はじめまして。
 このブログは開設当初、障害のあるひともないひとも共に働き、給料を分け合いながら事業を進める大阪府箕面市の豊能障害者労働センターの活動を紹介するために開きましたが、現在は豊能障害者労働センターや関連団体在職時の活動記録、大阪府豊能郡能勢町での地域活動の記録、身の回りから世界の出来事や音楽ライブの感想などを綴る個人ブログとして運営しています。

 1982年に設立された豊能障害者労働センターは地域ではリサイクルショップと食堂、福祉ショップを運営し、年に数回のバザー、点字翻訳、そして障害者市民事業カレンダー、障害者の描くイラストを中心に製作するTシャツ、雑貨などの通信販売事業をしています。
 障害者が保護され指導される福祉作業所でもなく、また一方で一般の会社とはちがい、障害者が労働者であるだけでなく経営者でもあることから、豊能障害者労働センターの活動は福祉制度からも雇用制度からも異端とされてきました。
 設立から40年の間に、阪神淡路大震災、アメリカ同時多発テロからアフガニスタン侵攻、イラク戦争、東日本大震災、そしてロシアのウクライナ侵攻と、自分の身の回りでも世界でも理不尽で悲惨な出来事が次々と発生し、豊能障害者労働センターは地域の障害者の働く場づくりだけでなく、世界の様々な問題に障害当事者とその友人として、積極的にかかわり、今に至っています。
 わたしは豊能障害者労働センターを2003年12月に退所しましたが、その後も障害者問題とかかわりながら、2015年からは大阪府豊能郡能勢町での地域活動を深め、誰も傷つかず、争う社会から助け合う社会をめざして世界の人々とつながっていきたいと思います。

 たしかに高度成長の時代からグローバルな現代まで、わたしたちは時代に取り残されまいと必死にしがみついてきました。
 しかしながら時代が経済が政治がスピードを求めれば求めるほど、時には激しい叫びとして、時には切ない歌として、時にはゆるやかな風として、時には立ち止まる夢として、だれかに手を差し伸べたり、だれかの力を借りたりできることこそ豊かなことなのだと、わたしたちは気づきはじめています。
 国内でも世界でも、一部の「勝ち組」と多くの「負け組」に別れていく経済ではなく、ひととひとが助け合うために商品やサービスを提供、利用する仕組みをつくりだせないのでしょうか。
 一秒単位でお金を動かすグローバルよりも、時と場所が変わっても、ひとつの空をみつめる人々とどうつながっていくのかを考え、小さな実行が積み重なるグローバルな仕組みをつくりだせないのでしょうか。
 GDPでは測れない、夢や生きがいやしあわせを測る経済指標を持つことは見果てぬ夢なのでしょうか。
 もしそれが見果てぬ夢ならば、人間の歴史はその夢によってこそつくられてきたのだと、わたしは思うのです。

恋する経済 細谷常彦