この街を、この村を愛するひとたちの中に、障害者はたしかにいた

ひどい風邪をひいてしまい、まだそれが良くならないのですが、しばらく休んでしまったゆめ風基金の事務所に行きました。老いた私に仕事を置いておこうと気を使ったのか、ブログの更新が止まったままで、4日分のメールからブログの編集をしました。

ゆめ風基金の事務局長がちょうどその間に仙台に行って来て、現地で救援活動をしている被災地障害者支援センターのスタッフから今までの活動の実際を聞き、激励してきました。
彼女が言うには、支援センターの障害者はとても元気で、いままでに160件の案件を解決してきたそうです。地震直後から身のまわりの避難所や個人宅などに「障害のあるひとで困ったことがあれば連絡してください。全国のゆめ風基金ネットワークが応援してくれていますよ」と働きかけてきたといいます。
現在はゆめ風基金の理事の八幡さんをはじめ、応援スタッフといっしょに岩手や仙台の南までの海岸に向かって障害者が孤立していないかと探し回っているということでした。
「障害者がいない。高齢者がたくさんいらっしゃる」という声は、現地に入ったひとたちからよく聞かれます。たしかにこの地域は障害者が自立生活をおくることにきびしい土地柄で、在宅から施設へと行くのが当たり前だったと、20代で自立している障害者が言ったそうです。
この間の現地レポートで、60才の女性障害者は親の意向で学校にも行けず、福祉サービスも一切受けず、年金はローンの返済に充てられ、弟の連れ合いが運ぶおにぎりがほとんどの食事だったといいます。
今回の震災で、家族とやってきた避難所の炊き出しで、二十数年ぶりに味噌汁を飲めたという、かなしいエピソードがありました。
この事実は決して東北という地域が保守的だとか、みんな我慢強くて障害者も我慢しなければならなかったとか、そんな言葉で語ることはできないと思います。この地域で、糸が切れ掛かりそうになりながら連綿と活動を続けてきた被災地障害者支援センターの人たちをはじめ、東北に散在する志を持った人たちのねばりづよいたたかいがあることに勇気がわいてきます。原子力の問題も、この地が日本の穀倉地帯でもあり、豊かな漁村地帯であることもふくめて、わたしたちの暮らしを支えてきた地域だからこそ、今回の地震をきっかけに、この地から「共に生きる町」づくりの担い手として、現地の障害者の仲間が各地で立ち現われるのを全国の仲間たちが助け合って応援したいと思います。

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