林英哲さんの太鼓と小室等さん 「飛騨の夏祭り」2

終演後のサイン会 左から 林英哲さん 小室等さん こむろゆいさん

林英哲と英哲の会の田代誠、辻祐の3人が登場し、仏さんに拝礼し、演奏が始まりました。はっきり覚えていないのですが、最初は小さな太鼓をたたきながらだったと思うのですが、やがて真ん中の大太鼓の前に林英哲がたち、たたき始めるとその地響きが御堂の外で激しくなる一方の雨と風にとけて行きました。
最初にびっくりしてしまうのは、どんなにはげしく叩いてもまたどんなに小さな音を紡ぎ出しても、3人の呼吸もバチさばきも言葉通り一糸乱れないことでした。そして、若い二人はもちろんのこと、62才になる林英哲の筋肉隆々の後ろ姿はボディビルの選手のようで、わたしには想像もつかない体力の鍛練と、とても厳しい太鼓の訓練を毎日続けられていることがわかりました。
そこには、いのちの源流から遠く響く和太鼓のリズムが彼らの強靭な肉体と太鼓との対話から呼び起こされ、その場に言わせるわたしたちの肉体を通り、肉体に潜む心を共鳴させ、人間の故郷の胎内回帰の森と海へとわたしたちを案内してくれるのでした。

林英哲がソロ活動を始めたのは1982年と知りましたが、わたしがはじめて林英哲の太鼓を聴いたのは1996年4月17日、吹田市のメイシアターで開催された山下洋輔と林英哲のデュオ・コンサートでした。
わたしは山下洋輔が好きでしたが当時のLPレコードを何枚か聞く程度で、その頃はライブに行く習慣がありませんでした。ちなみに、来年のゆめ風基金のライブに来てくれる坂田明は山下洋輔トリオの二代目のサックスでした。
そんな具合でしたから、山下洋輔を聴きに行くのが目的で、まだ林英哲を名前ぐらいしか知りませんでした。そして不明ながら、山下洋輔のピアノに気を取られて林英哲の演奏をきっちりとは聞いていなかったのだと思います。言い方をかえれば、山下洋輔のピアノもまた林英哲との化学反応を起こしていたはずですから、この時のライブのすばらしさを感じとれないままだったのでしょう。

今回の林英哲の演奏を聴き、わたしははじめて太鼓のすばらしさを感じ取ることができました。今まで何かのイベントのオープニングなどで素人集団の太鼓を聴く機会がたくさんありましたが、いわゆる鳴り物入りと言う感じでそれはそれで楽しい演奏なのですが、へそ曲りのわたしはリズムやテンポの乱れなどが地響きと立ち振る舞いでごまかされているように感じていました。
林英哲とその弟子にあたる2人の演奏にはまったくごまかしが無く、観客であるわたし自身にすらごまかしを許さないような切迫感がただよっていました。
まったくの素人の感想ですが、大太鼓からの大きな音ですら信じられないスピードとスナップがきいているため、空気を切る音がクリアで、その前にたたいた音や別の人がたたいた音とが混ざらないまま共鳴するのです。
そして、ぴったりと息のあった演奏には100分の1秒もずれがなく、余程の訓練の裏付けがないとこんな演奏はできないと思います。
さらに言えば、英哲さんが大太鼓の周辺をバチでなでるように、それでいてしっかりとしたリズムで静かに小さく、時にはさするようにして生まれる音はこれが太鼓、しかも大太鼓の音とは信じられません。この音は海の波打ち際のようでもあり、また深い森で生まれる音楽の泉の湧き出る音のようでもあり、あるいは木々を揺らし葉をこそばし、路地を抜け、ガード下で遊び袋小路で行きまどう一陣の風のようでもありました。
わたしはドラムスは今ある空間を破り、新しい音楽の荒野へとわたしを導く楽器のように思ってきたのですが、和太鼓は反対に破れてしまったいくつもの時代の空間を縫い合わせ、人間と自然の遠い記憶の彼方に忘れられていた静かな音たち、いくもの時代に生まれ、去って行った星の数ほどの愛おしいいのちたち、その無数のいのちたちを励まし、癒し、勇気づけてきた音楽と歌をよみがえらせる祈りの楽器であることを知りました。
そういえば、村上春樹の名エッセイ集の題名は「遠い太鼓」だったと、今思い出します。

太鼓演奏の2曲の後、われらが小室等、こむろゆいのユニットが登場しました。この親子ユニットの演奏は、古くは始まったばかりだったと記憶する2007年ぐらいから聞いてきましたが、最近ますますユニゾンコーラスがとても密になっていて、そのぶん時々のハーモニーが心地よくなります。「心地よさ」といえば、わたしは1970年代からの小室等のファンですが、しばらく遠ざかっていた時期があり、2002年だったでしょうか、香川県の障害者団体の応援で小室等さんのライブのスタッフをした時、久しぶりに聴く小室さんの歌は「年をとること」ですばらしい進化を遂げていて、ほんとうにびっくりしたことを今でも覚えています。
その感覚が「心地よさ」で、ほんとうは自分の作詞・作曲した歌の数と質でもシンガー・ソングライターの先駆者として、今のJポップスへとつながる偉大な道筋を切り開いてきたひとなんですが、全国どこへでも誰かが望めば出向き、小さなイベントでも大きなイベントでも変わりなく、ギター一本で歌う小室さんは年を重ねることで今はやりの「ゆるキャラ」のごとく「心地よさ」を届けてくれるのでした。
その上に昨今のゆいさんとのユニットではより自然で、またより正直に世の中の哀しいでき事や理不尽な事件、国の暴力への怒りを静かなメロディーに乗せて歌っていて、説得力というのは声高に叫ぶだけではなく、静かな言葉とやさしい決意、時には声にもならない小さな吐息によっても語られ、歌われることもあると、しみじみ感じます。
その後、太鼓と小室さんとの共演で「老人と海」、「ヴェトナミーズ・ゴスペル」が歌われました。小室さんはフォーク歌手と言われて久しいですが、わたしはずっと前から、とくに先ほどの2002年ぐらいからはそうは思っていなくて、林英哲さんが醸し出す小さな太鼓の音ととても共鳴する歌心と声の質感があると思ってきました。
また林英哲さんもまた、太鼓をたたきながら民謡などをベースにした歌を見事に歌っていて、2人の共演は歌がすでにジャンルや言葉や、時には国境を越えた人と人とのつながり、人と自然とのコミュニケーションの大切なツールの一つなのだと教えてくれました。
先日の新聞で映画監督の大林宣彦が「映画は風化しないジャーナリズム」と名言を言いましたが、「音楽もまた風化しない希望の物語」であることを、今回のライブは教えてくれたのでした。

林英哲 Eitetsu Hayashi "海の炎 -UMI-NO-HONOH-"

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