ニューノーマルとのコモンウェルスの世界へ Jポップの覚悟

僕はいま無口な空に
吐き出した孤独という名の雲
その雲が雨を降らせて
虹が出る どうせ掴めないのに
石崎ひゅーい「さよならエレジー」

以前にも書きましたが、コロナ禍の真っただ中を生きるわたしは、それまで聴いてきた「音楽」との付き合い方を忘れてしまったようなのです。そしてあらためて、今までそんなに音楽を聴いてこなかったことを実感しています。
子どもの頃は戦後の歌謡曲が中古のラジオからも町の商店街からも近所の鉄工所や大衆食堂からも流れていました。あの悲惨な戦争がまだ遠い出来事ではなく、町のいたるところにその爪痕がのこり、大人たちもまたとりかえしのつかない後悔と戦後の混乱から抜け出せない時代、わたしにとって音楽とのつきあいはよくも悪くも戦後民主主義の儚く根拠のない夢ととともにやってきた流行歌からの出発でした。
中学から高校生になって、少し上の年代の若者がロカビリーに心酔するのを白黒テレビで見ていましたが、そのうちにアメリカンポップスを日本語で歌う和製ポップスがやってきて、わたしはザ・ピーナッツ、弘田三枝子、伊東ゆかり、中尾ミエが歌う恋の歌に胸を弾ませました。一方で、畠山みどりの「出世街道」、西田佐知子の「アカシヤの雨に打たれて」を愛唱歌にしていました。
高校を卒業してすぐに家を出て友だちと3人暮らしをはじめた時からわたしの人生が始まりました。ビートルズと森進一、遠い空を駆けあがる高度経済成長と地方の町の黒い土が共存する混沌とした時代の風とともにやってきたわたしの青春は、同世代の若者たちの異議申し立ての運動にも、薄暗い穴倉のような喫茶店「オーゴーゴー」にたむろする若者たちのドロップアウトにも参加できず、いら立ちすさむ傲慢な心を持て余していました。
若者の自由への欲求から次々と新しい音楽が町中にあふれかえる中、わたしはビートルズ以後の音楽と向き合うこともせず、また子どもの頃に親しんだ日本の歌謡曲も遠い彼方へと通り過ぎていきました。結局のところわたしは音楽そのものがすきなわけではなく、はやり歌が流れ流れて行き止まる袋小路にたまった時代の残りかすにわたしの心情を映し出すことで、青春のアリバイを確かめたかったのかもしれません。
そのあいだにもさまざまな音楽が海のむこうからやってきましたし、まるで60年代末期の政治闘争の嵐が消えさった後を埋めるように、日本語によるオリジナルのロック、フォークがつぎつぎと生まれ、それが今のJポップへとつながっていきました。わたしはといえば日々の暮らしから音楽はますます遠くなっていきました。
そんな日々を重ねて前のめりに生き急いだわたしは2007年、自分の人生すべてがむなしくなり、うつ病になりました。まるで砂漠の真ん中で砂に埋もれていくような毎日を過ごしていた私はある日、何気なくテレビをつけ、モンゴル800のドキュメンタリーを見ました。乾ききったスポンジのような心に彼らの音楽が優しく水を運んできてくれて、わたしの心はいつのまにか水をたたえ、緑の草原に生まれ変わったようでした。
わたしは号泣しました。彼らの音楽を聴きながら、音楽が人を救うことがあることを身をもって体験しました。

先日たまたま観ていたドラマ「警視庁第一捜査課長」で、石崎ひゅーいが出演し、路上ライブでこのドラマの主題歌「アヤメ」を歌いました。石崎ひゅーいのことはそれまでまったく知らず、こんな人がいたのかと衝撃をうけました。
このドラマはどちらかというとわたしのような高齢者向きのドラマですが、なぜか主題歌に前作まではGLIM SPANKYを採用していて、今シリーズも意外なタイアップでした。
わたしはテレビっ子なので情報源はテレビで、わたしが大発見したように思う人はすでにブレイクしていることが多いのですが、それにしてもこの人がすでに10年近くの活動歴があり、菅田将暉の「さよならエレジー」、2020年のドラえもんの映画の主題歌「虹」の作詞作曲などで活躍していることをはじめて知りました。
かつて阿久悠は、Jポップのシンガーソングライターに対して「自分のことや自分に近いことしか歌ってない」と批判的なコメントを残しましたが、わたしも演歌がそうであったように類型的で手垢のついた恋愛感情を吐き出すだけの音楽としか聴こえてこなかったJポップの個人的と思える歌の中に、今の時代を生き抜かなければならない若い人たちの悲鳴と、とぎれとぎれになりながら幾時代もかけてつながってきた希望が隠れていることを教えてもらいました。
宇多田ひかる、エレファントカシマシ、高橋優、SEKAI NO OWARI、米津玄師、あいみょん、「ずっと真夜中でいたい」などなど節度のない好みですが、ここ10年あまりに彼女彼らの音楽と出会えたことはとてもうれしいことでした。
石崎ひゅーいもまたその一人として、わたしの心に届いてくれたことは今年の数少ない幸運の一つになりました。
アメリカやイギリスなど欧米諸国でワクチン接種が進み、マスクもせずにコロナ前のようにひとびとが集う楽しさを取り戻すようすがニュースに流れ、わたしたちにもまたそんな日がやってくるのかと思う反面、こんなに悲惨な経験をしてしまった世界が元通りになることもまたあり得ないと思うのです。
コロナはわたしたちの世界を変えたというよりも、いままで隠れていた世界のありようをえぐり出し、わたしたちが当たり前としてきた世界資本主義の終末を予言しているように思います。経済格差だけではないあらゆる格差が取り返しがつかないところにまで来ていて、もしかすると今現実と思う国家や社会は、わたしたちの日常とは絶縁された別の国家や社会なのかもしれません。
そのことを切実に感じているのは厳しく暴力的な今を生き続けなければならない若い人たちで、彼女彼らの叫びや悲しみやささやかな願いを等身大を越えて表現する音楽が、この理不尽な世界から身を守るシェルターの役目を担っているのかもしれません。
しかしながら、ニューノーマルを合言葉に世界の支配勢力は最後のフロンティアを若者たちの瑞々しい感性に求め、終末の残りかすを食いつぶそうと野望を膨らませ、東京オリンピックの開催や大阪万博、グリーンビジネスと肥大する欲望は、若者たちのシェルターを壊してしまうかもしれません。
そのことに気づき始めた人たちがつくりだす音楽は、壊される前に自らシェルターを廃棄し、いよいよ戦後民主主義の欺瞞から脱出し、自分たちの歌う歌を自分たちでつくってきたように、自分たちの生きる社会を自分たちでつくる覚悟をメッセージにした音楽へと進化し始めたように思うのです。
阿久悠が70年代に挑戦し続けた時代へのアブローチは、皮肉にも彼が批判していたJポップのシンガーソングライターたちによって引き継がれていることを実感します。
そして彼女彼らの新しい音楽を体感しながらわたしもまた、人生最後の時間を貧者による「コモンウェルス(共の富)」のネットワークにつなぎ、わたしなりに年寄りらしく生きていきたいと思うのです。

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