祇園祭と京都のひとびと

バルテュス展を観終えて美術館を出るとまだ京都の午後は暑く、涼みながら一休みするため近所のおしゃれな喫茶店で小一時間ほど過ごした後、祇園まで白川沿いに歩きました。
どこのバス停からも京都駅方面のバスが走っているのですが、岡崎公園から祇園までは歩けない距離ではないので、お祭りでにぎわう街並みを楽しみながら歩くことにしたのでした。
夕方からは少し風が出てきて、特に暑かったこの日の京都もようやく昼の熱気が遠ざかり、汗が噴き出ることもなくなりました。白川はきれいな川で、歩き始めた道は生活道路でしたが、町全体が観光の町としての風格を持っている京都らしくよく整備されていました。このあたりは桜の名所としても有名です。
京都の観光スポットのひとつである祇園白川に着くと京の町家が並び、花嫁さんが観光客の家族連れに頼まれ記念写真に応じたり外国の旅行客が写真を撮っていたりしていて、京都の風情にあふれ、しかも祇園祭の真っただ中にやってきたことを実感できました。
白川沿いの道から最後は花見小路通と四条通を歩きました。このあたりは6時ぐらいから八坂神社の3つの神輿が町を練り歩く祇園祭のメインの行事が始まろうとしていました。ここまでは祭りの雰囲気を楽しむだけでしたが、さすがに人また人で、せっかく来たのだからわたしたちも神輿が来るのを待っていたらいいものを、やはり祭りの賑わいをさけ、妻が決めていた先斗町の飲み屋さん「はっすんば」へと急ぎました。
歌でしか知らない有名な先斗町に足を踏み入れると、狭い通りにもぎっしりとお店がひしめき、その上に狭くて長い路地にもお店がずらりと並んでいました。
まだ5時過ぎで明るく、雰囲気が出るのは暗くなってからなんだろうと思いつつ、お目当ての「はっすんば」をやっと探し当てました。人気の高いお店と聞いていて、予約もしていなかったこともあり、5時半開店とあったのですが、とりあえずお店をのぞき声をかけると、丸坊主で体格のいいお兄さんが上半身裸で準備されていて、「5時半からです」と言われました。
時間待ちのために先斗町を見学していると、やはり外国人の旅行客が多く、お店に入るというより写真を撮るのが目的のようでした。

いよいよ5時半になり、一番乗りでお店に入りました。カウンターが6席ぐらいと奥にテーブル2つとこじんまりしたお店でした。わたしは料理のことはあまりわからず、グルメのレポートはできないのですが、とりあえずビールを飲み、妻がインターネットで調べていた「はっすん前菜」を注文すると、これがなかなかのボリュームでかつ丁寧につくられた、少し濃い味の煮物で、通しの薄味の吸い物との調和が絶妙でした。
ビールの後は日本酒を楽しみながら、出し巻たまごと、穴子と蓮根饅頭の2品を注文しました。どちらもとても丁寧につくられていることが料理に現れていて、その丁寧さが優しくふところの深い味になって居るようでした。とくに穴子と蓮根饅頭はとてもおいしくいただきました。
2人で少ししか料理を頼まなかったのですが、けっこうお腹がいっぱいになってしまい、一時間ちょっとでお店を出てしまいました。
この後、妻の計画ではショットバーに行くことになっていたのですが、一日歩き疲れたこともあり、近くの酒屋さんでウイスキーのハーフボトルと氷を買い、早いけれどホテルに入ることにしました。神輿はもう通り過ぎていましたが町は大変なにぎわいでした。結局祭りの周辺をなぞるような一日でした。

なんにも見ていなし参加していないのに、それでもわたしはわたしなりに祇園祭が好きになりました。千百年以上も前に、全国に疫病が流行し、厄払いのために朝廷を中心とする時の為政者たちが始めたといわれるこのおまつりは、その後、幾多の戦や戦いを乗り越え、京都の町衆たちによって支えられ、受け継がれてきたといいます。
3大祭りのひとつとしてあまりにも有名で、これほどの賑わいのお祭りなのにどこか静かなお祭りのように感じたのは、わたしがお祭りのど真ん中にいなかったせいだけではないと思います。疫病で死んでいったひとびとへの鎮魂の願いがこのお祭りのはじまりであったこと、そして為政者から民衆に祭りの主体が移り、死者の霊魂に祈りをささげ、無数のたましいとともにいくつもの時代を越えてきたひとびとの、記述されなかった歴史を語り継ぐお祭りであったことをあらためて知りました。
わたしもまたこの2日間、そんな無数のたましいとともに京都の町にいたのでした。

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