被災地の障害者作業所とつながっていくために

昨日、京都府相楽郡の相楽作業所で「東日本大震災関西障害者応援連絡会」の会議があり、参加させていただきました。
相楽作業所は16年前の阪神淡路大震災で、豊能障害者労働センターが障害者救援活動の救援物資ターミナルを担当した時、救援物資を何度も運んでくださったことを思い出します。今回の震災でも相楽作業所と京都、奈良のグループが集まり、被災地の友人グループの紹介で福祉避難所に入り、支援活動をされてきました。
昨日の会議は現地の支援活動の報告と今後の活動について話し合われ、わたしは「ゆめ風基金」の事務局長が会議に出席するのに同席させていただきました。
「直後の支援活動は知り合いや友人などそれまでにつながりのある所から支援を始めないと、いま困っているひとたちを助けられない」と現地にいち早く入り、支援活動をして来られた行動力に頭が下がりました。

今後はいままでの支援活動をつづけながら新しい支援として、被災地で障害者作業所が作っている商品をネットワークでの販売を始めることになり、すでに会議室の横の和室に宅配便の段ボールがいっぱいありました。このグループは何をするにもフットワークが軽く、福島県の作業所が風評被害で困っていると聞くと、すぐに現金で商品を買って来た他、岩手にも商品販売のために調査に行き、商品カタログといっしょにたくさん送ってもらったそうです。
テレビなどで被災地支援の一つとして被災地物産フェアーやイオンなどが支援プロジェクトをはじめたと報道ざれていますが、わたしたちは被災地の復興の過程で障害者や高齢者が対象となるのではなく、復興の担い手として参加していくことの大切さを訴えていきたいと思います。
障害者作業所の物づくりは長い間「福祉」の枠の中でしかとらえられて来ませんでしたが、実はいま注目されつつある「社会的企業」の経済活動として評価される時が来るとわたしたちは思っています。今度の復興は、日本社会全体のありようが問われる中で進めなければなりませんが、障害者が福祉の対象ではなく、福祉の担い手として、さらには社会の構成員として参加していくことで、よりやわらかく豊かな社会を実現する役割を果たすひとつの方法として、まずは被災地の障害者作業所の物づくりを支援していくことが必要ではないでしょうか。

わたしはかねてより、全国の障害者団体が作っている商品をそれぞれの地域で販売するだけでなく、生産余力がある時に他の地域で販売していくようなネットワークができないものかと考えてきました。この震災をきっかけにして、被災地の作業所がつくる商品からそれを実行したいと思っています。
すでに豊能障害者労働センターでは5月14日の「障害者救援バザー」で宮城の作業所の商品を販売し好評を得たところで、これからの通信販売や移動販売などでより広げようとしています。
これらの作業所はほとんどが福祉法人で、障害のあるひともないひとも共に給料を分け合っている豊能障害者労働センターとは福祉制度上の位置づけも運営の在り方もまったくちがいます。しかしながら、これらの商品の販売による収益は「授産分配金」とか「工賃」とかいわれ、障害者の手にお金がのることもたしかなことです。
そこで運営のちがいをこえて被災地の障害者作業所の方々とネットワークを組み、他の地域のグループにもよびかけて作業所の復興に参加していきたいと思っています。

しかしながら、この活動をより広げるためには解決しなければならない問題があります。
豊能障害者労働センターは地域で7つのお店を運営してはいるものの、対面販売だけではそんなに多く販売できないのが現状です。豊能障害者労働センターは地域での日常活動だけでは給料をつくりだせないため、通信販売でオリジナルのTシャツや雑貨を販売しています。被災地の商品の場合、とくに加工食品は2割程度の利益しかなく通信販売では送料で利益がなくなるか赤字になってしまいます。「被災地支援だからそれでいい」という考え方もありますし、現に豊能障害者労働センターでは救援バザーの売り上げはすべて支援金にしています。
けれども、豊能障害者労働センターでは通信販売など事業の収益をみんなの給料としてわけあって暮らしていて、利益がなかったり赤字になることは許されないのです。
それらの問題をこえて、障害者が作業所での生産活動に参加するだけでなくそれを販売したりその事業のマネージメントもにない、グループ全体の経営までもになう豊能障害者労働センターが息長く被災地の障害者作業所の商品を販売していくことは、被災地の復興だけではなく実は日本社会全体の在り方をも提案する一つではないかと思うのです。

そこで、わたしの夢ですが、たとえば利益率が低い商品の場合は対面販売もつまりお店での販売や地域での物産展を始めとするイベント販売にシフトしなければなりません。
そこで、被災地障害者市民事業支援基金を設立し、被災地にいくつかお店を開く。その店員を被災地の障害者がになう。
つぎに、全国のデパート、量販店に協力してもらい、販売スペースを有料無料で貸していただき、被災障害者市民事業物産展や物産コーナーで販売する。そのスタッフに障害者も担う。
宅配便業者に協力してもらい、送料を安くしてもらえないか。
通信販売の会社にも協力してもらい、カタログ上での被災障害者市民事業物産展や物産コーナーをつくってもらえないか。
それらにどうしてもコストがかかる場合、公的助成金を要望する。助成金に頼るのかと言われると思いますがそれはまちがいで、この助成金は障害者の就労のための助成金であり、生活保護に頼らないで障害者の自立生活をすすめるためにも、また通常の福祉助成金のように管理費につかわれるのではなく障害者の所得を保障していくためにも、もし事業仕分けに対象になった場合、ていねいに調査すればもっと大きくしていかなけれはならないものと評価されるはずです。
しかしそうなると、障害者作業所の生産能力をこえてしまわないか。そうなれば、いよいよ生産メーカーの協力を得て、共同生産体制をつくれないか。
これらの活動を通じて、いつも障害者が工場や市場や暮しの場にいることになり、被災地から新しい日本の社会の風景の一つがみえるのではないかと思うのです。

少し夢が妄想になってきましたが、もしかすると思わぬところで応援してくれる人や会社やグループが声をかけてくれるかもしれません。
夢は大きく、行動は地道に、できることから始めていけたらと思います。

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