街頭募金とヤフー基金

今日の朝早く被災地から帰ってきた、ゆめ風基金の八幡さんの報告会がありました。
今日の今日という呼びかけでしたが、40名をこえる人たちが参加し、マスコミの方もたくさん来られました。
地震から11日、地震発生当初は連絡がとれず、現地の障害者が無事なのか、どんな状況なのかわからず気ばかりがあせり何日かか過ぎましたが、17日に八幡さんが現地に向かい、郡山と仙台に被災地障害者支援センターの立ち上げの話をすすめることができました。
それぞれの拠点が動き始めるために、長期でサポートに入れるひとを派遣することと、刻々変わる救援物資の要望を東京と大阪の救援本部で調達し、関西では滋賀県のポテトファームが救援物資ターミナルを引き受け、すでに2回運んだとのことでした。
ひと、もの、そしてお金と、救援活動がいよいよ本格的にはじまったと言えるでしょう。

会議で個人的に気になった報告がありました。19日の街頭募金の話でした。街頭募金行動は支援金を求めることだでなく、被災地にたくさんの障害者がいることを伝え、報道されていない障害者の状況を伝えることに本当の意味があるとわたしたちは思っています。
19日は車いすを利用している障害者20名をふくむ80名が参加されたそうですが、阪神淡路大震災の時に比べて冷めた感じで、チラシを受け取ってくれるひともすくなかったとのことでした。大阪のひとにとって東北が遠いからなのか、不景気だからか、世の中が変化したのかわからない、と報告がありました。

わたしは、ほんとうはそうでもないように思うのです。それが証拠にヤフーのインターネット基金では地震発生当初からすごい勢いで基金が集まり、現在13億円近くにもなっています。
阪神淡路大震災の時、障害者救援本部の情報伝達手段はFAXと電話で、それ以後インターネットや携帯が普及しました。今回の地震ではツイッターが大活躍していますし、わたしたちですらメール、ブログなどが情報発信の中心になっています。よくも悪くも、コミュニケーションの手段が大きく変わった以上、障害者の活動も時代のメディアを必要としているのだと思います。

一方でそれでも、と思うのです。人間が生身の体を持つ限り、肉声のよびかけや、体を全身使う身体表現、ほとんど無表情の中の、たった一瞬の表情が大切な伝言であったりすることには変わりがないと思います。
時代が猛スピードでバーチャル化する今、かえって原初的ともいえるフリーハンドで自由な肉声が、想像力という燃料の働きではるかに遠くのひとに伝わる場合もあると思うのです。
ですから、時代の変化を受けたとしてもひとがひとに大切な何かを伝え、助けてほしいと切実に願う行動である街頭募金はわたしたちが必死に伝えたり、新聞やテレビで伝えられたりすることで少しずつ大きな動きになっていき、応えてくれる多くの市民が現れると信じています。

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