東日本大震災から4年とメルケル首相来日

東日本大震災から4年が過ぎました。
ここ連日、マスコミ報道がつづき、町の復興は遠く、ひとびとの暮らしが復活どころか、福島のように故郷に戻ることをあきらめざるをえない現実などが伝えられています。それでも日本人全体が少しでも明るい未来を求めていることに応えるように、各地の明るいニュースを報じられてきているのもまた事実で、その中にはほんとうのこともあるでしょうが、切ない願望もあることでしょう。
被災された方々には叱られるかも知れませんが、あの震災の当日、わたしはまだ片づけていないこたつに入りながら、いつものようにテレビドラマの再放送を観ていました。
最初はテロップで大きな震災のニュースが入り、それからすぐにドラマは取りやめになり、震災のニュースに切り替わりました。マグニチュード9.0という観測史上最大の地震と報じられ、現在は大阪府能勢町に住むわたしは20年前の阪神淡路大震災での記憶がよみがえりました。
実は20年前の地震を体験して以来、夜寝床に入るとそれまではしっかりした大地と結びついているような安心感があったのですが、この20年間いつもふわふわ宙に浮いているような感じで、体がおぼえているのでしょうか、ゆれているような感覚があり、それまでのような安心感がない夜を過ごしてきました。
ですから、最初は阪神淡路大震災の経験から地震のゆれによる建物の崩壊や火災が心配でしたが、報道から受け取る感じではそれほどの切迫感を持てず、ほんとうに申し訳ないのですが遠く離れた地域に住んでいたこともあり、マグニチュードの大きさほどの被害を感じ取ることはできなかったのでした。
それからすぐに津波警戒が報道されるようになりました。台風による大阪湾の高波も津波も経験したことがなく、津波の恐ろしさをまったく知らなかったわたしは津波第1波の各地の観測データが「50cm~20cm」と報道された時、その30分後にあんなに大きな津波が押し寄せることを想像できませんでした。
そして、今は制限がかけられている津波被害のテレビ映像が延々とつづけられるようになりました。テレビの映像は残酷で、わたしたち夫婦は自分たちは安全な所にいながら、津波の濁流にそぎ落とされるように大地がなくなり、家も人も何もかもが津波の刃の先で転がるように運ばれ、次々と人々が飲み込まれていく瞬間瞬間を見ていて、「あっ、そっちに行ったらのまれる」と聞こえるはずもないのにテレビに向かって叫んでいたのでした。
その映像は長い間実況中継されていて、今では死者15891、行方不明者2584、震災関連死3194という想像もできない数字で示されるひとつひとつのかけがえのないいのちがテレビ画面の中でどこか現実感を喪失したまま消えていきました。
しかもその被災当事者たちは自分が遭遇している壮絶で悲惨な現実を安全な場所からテレビ画面を通して見ているわたしたちのことを知る由はなかったのでした。マスコミはおびただしい情報によってより遠くより多くのひとびとにその悲惨さを伝えることに成功しましたが、一方で被災当事者が直面した現実とはかけ離れた空虚な現実しかわたしたちは受け止めることができませんでした。
そして、福島の原発事故はさらにわたしたち日本人の生き方を問い続けることになったのだと思います。わたしは決して高度経済成長の恩恵を大きく受けるほどの才覚も能力もなく、特に豊能障害者労働センターのスタッフになってからは世間の所得水準とはかけ離れた所得しか得ることができませんでしたが、それでも「貧乏もまた近代化する」の言葉どおり、実際のところは周辺地域の人々へのしわ寄せを知らないまま、成長のおこぼれを得ていたことも事実です。それが当たり前のように思っていたわたしは、長い間「成長神話」を信じていました。
しかしながら、高齢社会のもとでの地域格差や都市集中、成長がもたらすとされた経済的な中間層の崩壊、最近のピケティ現象でにわかに言葉化された所得格差、資産格差、そして原発に頼らないと経済が成り立たなくなり、社会が壊れるかのように喧伝する国や産業界への不信など、東日本大震災はそれまでに潜在し、顕在化しようとしていたたくさんの問題を一気に噴き出させました。
安倍首相は東京オリンピックの誘致のプレゼンテーションで、「福島原発事故のアンダーコントロール」を声高に宣言しました。その発言に福島だけではなく、全国から疑問の声が上がりましたが、今では福島と福島のひとびとを日本社会から遮断し、「アンダーコントロール」(管理下に置く)という意味だったとしか思えません。しかも、事故の収拾がどんどん遠ざかる一方なのに早々と原発の再稼働をすすめ、原子力技術の輸出まで認めて「成長神話」を信じきる政府の描く未来を、わたしは信じることはできません。
一方でわたしもそのひとりに加えてもらいたいのですが、福島原発事故はそれまでの社会構造や経済の在り方を根本から見直すことで、後世のこどもたちに許してもらえる未来に少しでも近づく努力をしなければならないと思うひとびとをたくさん生み出すことになったと思います。
先日、ドイツのメルケル首相が来日しましたが、福島原発事故を直接経験した日本とまったく正反対の方向へと社会のかじ取りをしたのがドイツでした。事故までは日本もドイツも30パーセントを原子力に頼っていましたが、福島原発事故発生直後、ドイツは原発17基のうち8基を直ちに停止し、残りの9基の原発も2015年から2022年の間に停止することを決定しました。ドイツの選択に対して日本の政府や原子力推進派は太陽光発電の買い取り価格の問題などを取り上げ、日本国民の暮らしを守るためには経済成長が必要で、そのためには原子力発電を「より安全に(?)」に継続しなければならないという主張を変えようとしません。しかしながら、原子力から自然エネルギーへの政策の転換にともなうドイツ経済が順調であることは欧州の経済危機の中でもきわだっています。
メルケル首相の来日のニュースを知り、わたしは地震発生直後のある出来事を思い出しました。
わたしは地震発生から数日後に、被災障害者支援「ゆめ風基金」で働くことになりましたが、そんなわたしにある日、古い友人から電話が入りました。彼は長年東京にあるドイツの会社の日本法人で働いてきましたが、原発事故が発生し、ドイツの本社からの指令で会社機能をすべて大阪に移転し、東京や東京近郊に住む社員全員とその家族を大阪に一時移住することを半強制的に提案しました、彼は会社の指令に基づき、大阪に一時避難してきたことを告げました。
そこにはドイツ政府の明確な意志が反映していて、当事者である日本政府のそれから現在までの対応とくらべて、あまりのちがいを身近に感じる出来事でした。
もちろん、わたしはこの事故による障害者の出生などにより、水俣病などであった社会全体の地域差別や障害者差別には立ち向かわざるを得ないのですが、原発事故を遠く離れたドイツがこの事故による放射能の被害を大きく受け止め、影響を受ける可能性のある日本在住の国民の安全を守るために敏速に対応したことと、原子力エネルギー政策から自然エネルギー政策に変換したこととはつながっていて、近代国家が国民を守るためにこそ存在するはずだったことを教えてくれたのでした。

東日本大震災から4年とメルケル首相来日” に対して2件のコメントがあります。

  1. TARK5 より:

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    tunehiko様 ご無沙汰でございます。

    同感です。
    tunehikoさんの意見と同じ様な事を
    私のblogにも書きましたが、私はメルケルさんの来日をかなり興味を持って見ていましたが想像以上に突っ込んだ発言をされたと思います。日本には勿論ですが、中韓にも
    かなり重要なメッセージを発したと思います

    原発に関しても世界中が注目していましたが
    皮肉にも日本の反応が一番鈍かったのでは
    なかったでしょうか?

    メルケルさんを見ていると日本の政治を生業としている人達と比べて人間力にかなり差が有る様に見えます。

    私はメルケルさんの来日を機会に
    「日本とドイツ」と題してblogを書こう
    と思っています。今はドイツの良心と
    言われたヴァイツゼッカー元大統領の
    演説集を読んでます。

    豊能障害者労働センターと ゆめ風基金が
    さらにフクシマと連携する事を
    期待しています。

  2. tunehiko より:

    SECRET: 0
    PASS: 04e60c26645b9de1ec72db091b68ec29
    TARK5様
    さっそくのコメントありがとうございます。
    TARK5様のブログをお訪ねしたら、同じ趣旨の記事を書いておられたのですね。
    それ以外にも、いろいろな出来事に適格な記事を書いておられて、わたしも見習いたいと思います。
    お互い戦後すぐの生まれで、いろいろあっても「戦後」という時代が続きましたが、大きなパラダイム転換がせまってきている今、こんな小さなブログの場であっても自分の想いを表明することでしか、同じ想いを持ったひとと出会えないですものね。
    これからよろしくお願いします。

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