推し活文化がカルト化する時、微笑むのは誰?

サイレントマイノリティーによる切実な路上民主主義は世界を救えるか
ロシアによるウクライナ侵攻が今も続く中で、アメリカもまたイスラエルとともにイランに武力行使をし、パレスチナのガザもふくめて、世界はいったいどれだけのひとびとのいのちを奪えば気が済むのか、その中にわたしたちもまた巨大な底なしの奈落に墜ちていくようです。
若いころから政治的なことに距離を置き、ひとは政治だけで生きているわけではなく、音楽や演劇が社会を変えることもあると思ってきましたが、それは日本の戦後民主主義も国際社会も、もろくも危うげな楼閣の中にいたから言えたことで、今ほど国内外の政治権力によってわたしたちの日常が支配され、時には命までもオトリにされ、権力の手のひらで握りつぶされてしまうことを痛いほど知らされたことはありませんでした。
こんなことを言ってもしょせん他人事で、世界各地の暴力で命をうばわれる人々が映し出されるテレビやSNSの映像を見ながらお茶など飲んでいる自分自身のおぞましい姿に身体が震えます。
日本社会にいてそんなわたしたちの関心事や気がかりといえばホルムズ海峡の事実上の閉鎖による原油やLNGが手に入らなくなるエネルギー危機と物価上昇がせまってくる…、そのこともまた切実ではあるもののそのことでしか自分事として考えられず、アメリカとイスラエルの戦争犯罪には何も言わず、自衛のために応戦するイランだけに非難をむけるわたしたちの国の外交姿勢にも絶望してしまいます。
しかもかつての石油危機以来のエネルギー危機が一気にわたしたちの暮らしを直撃しはじめ、今より悪くしかも長く続くかもしれないという恐怖が視界を少しずつ暗く黒くしている現実を前に、つくづく食料自給率の低さだけでなく日本社会全体の基盤の危うさともろさを改めて痛感します。
それでもまだわたしたちの社会は成長幻想にまどろみ、効率や成長を求め、農林業などの基礎産業や公共のものには力も時間もかけず、浮き沈みが激しくこれからの10年その行方も成果もわからない半導体事業やAI事業のためのデータセンターをつくり、大量の水と共に大量の電気需要のために原発を推進するなど、「成長分野」への積極財政で数少ない資源も資金も未来から吸い上げてしまおうとしています。そして、もっとも恐ろしいのが成長産業の中心で軍事産業が肥大化していくことでしょう。
1989年、ソ連をはじめとする東欧諸国の一国社会主義の牢獄に閉じ込められ、長い苦しみとたたかいの果てに、ベルリンの壁のがれきから立ち上がった人々が夢見た社会は、エリートや特権階級を利するだけで不平等を拡大するばかりの新自由主義に支配される社会ではなかったはずです。1991年のソ連崩壊と冷戦の終結とともに「社会主義の失敗と資本主義の勝利」が喧伝され、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』が話題となりました。自由主義経済が人類に繁栄をもたらすという楽観的な見方のもと世界は市場経済の優越性を確信し、グローバル化と自由貿易の推進に邁進しました。日本でもバブル経済の絶頂期に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称され、経済大国としての過信がピークに達していました。
東欧の社会主義、共産主義国家が次々と民主化運動で崩壊し、人権抑圧と監視のもとで自由をうばわれてきた人々が自由を勝ち取ったということは、同時に当時の西側諸国の資本主義社会の一員となることでもありました。多くのひとびとはそれを歓迎しましたし、ロック音楽をはじめ若者たちの文化も解放され、花開きました。
今、ロシアや中国などを権威主義的国家と呼び、わたしたちの社会は民主主義による自由と人権を尊重する民主国家とされていますが、トランプ政権によるアメリカ国内の多様な人格や生き方を認めない強権的な政治や、さらには他国にまで武力を行使し、たくさんの人々のいのちを奪う力の政治を目の当たりして、わたしたちが寄って立つ民主主義国家とはいったい何なんだろうと思ってしまいます。
差別と偏見と分断に満ちた国家の野心とたたかい、ひとびとの夢の中で手をつなぐこと
豊能障害者労働センターの元代表・河野秀忠さんは、ベルリンの壁が壊されたまさにその時、人々が解放され、自由と人権が保障されるはずの社会の中に障害者差別があり、わたしたちはそのことをもってこの市民社会と対置しなければならないと教えてくれました。
そのことはまた障害者差別のみならず、人間の解放への道はまだまだ険しく遠いということでもありましたが、あれから半世紀を過ぎてなお、理不尽な暴力とイノベーションとフロンティアを止められない成長神話と強権国家に覆われ、世界中のひとびとが分断されてしまいました。アメリカやヨーロッパで右派ポピュリズムが大きなうねりとなり、世界が夢見た民主主義が壊れようとしている今、ふりかえるとあの時、20世紀の夕暮れの激動の季節に、わたしたちは共産国家からあふれ出た人々の自由への切望と民主化が「こちら側」で終わるのではなく、実はわたしたち民主主義社会のありようもまた、彼女彼らといっしょに変わらなければならないことを学び損なったのだと思います。
時代の扉が開き、光が差し込む朝にひと切れのパンとともに獲得した自由は、ひとびとがあたりまえに暮らし、安全で平和で、だれもがこの世界のかけがえのない個性を持ち、民族や性別や性的思考や出自などを認め合い、ちがいを力として助け合う、そんな何千年の時を渡って途切れそうになりながらつないできた切ない夢を実現するためにこそ用意されていたはずだったのだと後悔の念がたちません。
そして、わたしたちにせまる喫緊の恐怖は高市政権の暴走のゆくえだと思います。高市さんの政治手法は第二次安倍政権の継承やサッチャー政治を追い越し、トランプ政権から多くを学んでいるのではないかと思います。X(旧ツイッター)で饒舌に言い放つ一方で、国会での対話を望まないのは衆議院で圧倒的な議席数とSNSを巧みに使った支持率の高さにもありますが、一方で執務室でごくごく限られた情報をもとに孤独に学習し、行動を決意する姿を想像すると、ほんとうに危ない選択をしてしまうのではないかととても心配になるのです。右派の政治家でも現実を見つめる政治家は、台湾有事をはじめとする強大な国家・中国と無駄な対立はさけるはずです。あの強権的なトランプ大統領でさえ、中国を恐れ、なんとかすり合わせようとしているのですから。
わたしはかつて豊能障害者労働センターで学んだ武器と土地を持たない「違うことこそ力」を綱領とする「助け合い主義(わたしはそれを真の社会主義・共産主義と思っています)こそが、もっとも現実的な平和とささやかな富と夢と希望を分かち合う一歩だと信じてやみません。
百年してもあたしは死ねない
あたしを埋める場所などないから
百億粒の灰になってもあたし
帰り支度をしつづける
(中島みゆき「異国」)


