林英哲さんの太鼓と小室等さん 「飛騨の夏祭り」

8月10日、飛騨高山へ林英哲さんの太鼓を聴きに行きました。正確には了徳寺というお寺で「飛騨の夏祭り」のメインイベントとして開かれたもので、林英哲さんと英哲風雲の会の田代誠さん、辻祐さんの和太鼓演奏と小室等さん、こむろゆいさんのユニットとの共演でした。
わたしは今、被災障害者支援・ゆめ風基金でアルバイトをしています。ゆめ風基金は1995年の阪神淡路大震災の教訓から、被災した障害者の救援・支援活動をすすめているNPO団体です。全国の障害者市民運動のネットワークと、永六輔さん、小室等さんをはじめとする呼びかけ人の二人三脚で、2011年の東日本大震災においてもいち早く理事が被災地に入り、行政はおろか、他の基金でも届きにくい被災障害者に直接届ける基金と救援活動のコーデイネート、防災・減災の取り組みをすすめてきました。
発足以来、ゆめ風基金は障害者市民運動の活動に加えて、永六輔さん、小室等さんなど呼びかけ人を中心に数々のイベントを通じて、総額で4億円を超える寄付金が寄せられました。今回の東日本大震災ではそれまでに寄せられた基金を救援金・支援金として被災地の障害者に直接届けることができました。

そのゆめ風基金が来年の20周年記念イベントに和太鼓の林英哲さん、サックスの坂田明さん、そしてゆめ風基金呼びかけ人の小室等さん、こむろゆいさんのライブをすることになりました。
きっかけは2011年7月11日に東京新宿の「スペース・ゼロ」で開かれたスーパーセッション「小室等音楽活動50周年ライブ~復興~」がきっかけでした。このライブは震災の渦中で小室さんが「音楽をすることの無力感」に襲われ、一時は取りやめようと思われたそうてすが、小室さんとかかわりの深いアーティストたちのはげましによって開催されたのでした。 1960年代から日本の音楽シーンを牽引し、疾走してきた小室等さんの膨大な作品の中から選ばれた名曲を、その場に結集した20人を越えるアーティストが単なるお祝いとしての演奏ではなく、小室さんの根源的な問いかけを自らへの問いとして受け止め、理不尽に奪われたいのちへの鎮魂と、明日へ旅立つ決意を持って演奏されたすばらしいライブでした。
このライブの貴重な記録はその半年後に2枚組のアルバムCDとして発売されましたが、わたしにとって島津亜矢と曽我部恵一のアルバムとともに、毎日勇気をもらう大切なアルバムとなっています。
そのライブで演奏された「老人と海」は林英哲、坂田明、李政美、谷川賢作、吉野弘志、渡嘉敷裕一によるスーパーセッションでしたが、林英哲も坂田明もこの曲がはじめての演奏だったと思うのですが、まずは坂田明が見事なアドリブを聴かせた後、一瞬静まった後に林英哲の太鼓の独奏が入りました。それは見事な演奏で、会場に地響きとともに海が一気に押し寄せるようでした。さらに、大太鼓による繊細な演奏は波打ち際で行きつ戻りつする水の音と夏の光にきらきら光る海を想起させ、「老人と海」で歌われる老人の今につづく長い時と海への思い、そしていのちのやり取りを繰り返した魚たちへの愛をすくい上げるのでした。
この演奏を聴いたゆめ風基金代表の牧口一二さんが、林英哲、坂田明お二人にゆめ風基金のライブに出演してもらえないものかと、小室等さんにお願いしていました。
それから早や3年の月日が流れましたが、来年の8月16日、大阪中之島の中央公会堂での20周年のライブという形で、念願の計画が実現することになりました。
そんな事情から、いち早く林英哲さんに正式な日程をお知らせし、お礼とお願いを兼ねてこのイベントに参加することになったのでした。

ところがその一週間前ぐらいから台風11号の進路が日本列島を縦断する気配でした。しかも日が近づくととともにますます「危ない」状況で、イベントが中止にならないか、また決行されるとしても大阪はより確実に台風の影響を受けるようで、新幹線や名古屋からの高山線の運行状態など、予断を許さない中で、ゆめ風基金のKさんとわたし、それと豊能障害者労働センターのFさんの三人はまだ定刻通りに新大阪駅を発車した新幹線に乗り込みました。実はわたしは、その新幹線に乗るには始発の阪急バスに乗らなければならず、ちょうどその時刻に台風がもっとも大阪に接近するという天気予報でしたので、もし始発バスが運休になれば新大阪駅にまにあわないので、前日に新大阪の近くのホテルに泊まることにして、やっとこさの出発でした。
さて、定刻通りに出発はしたものの、案の定列車は遅れ、名古屋駅に40分おくれになってしまいました。名古屋駅で高山行の特急座席券を交換し、高山までの3時間半をよもやま話でつなぎ、20分遅れで高山駅に着きました。
会場まではバスに乗る予定でしたがそれでは間に合いそうにもなく、タクシーで会場のお寺・了徳寺に着いた時はすでに開場が始まっていました。
台風はちょうどわたしたちを追いかけるようにやってきて、風も雨もとても激しく、聴けばちょうどイベントの開催時刻である2時から4時ぐらいがこのあたりにいちばん影響があるということでした。
土砂降りの中、若いボランティアスタッフがとても丁寧な対応でわたしたちをお寺のお堂にまで案内してくれました。
お堂の中には200人はいたでしょうか、この天候にかかわらず満員で、続々お客さんがやって来るので、急きょお堂の中をより開放する形でセットされている太鼓の後ろにもお客さんが入り、隠されていた仏さんまでも太鼓の後ろで丸見えになりました。
このお祭りは実はゆめ風基金の初代呼びかけ人代表だった永六輔さんの発案ではじまったと、司会をされていた稲本正さん(木製家具で有名なオークヴィレッジ社長)が話されていました。
全国各地に散在する様に、ここでも地域の生活文化を育てるひとびとが永さんと出会い、永さんとともにささえ、続けてこられたのがこの「夏祭り」なのでした。
林英哲さんは1982年に太鼓独奏者として活動を開始、1984年、初の和太鼓ソリストとしてカーネギー・ホールに出演されたのですが、永さんは早くから林英哲さんを応援していて、この夏祭りでも永さんの紹介で出演し、その後も何度も出演されてきたそうです。
今年、9年ぶりに「夏祭り」が復活し、林英哲さんの太鼓が久しぶりに飛騨の森に響きわたり、風に溶けるこの日をむかえたのでした。
いよいよ時間となり、風も雨もますますはげしくなってくる中、林英哲さんと英哲風雲の会の2人が登場しました。

ここまでですでに紙面がオーバーしてしまいました。すぐに次回へと続きます。

映画「林英哲/朋あり」

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