戦争しない国ではなく、戦争できない国 井筒高雄さん

武力で平和はつくれない 日本国憲法と自衛隊
「中西とも子と箕面から変えようネット!」主催

 8月15日、箕面市議会議員の中西とも子さんの活動グループ「中西とも子と箕面から変えようネット!」主催で、VFPJ共同代表の井筒高雄さんの講演がありました。
 VFPJはVeterans For Peace JAPANの略称で、1985年に創設されたアメリカの元軍人を中心とした国際組織・Veterans For Peaceに連携し、「武力で平和をつくれない」、「イデオロギーよりリテラシー」を合言葉に、感情や理念ではなく戦争の実際やコストをきちんと伝え、戦争の根絶を訴える平和団体です。
 共同代表の井筒高雄さんは全国各地での講演活動や著作を通じて、元自衛隊のレンジャー隊員として現場を経験した人でなくては語れない防衛力の実態を数字で伝えながら、未曽有の危機の中、国家政策の手段としての戦争の根絶と原発の廃止、核兵器の廃絶を訴える貴重な存在です。
「日本国憲法と自衛隊」と題したこの日の講演でも50人ほどの参加者は、軍事力をいくら高めてもアメリカの防衛力の助けにはなっても決して日本を守れないこと、だからこそ武力ではなく外交によってしか平和がつくれないことを学びました。
 1945年8月15日は昭和天皇の玉音放送により、前日に決まったポツダム宣言受諾及び日本の降伏が国民に公表された日で、この日を終戦記念日とするかどうかは疑問がありますが、敗戦を終戦と置き換えて戦後日本が今日までの道のりを歩き始めた日でした。
 この特別な日、しかもあまたの死者たちのたましいを迎え入れる盆の日に、貴重なお話を聞く機会を用意してくれた主催者グループに感謝します。

防衛費を倍増しても想定する中国の軍事力に太刀打ちできない

 お話はまず、ロシアによるウクライナ侵攻から台湾有事が声高に叫ばれる状況の中、政府が防衛予算をGDPの2パーセントに倍増するとしていることについてのお話でした。
 GDPの2パーセントというのはNATOの目標で、NATO加盟の30カ国でも2パーセントを達成しているのは8か国しかないのに、日本はウクライナ問題と台湾有事を口実に倍増し、世界9位から3位の軍事支出大国になろうとしているとのことでした。
 日本は平和憲法を持ちながらもわたしの子どもの頃は「ソ連が攻めてきたら」と、このごろは「北朝鮮や中国が攻めてきたら」と言い、その抑止力としての軍備を増強・整備し、シビリアンコントロールのもとで専守防衛と核兵器を持たないこと、防衛予算をGDPの1パーセント以内とすることなどを歯止めとしてきました。
 しかしながら2015年の安保法制以後、専守防衛から専制的自衛のための敵基地攻撃や直近にはアメリカの核兵器を共有する議論など、軍事大国へと向かう防衛予算の倍増へと突き進もうとしています。
 日本の軍事力については核兵器を除けば脅威と中国は主張していますが、井筒さんは防衛予算を倍増しても、在日米軍と自衛隊の戦力では太刀打ちできないと言います。
 というのも、日本の防衛力整備は想定する中国の武力行使からアメリカ本土を守るためのものであり、日本がアメリカの同盟軍として中国と対置する先頭に立つための戦略として配備されてきたと言います。
 たしかに世界で有数の防衛予算をつぎこみ、アメリカ製の兵器を買い続け、抑止力を高めると言いながら、原発を攻撃されたら広島長崎を越える甚大な被害が出る危険を今回ロシアが教えてくれました。
 また、抑止力が武力行使をされないために武力を持つこととすれば、そもそも想定する国家が武力行使を得策としない冷静な判断に期待することで成り立つ戦略であり、今回のロシアのようにそんな「常識」とは無縁の国家による暴力のまえでは意味をなさないということでしょう。

自国の防衛ではなく、アメリカの世界戦略のための防衛予算

 のみならず、その抑止力が日本と日本に住むわたしたちのためではなく、アメリカの世界戦略のための「捨て石」だとしたら、日本の防衛費はアメリカの世界戦略のコストを肩代わりするものなのだと、井筒さんのお話を聞きながら思いました。
 そして、その中で進められている先島の基地建設と配備は、先の戦争で沖縄全体がアメリカ軍の本州上陸を遅らせるための捨て石とされたように、今もまた中国の武力行使を想定して先島と沖縄本島の人々の犠牲を前提にしていると言っても過言ではないと思います。
 もちろん、憲法を変えてまで自衛隊の軍隊としての存在を明記し、「自由と人権と民主主義」を守るアメリカの同盟国としての役割を果たすために軍事力を高める政府とそれに賛同する人々にとっては、武力を持たないで平和を守ることは甘い理想だと吐き捨てることでしょう。
 しかしながら、毎年8月に悲惨な戦争体験を伝えてくれる報道番組を見るたびに、国家を動かす権力機関は国民を守るよりも侵略と領土拡大のために軍事力を行使し、徴兵されたひとびとを駒のように使い、進軍の時も敗退の時も住民も巻き添えにその命を捨て石にしてきたことを教えてくれます。アジアの地に山に海に日本人のみならずその何倍何十倍ものおびただしい無告のたましいが今もまだ眠っていることを忘れてはならないと思うのです。
 今回のロシアによるウクライナ侵略と台湾有事の危険性から「攻めてこられる」恐怖ばかりが掻き立てられますが、実は軍事力を高めれば高めるほど緊張が高まり、武力衝突の危険性が増すというお話でした。今回のロシアのウクライナ侵攻もまた、ある日突然に平和で安全な暮らしが奪われたのではなく、NATOとロシアの緊張のはざまでウクライナの内戦に近い内部抗争の果てで起こってしまったことなのだとすれば、今まさにわたしたちは中国や北朝鮮の武力を恐れ、それに対置するために武力抑止力を高めることそのものが緊張と武力衝突のリスクを提供しているのではないでしょうか。

外交・対話でしか日本の平和と安全を守る道はない

 井筒さんが「日本は戦争しない国ではなく、戦争ができない国だ」という時、戦前のように国家や軍部が他国へ侵略することを禁じるためにつくられた日本国憲法をよりどころに、武力ではなく外交によって中国や北朝鮮、アメリカと対話し続けることしかないということです。そして交渉が行き詰まったとしても、自国のためにもアメリカの世界戦略の一部としても決して武力を使わないと世界に宣言する道しか平和と安全を確かなものにできないと思い知ることだと言います。
 防衛能力でいえば単に兵器や基地の増力だけではなく、エネルギー自給率と食料自給率こそ大幅に上げなければ(もちろん平和を維持するためにも)戦争の継続は絶望的であることを、井筒さんは各種の資料とともに伝えてくれました。

 「日本社会の高齢化は自衛隊そのものにも押し寄せてきて、いざ戦闘ということになれば徴兵という非正規雇用で戦力を増やさざるを得ない。いままで武器ももったこともない兵士は敵の武力攻撃の最前線に配備され、いのちを落とすことになるでしょう」。
 井筒さんのこの言葉は、いつまでも心に突き刺さっています。

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