助け合い、共に生きる社会へ

もしかすると聞きまちがいかもしれないのですが、被災地のがれきを片づけるのに被災者を雇用するというニュースを聞きました。とてもいいアイデアで、どんどんその方向で復興を実現できるように政治のちからを発揮してほしいと思いますし、わたしたち市民も力を合わせていきたいと思います。

いまはまだ復興どころではなく、いのちもあやういところで孤立している被災者がたくさんいらっしゃることは承知していますし、現にわたしがお手伝いさせてもらっている障害者救援活動の事務局に入ってくるニュースはほんとうに切迫しています。
しかしながら、阪神淡路大震災の時に経験した事ですが、必死に救援活動をする毎日をばたばたと通りすぎている間に、世の中は助け合うよりも競い合う市場原理主義のもとでバブルがはじけ、負け組は負け続け、勝ち組は一瞬の油断で負け組へと転落してしまう社会へとスピードを上げて行きました。
今回の大震災の悲惨な状況から復興へとたどる道はそうであってはならないし、またそうなろうとしても無理であることを多くの人びとが感じていると思います。
それを大不況と見るのか、それとも新しい経済、新しい政治、新しい暮しへの出発と見るのかで、ずいぶんちがってくると思うのです。
16年前もそうであったように、いま、日本中で多くのひとびとが被災地のひとびとに何かできることがないかと心を寄せ、助け合うことに積極的にコミットしていこうとしています。その思いを積み重ねると、いままでとはちがった社会のありようが見えてくるのではないでしょうか。
被災地の復興を被災地の人々がにない、その過程で被災地の雇用が進んでいくことは、一般の経済がソーシャルな経済になっていくことでもあります。市場原理主義のもとで過去の遺物とされたケインズの提案が、あたらしくよみがえってもふしぎではないと思います。

わたしたちはソーシャルな経済といったらいいか、助け合う経済の現実の姿を、アフガニスタンでの中村医師とペシャワール会に学ぶことができます。中村医師たちが荒廃した土地に井戸を掘るところからはじめ、長い年月をかけて用水路をつくるプロセスで毎日600人の人々が雇用されていました。ついさっきまで敵味方だったようなさまざまな部族のひとが集まり、その日の日当はすべてペシャワール会に寄せられた寄付金でまかなわれたそうです。
もうひとつ画期的なのは、一般的な開発援助で購入されるハイテクな機械をほとんど使わず、スコップやくわなど、ローテクな道具で時間をかけて作っていくことです。そうすることで、もしハイテクな機械が故障したりそれを動かす技術者がいなくなればたちどころにお手上げになってしまうやり方ではなく、現地の人々で修復できることです。用水路ができていくプロセスで、荒廃した土地は耕され、ふたたび豊かな農地へとかわって行きます。
その土地を愛し、その土地を耕す人々が自分たちの土地のために用水路をつくっていく姿こそ、わたしたちが夢見る「助け合う経済」そのものだと思います。
被災地の復興のプロセスがそのように進んでいけば、日本社会全体の姿もかわっていくはずです。

柄谷行人氏がアメリカのウェブ新聞「カウンターパンチ」で、被災地においてひとびとが助け合う多様なつながりの形成を通じて、資本主義に代わる低成長型の経済と、新しい市民社会のあり方とが、大きく育ってゆく可能性を語っていると、3月31日の朝日新聞で刈部直氏が紹介していました。
わたしたちはその考えに賛同します。わたしたち自身が高度経済成長のただ中で30年前にそんな社会を夢見て活動をはじめ、ようやく最近になってわたしたちの活動を説明できる思想と出会えるところに来ていると感じます。
ただ、こんな大震災によってそんな社会の実現に近づくチャンスが来てほしくなかった。福島原発の惨状を目の当たりにして、むしろそんな社会が実現していれば、あるいはせめてそんな社会の実現にむかっていれば、この震災の被害も少なかったと思うのはわたしたちだけでしょうか。
もしかすると3万人の犠牲者が出るとも予想される中で、そのおひとりおひとりの無念を思うと、今度こそささやかであってもみんなが助け合い、地の糧を共に分かち合う社会に向かって舵を切らなければと思うのです。
ほんとうに、時間はあまり残されていないのだと…。

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