青森のおばあちゃんの話

朝のNHKの放送を見ていたら、東京などで買いだめ騒ぎが続いていて日用品が不足しているというニュースを見て、青森のおばあちゃんが「こまっているみたいだから、何か送ってあげたい」と思ったけれど、宅配便がとまっていると聞いて断念したというエピソードが紹介されていました。
ガソリンや食料などの買いだめの動きが、政府が強制的な対応も検討していると声明を出すほどの大問題になっていることで、行政機関だけでなく市民の間でも「自分だけ良ければという意識を自粛してほしい。買い占めによって被災地に物資が回らなくなる可能性がある」と懸念の声が上がっています。実際に被災地の人々からも「被災地に物資が届くように、買占めしないで」という悲痛な叫びが聞こえてきます。

青森のおばあちゃんがどの程度の被災状況かはわかりませんが、この笑えない笑い話に涙がでます。
自分が被災していても、だれかが困っていると聞くと助けたいと思う気持ちは、救援を求めている被災地の人々だけでなく、救援活動を担う人々にも勇気を与えることでしょう。
1995年の阪神淡路大震災の時、被災地の障害者に救援物資を届けながら、一定期間がたつと救援金、復興金が必要と思い、豊能障害者労働センターは救援金をつくるためにバザーを開きました。
この情報を伝えると全国各地からバザー用品が送られてきましたが、その中に被災地から送られてきた物がたくさんありました。
「顔をあわせると、あんた生きとったん、と手を握り合っています。棚からいっぱい物が落ちて来てね。うちらができへん障害者の救援活動に役立てて」と、どちらが被災者なのかわからない手紙にみんなで泣きました。
また、「救援物資を届けるついでに、うちの家の前においとくから取りに来て、わたしは避難所にいて留守やから。」と電話がかかり、混雑する被災地の道路を走りなんとか家にたどり着くと、つぶれかけた家の前にバザー用品が置いてあったこともありました。
そんな被災地の人にはげまされながら、わたしたちは救援活動をつづけたのでした。

被災した障害者は教育の機会も十分に保障されず介護支援も少なく、その当時よりは改善されたもののまだまだバリアがあり外出もままならない中で、それでもこの街を愛し、この地域の人びととともに街の復興を願っていて、そのために自分も何かできることをしたいと思っているのです。
ですから、障害者救援本部の活動は、現地の被災障害者団体がすすめようとする救援活動を共に担うことなのだと思います。そのことを、わたしたちは16年前に学んだのでした。

青森のおばあちゃんはきっと素朴な思いを語ったのだと思います。
人間は昔もいまも、助け合って生きることがほんとうのライフラインだったのだと、あらためて教えてもらいました。

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