自由を広げるための想像力が国家の監視の道具になる共謀罪の恐怖

瀧口修造とアンドレ・ブルトン

シュルレアリスムを日本に紹介し、アンドレ・ブルトンやマルセル・デュシャンなど現代芸術の先駆者と交流を持ち、戦後は大岡信、草間彌生、武満徹など他分野に渡り数多くの作家を育てた瀧口修造は1941年、シュルレアリスムの前衛思想を危険視され、治安維持法違反容疑で特高に逮捕、拘留されました。
わたしは高校生の時、絵を描かない美術部員で「美術手帖」を愛読し、戦後の芸術をけん引した瀧口修造にあこがれていました。そして、その瀧口修造を危険人物とした特高とその背後の国家に、過去の事ながら恐怖を感じました。
シュルレアリスムの理論的支柱だったフランスの詩人アンドレ・ブルトンは、当時の政治的変革をめざす国際共産主義に共鳴しながらも、政治的変革だけでは人間は解放されず、その政治的な力が人間を抑圧すると、後のスターリニズムを予言していました。
瀧口修造もまた、政治的な変革よりも人間解放をめざす芸術に夢を膨らませていたのだと思います。当時の特高は共産主義革命による国家転覆を恐れていたのですが、彼らの監視の刃が政治的活動だけではなく、瀧口修造などの芸術家にまで向けられたことを、あらためて思い返さざるを得ません。
今、さまざまな理由をつけて「共謀罪」を成立させようとしているこの国は、またしても国家に異議申し立てをしたり、国家の望む道徳律からはずれる自由な国民を危険人物とみなし、人間の心を牢獄に閉じ込めようとしています。
当時の国民の大半がおそらく知らなかっただろう瀧口修造を逮捕・拘束する国家の「想像力」にわたしは恐怖します。
わたしは共謀罪の本当の恐ろしさのひとつは、本来人間を解放する道具であるはずの「想像力」が監視の道具として国家にはく奪され、利用されることにあると思っています。
そして、想像することが犯罪になるかも知れないという不安と恐怖は、わたしたちから想像力を奪い自由を奪うのと引き換えに、友人や親や妻子にすら猜疑心を持ち、自分の思いを他者に話さない、いや話せないまま口をつぐみ、国が用意する「善良な国民」という牢獄に閉じこもることになるのでした。
芸術の中でも大衆芸術としての歌謡曲や芝居に押し寄せる抑圧は、大政翼賛会運動や国家総動員法のもと、軍による検閲や自主検閲により表現行為が狭められて行きました。
共謀罪のターゲットは「危険な集団」で自分は守られる側にいると思っていたら、いつのまにか自分自身が「危険な人物」とされているという笑えない喜劇は、すでにはじまっているのだと思います。

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