自由と音楽は手をつないでやってくる

今年で最後の春一番 BE-IN LOVE-ROCK

安酒呑んで串にどて
5月にゃ野音で春一番
人情 カラオケ 大道芸と
柵もなかった公園で
これがオイラのふるさと天王寺
これがオイラのふるさと天王寺
(「天王寺」木村充揮)

「私たちも失うものが多くなり、ふっと気がつくとあれほど観たかったコンサート、聴きたくてうたいたかった歌をも見失っている。手間暇かけ、プロデューサーの熱意がこもったコンサートがない。血の通った音楽の現場がない。
だから私たちは、私たちが大好きだった音楽をもう一度確認すべく15年ぶりに<春一番>を開催するのです。」(福岡風太・1995年)

 5月4日、大阪服部緑地公演の野外音楽堂で開催されていた今年で最後の「春一番 BE-IN LOVE-ROCK」に行きました。
 1971年、福岡風太、阿部登らが中心に、聴きたい音楽を自由に聴き、歌いたい歌を自由に歌う場を大阪の地に作り出そうと、天王寺野外音楽堂で第一回「春一番」が始まりました。毎年5月のゴールデンウィークに開催した大規模な野外コンサートで、フォークソング、ロック、ジャズなど、ジャンルにこだわらないコンサートとして1979年まで続きました。

既成の枠組みに挑戦する、新しいロック・ポップミュージックの荒野へと旅立とうとする姿

 1995年、阪神大震災の年に大阪城野外音楽堂で16年振りに再開し、1996年からは会場を服部緑地野外音楽堂に移しました。
 盟友の阿部登さんを失ってからも多くの若いスタッフとともにこのコンサートをけん引してきた福岡風太さんが昨年亡くなりました。
 今年の1月1日、息子の嵐さんが「どこまでも自由でありつづける表現の場」としてミュージシャンや音楽ファンの拠り所でもあった「春一番」のラストコンサートを呼びかけ、それに応えてたくさんのひとが集まりました。
 わたしは前売り券を買わずに直接会場に行きましたが、もう少し遅ければ当日券も売り切れになるところでした。実は5日は前売り券だけですでに満席となり、4日だけでも参加できたのは幸運でした。
 最終日の5日は大きな盛り上がりだったようですが、4日も熱気にあふれていました。天気も晴れで午後2時頃はとても暑く、時々吹き抜ける涼しい風に救われました。
 今年が最初で最後のグループも含めて、とりわけ1971年から参加してきたグループにとってはこのコンサートの長い歴史と思い出と、彼女彼ら自身の人生がないまぜになった特別な時間だったと思いますし、お客さんにとっても少しの寂しさと40年を越えるそれぞれの時間に立ち会ってきたことへの根拠を問わない誇りもまた渦巻いていたことでしょう。その中に、わたしもまたいました。
 わたしは2004年から2011年まで服部緑地の近所に住んでいたこともあり、おそらく2004年からは能勢に引っ越してからもほぼ毎年行くようになりました。
 「春一番」の魅力は数多くのミュージシャンが既成の枠組みではない独自の世界を構築し、まさに音楽の立ち上がる場に立ち会えることにありました。ラストコンサートの今年、集結するミュージシャンも観客も、今の音楽状況をよしとしない人たちが「春一番」でみずからの音楽を鍛え、共に生きる仲間を得て既成の枠組みに挑戦する、新しいロック・ポップミュージックの荒野へと旅立とうとする姿がとても眩しく感じました。

「まだ見たことがないなつかしさ」とともに、ほんとうに必要とする歌が生まれ、聴こえてくるまで

 思えばそれほど音楽に詳しくないわたしに曾我部恵一やヤスムロコウイチを教えてくれたのも春一番でしたし、木村充揮、遠藤ミチロウ、加川良、大塚まさじ、三宅伸治、友部正人をじっくり聴かせてくれたのも春一番でした。
 春一番が再開された1995年は阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件が、戦後民主主義と高度経済成長が日本社会を豊かにしてきたとされる足元で、明治から続く都市集中と膨張と分断と過疎と貧困と心のよりどころの無さが社会を刹那的な荒廃に追い込み、幼い子どもや若者が自ら命を絶つところまで来ることを予言した年でした。
 それどころか、いま世界で次々と起きる紛争と内乱、戦争で想像もできないおびただしい命が奪われ続けるこの時代を生きるわたしたちにほんとうに希望はあるのか、人間はすべてのもの、他者の土地や命までも奪い、このかけがえのない地球をこわすことでしか生きられないのかと、数多くの人々が悲しく思っているはずです。
 「自由であることは、なにも失うものがないこと」と言い残してくれた福岡風太さんの言葉にかすかな希望を抱きながら、「春一番 BE-IN LOVE-ROCK」は「まだ見たことがないなつかしさ」とともに、わたしたちがほんとうに必要とする歌がここから生まれ、聴こえてくるまで、旅は終わらないのだということを、そして友部正人が言ったように、ここからまた続いていくのだということを実感した一日でした。友部さんからこの言葉を聴いた時、4日のラストソングは「一本道」だと思いました。

ひとつ足を踏み出すごとに
影は後ろに伸びていきます
悲しい毒は遥かな海を染め
今日も一日が終わろうとしています
(「一本道」友部正人)