを張る代わりに、街の映画館のただ券をひと月4枚もらえるようになった。そんなわけで、ぼくが見た映画と言えば場末の映画館に流れ流れてくる傷だらけの3本立て。波が岩にあたり、三角マークが出る東映映画と、新しくもないニュース映画。これが映画との最初の出会いだった。
 高校生の時、はじめて洋画のおもしろさを知った。「映画は東映と日活や」と思っていたぼくに、「細谷、映画は洋画だよ」と同級生が言った。「言葉がわからん」というと、「おまえな、字幕っちゅうのがあるんや。洋画のおもしろさを教えたる」と、映画代をおごってくれて見た映画がジャン・ギャバンとアラン・ドロンのギャング映画「地下室のメロディー」だった。盗んだ札束が水に次々と浮かんでくるラストシーン。それを見つめるジャン・ギャバン…。そのとき、ぼくはもう一度映画と出会った。

深い森の湖にたどり着く愛と友情の旅人

 「世界の終わり」の図書館は、レンタルビデオが整然と並ぶヒデオショップのたとえの方があたっているかも知れない。見逃した映画や、むかし映画館で見た感動をもう一度味わいたくてビデオを借りる習慣が、ぼくにもある。けれども見逃した後悔がより大きくなり、映画館で見た感動がよみがえるどころか消えてしまうこともしばしばある。
ビデオが映し出す夜はうす明るく、朝はどこかうす暗い。かつて映画が持っていた圧倒的な暗闇と突き刺さる光のナイフは、どこに行ってしまったのだろう。
 ビデオショップもまた、映画の墓場なのだと思う。光と闇をなくしてしまった時代を生きるぼくたちは、その墓場から頭骨を取り出し、「古い夢」という映画の記憶を読み取らなければいけないのだ。

 今年、映画会をするならこの映画と決めていた。深い森の湖に入るレオン老人の美しい裸体。唇がすこし斜めにめくれるようなトニーの顔。死んでしまったレオン老人にそっとサングラスをかけるジョジョ。いかにもフランス映画らしく、この映画の登場人物は車をおどしとったり盗んだりする悪いやつなのだが、それぞれの孤独と絶望がなければ決して生まれなかった「純な心」を持っている。愛を探す旅はそれ自身が世代をこえた友情、愛、コミュニケーションなのだと教えてくれる。
「IP5―愛を探す旅人たち」をぼくは1993年2月、梅田テアトルで見た。忘れていたこの映画の記憶が、ぼくの心にあざやかによみがえる。
 あの映画はいま、どこに行ったのだろう。あれからぼくがたどった7年の間にいくつの街に行き、どれだけの人々の心をせつなく染めたのだろう。公開直前に死んでしまったイブ・モンタンはスクリーンの中でいつ旅を終え、どこの倉庫で静かに眠っているのだろう。
 映画会を企画する幸運に恵まれ、何本か新しい映画ばかりをやってきたが、2000年の今年、この映画でなくちゃだめだと思った。
 倉庫に閉じ込められた映画が、ぼくたちを待っている。映写機のジリジリという音。小さな映写窓、光のナイフに泳ぐ暗闇、ちょっと照れながら、ぼくたちの前に再び現れる銀幕のスター。夜の海で一瞬白く光る魚の腹のように、この古い映画がぼくたちによって上映されるのを待っているのだと思った。
 ぼくにとってこの上映会は、映画との3回目の出会いになるだろう。
 「IP5」! 純情だけをかばんに入れて、その映画はやってくる。

*いまはすでに映画館の上映もDVDになり、見逃した映画もネット配信で見られるようになりました。20年で時代は大きく変わりました。そして、わたしも今は能勢に移り住み、フートワーク軽く映画を観に行くことができなくなりました。

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