湯浅誠さんのお話を聞いてきました。

7月2日、大阪市立浪速区民センターで、NPO法人共生型経済推進フォーラム主催の「共生型の社会を探る」(~被災地の未来と、支え合う地域つくりを共に考える~)というシンポジウムが開かれました。
湯浅誠さん(内閣府参与で震災ボランティア連携室長、元「派遣村」村長)が基調講演で被災地の復興はこれからの日本社会のあり方と結びついていること、「半福祉、半就労」という働き方を積極的に進めることで被災地をふくめた日本社会の就労問題への新しいアプローチの可能性を提案されました。その後のパネルディカッションでは法橋聡さん(近畿ろうきん地域共生推進室室長)さんをコーディネーターとして、「被災地の未来と、支え合う地域づくりを考える」をテーマに、勝部麗子さん(豊中市社会福祉協議会地域福祉課長、コミュニティソーシャルワーカー)、有井安仁さん(わかやまNPOセンター理事長)、斎藤縣三さん(共同連事務局長)に湯浅誠さんが加わり、それぞれのハネラーの方々の日常の活動のお話から被災地支援活動とのかかわりについて話され、議論されました。

貧困問題が示す日本社会のありようをえぐり、その解決にむけた取り組みから新しい日本社会のすがたを提案してきた湯浅さんは、被災地ではいま2つの貧困があると言います。
ひとつは家が壊れ、仕事をなくし、蓄えもない状態で生まれる新たな貧困ですが、もうひとつの貧困はもともとあった貧困、ワーキングプア、非正規雇用、請負、ホームレスなど、格差社会の底辺で少しずつ顕在化してきた貧困が、震災をきっかけに凝縮してあぶりだされると言います。
震災から4カ月になろうとする今、避難所に残されているひとびとはもともとの貧困をかかえている人が多く、幸か不幸か、震災前には見つからなかった人が、避難所にあつまったことでサポートの入り口になるチャンスも生まれています。
そして、貧困から脱出するには地域で就労していく道筋を制度的につくりだしながら、それぞれの貧困に寄りそい、復興のプロセスで誰一人取り残されないよう(「社会的包摂」・ソーシャル・インクルージョン)きめ細かいサポートが求められます。
阪神淡路大震災ではそれをせず、多くの震災関連死(孤独死など)がありました。今回でもすでに起きていますが、これ以上犠牲者を生まないようにするのが、残されたわたしたちの役割なのだと思います。
わたしたちの社会ではいままで、働くことと社会保障が併存しませんでした。ですから、日本の社会保障は年金に偏っています。働くか失業かの2つしかない労働観にもとづいた就労政策では被災地の地域雇用がまかなえるはずはなく、生活保護の受給を求めるひとが多くなります。日本全体の生活保護受給者の数は1952年と同じになっているそうです。
わたし(湯浅さん)は一般就労と失業の間に、中間的就労とよべる就労を制度的に位置づけることを提案しています。そうすることで、働くことと社会保障が併存する仕組みが生まれ、失業を減らし、生活保護に頼らない生活が保障されるのです。
たとえば障害者の就労について学ぶことで、その仕組みを考えることができます。
障害者の場合、福祉、つまり社会保障と就労が併存しています。就労継続支援事業B型は福祉の方に重点があり、就労継続支援事業A型は就労の方に重点があります。このような柔軟な働き方がマイノリティの分野でなく、マジョリティになっていくことで「中間的就労」を制度化し、失業者を減らし、そんなに多くの給料でなくても助け合いながら暮していける共生型社会への一つのアプローチになるでしょうし、「無縁社会」をつくらない社会的包摂の取り組みを進める大切なものになると思います。

湯浅さんのお話は、大きくみればまったくそのとおりだと思います。ただ、「中間的就労」のモデルとして障害者支援事業のA型、B型で説明されていましたが、ここはもしかすると湯浅さんの勘違いがあったのかも知れません。というのも、障害者自立支援法にもとづく就労継続支援事業はB型はもとより、A型でも福祉政策であって労働政策ではないと思います。もともとB型は生きがい対策だけで給料をともなわない授産施設や作業所に適用できるものですし、A型は福祉工場に適用されたものです。A型は雇用保険の適用や最低賃金の保障など労働行政と思われるかも知れませんが、あくまでもそこで「働く」障害者は福祉サービス利用者であり、事業所側はサービスの提供者になります。そのため、大きな問題になったのが利用者の一割負担の問題でした。当時は負担そのものが大きな問題となって目立ちませんでしたが、就労継続支援事業A型の場合、労働にかぎりなく近い形でありながら福祉サービスの受益者として位置づけられ、一割負担をせまられることになりました。
もうひとつ、湯浅さんは障害者ひとりひとりにあわせたサービスとして個別支援計画を肯定的にとらえられていましたが、ひとりひとりの支援ニーズにあわせたサービスと言えば聞こえはいいですが、実は障害者を国の福祉サービスの枠内に閉じ込めてしまうとても危険なものであることは障害者運動がかねてより指摘するところです。わたしたちは障害のある人もない人も共に働き、給料を分け合う就労の場を求めているのであって、障害者を福祉サービスの対象とする「就労の場」を求めているのではないのです。
それでも、湯浅さんのお話はとても大切な提案で、一般企業への就労が困難なひとの中間就労を制度化していく中で、障害者就労も福祉サービスの枠内に閉じ込めるのではなく、福祉と労働の複合政策による第三の道をめざすチャンスになるのではないかと期待します。

パネルディスカッションでは障害者運動の立場から、斎藤縣三さんがそのあたりをわかりやすく例を用いてお話しされ、参加者の理解を深めました。斎藤さんは近年障害者の就労問題から一歩踏み出し、湯浅さんとまったく逆の立場から社会的事業所の制度化とその推進を一貫して提案されてきました。社会的事業所とは障害者に限らず働きにくい立場におかれるひとびとが生き生きと働ける事業所で、そこでは障害のあるひともないひとも共に働き、ともに給料を分け合います。そんな働き方は湯浅さんの中間就労と同じで、被災地での就労をすすめる力となるだけでなく、被災地をいままでとはちがう、新しい日本社会のあり方を示す再生へと導くことを、力強く発言されました。
勝部麗子さんは豊中市社会福祉協議会の活動として、しのびよる「無縁社会」とたたかい、小規模な福祉の大切さを形にした活動を報告されました。
豊中市は阪神淡路大震災の被災地として、貴重な体験と課題を持っていました。避難所での公平平等の論理では今困っている人を助けられないと、必要なひとに必要な支援をとNPO活動やボランティア活動が生まれた16年前の経験がある一方で、復興の過程でコミニュニティがずたずたに分断され壊れていた姿も目の当たりにしてきました。
その経験が今回の災害に充分には生かされていないと思いながらも、被災地とつながる支援のあり方はさまざまにあり、目的がはっきりしている学用品を救援物資として届けたり、被災地の地酒を飲む会を開きその収益を被災地におくったりと、ユニークな支援活動を企画実行されてきました。
そして、被災地から疎開してきた11家族28人の被災者を訪問し、必要なものを届けたり池田、箕面の社会福祉協議会と共同で箕面温泉での被災者交流会を開いたりされました。その中で印象的なお話として、農業しかしてこなかった被災者から農産物をつくるために毎日触ってきた土をさわれない悲しみを聞き、地元の障害者団体などがしている園芸教室の講師になってもらったということでした。
勝部さんは、大阪府が進めるコミュニケーションソーシャルワーカー事業の担い手として、個別のニーズに寄り添うことでいろいなサービスの隙間を埋めることの大切さをうったえられましたが、この考え方は湯浅さんが提唱され、国がモデル事業としてはじめているパーソナルワーカーとほぼ同じ活動で、連携することでより効果的な活動になることが期待されます。
わかやまNPOセンター理事長の有井安仁さんのお話では、まずわかやまNPOセンターは多様な価値観や文化が尊重され共生できる社会をつくることをめざして10年になる民設民営のNPO活動を支援する組織で、和歌山県全域を対象としているとのことです。
今回の災害では和歌山県下のNPO団体がわかやまNPOセンターに結集し、相互連携しながら被災地支援活動をするためのコーデイネートをしているとのことでした。被災地支援活動に携わる人は現在150人が登録していて、毎週水曜日に定例ミーティングを開いている他、毎月11日に現地報告会を開いています。
とりわけ画期的なのは、一般の義援金ではなく、被災地の支援をするNPO団体の活動を支援する「支える基金」募金活動を展開し、200個の募金箱を一ヶ月単位で設置、回収し、累計2,374,295円の基金が寄せられたそうです。すでに第一回助成が終了し、4団体に各25万円の助成をし、現在第二回助成の選考中です。被災地支援とは言え地域を越えた支援活動を支援するこの活動は、息長く被災地とつながる支援活動として注目されています。

今回のシンポジウムは、被災地の復興プロジェクトの中でともすれば忘れられ、取り残されてしまう人々の存在が排除されることのない、共に生きるセーフティネットを市民の手でつくり、それを行政施策へとつなげていくことを課題として提起しました。そして新しい日本社会への再生は、「共に生きる」ためのさまざまな冒険から実現できることを確信し、今後の活動に有意義な集まりとなりました。

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