さよならだけが僕の友だち café気遊の金森幸介と松田ari幸一

過ぎ去るものだけが美しいと、時の宝物を隠す年老いた者にしかたどり着つけない青春ソング

ビュービュー 風が吹いて
ガタガタ 窓が鳴って
天気のはなしじゃないよ
誰かの心のはなし
    金森幸介「心のはなし」

  10月23日夜、能勢のcafé気遊で金森幸介と松田ari幸一のライブはいつも以上にゆっくりとした時間を慈しむように始まりました。
 言葉はよくないけれど麻薬というか媚薬というか、金森幸介の歌は、わたしの心の状態によって毎回ちがった表情で語り掛けてくるのでした。
 それはほんとうに歌なのか、遠い昔どこかに置き忘れてきた記憶のかけらなのか、それともだれかと別れた帰り道にぽつんと咲いていた野の花なのか…。
 実際、何度聴いても金森幸介は誰に歌っているのか、誰のために歌っているのか、ひとりごとなのか秘密のささやきなのかまったくわからないまま、わたしは歌の迷路に迷い込んでしまうのです。
 だれかが言ったかもしれないけれど、「金森幸介はくせになる」…。

いいこと悪いことみんな 思い出に変わって良かった

 今回の松田ari幸一のハーモニカとの共演は、一人で歌う時とまたちがう特別なものになりました。しいて言えば、わたしがはじめて金森幸介を知った2019年のcafé気遊での渋谷毅との共演に似ているのかもしれません。
 それは渋谷毅のピアノ、松田ari幸一のハーモニカという楽器との組み合わせからくるだけではなく、ギターひとつで弾き語る孤独な少年(?)に声をかける友だちの役割を持っているからだと思います。古いたとえで言えば耳の聞こえない一人の子どもに友だちが現れキャッチボールを始めると、それに嫉妬したバッターが邪魔をするので二人を応援しようと七人の子どもたちが集い、野球チームができたように…。
 松田ari幸一のハーモニカは金森幸介の独り言を受け止め、うなずき、そうだそうだと共感し、独り言の孤独な歌を時の果て、世界の果てまで届ける旅の友になるようなのです。

 時には親を家族を友を傷つけることしかできなかった青春の荒ぶれた広野に立ち戻り、振り返れば悔恨しか残らない若い日々の痛々しさを呑みこみ、嵐が通り過ぎた後の静けさに取り残された人生の破片を拾い集めるとき、ひとは大人になるのでしょう。
 その時口ずさむ歌は、たとえば取り返せるはずもない青春、語られることがなかった愛の物語、置き忘れてしまった青春の痛々しさであったりするのでしょう。
 過ぎ去るものだけが美しいと、時の宝物を隠す年老いた者にしかたどり着つけない瑞々しさと愛おしさ…。
 二人の音楽は重なり合い、手をつなぎ、秋深まる森の気配を夜の闇に漂わせながら、静かに時が移りゆく…、ふと気が付けば日常を刻む時から解き放たれたわたしの心はゆっくりと舞い降りる音楽に満たされていくのでした。

ハーモニカは戦後の夕暮れにこどもたちがはじめてであった民主主義という楽器

 松田ari幸一のハーモニカは、以前に渋谷毅と金森幸介のライブにサプライス出演された時、歌とギターとピアノの隙間にすっと入り込み、ライブ空間をまるで一枚のタブローのように変えてしまったことを今でも思い出します。
 今回のライブでソロの演奏を始めて聴き、卓越した演奏もさることながら、風の楽器とも言えるハーモニカの震えから、くしくもわたしと同年生まれの同時代の個人史と世界と日本の音楽の歴史、さらには時代の写し絵でもある音楽への限りない愛情が伝わってきて、少し涙ぐんでしまいました。
 小さくて軽くて、どこにでも持ち運びできるハーモニカは、誰でも一度は手にとって吹いたことがあるとっつきやすい楽器ですが、今回の彼の演奏を聴いて「動くジャズバンド」と言っても過言ではない重層なリズムとメロデイーに圧倒されました。
 ハーモニカはフリーリードという穴を並べ、吹いたり吸ったりして空気を震わせ音を出す気鳴楽器の一つですが、呼吸することが生きることであったと同時に、呼吸することから人間は楽器を発明し、音楽をおぼえたことはとても幸運だったと思います。
 そういえば子どもの頃、日本全体がまだ戦後の先行きに迷いあぐねていた時代の貧しい子どもにとって、ハーモニカはあこがれの楽器でした。ピアノやブァイオリンやギターなどはとても高価で演奏するにもかなりの練習が必要ですが、ハーモニカは安く手に入り、またそれなりに音が出せるので、はじめて音楽と親しむには優れた楽器です。
 とはいえ、今でいうシングルマザーの母と兄とわたしの3人家族で、母が朝早くから夜遅くまで病身を押して一膳めし屋を営み、身を寄せ合って暮らしていたわたしの場合、ハーモニカを手にすることは難しいのが現実でした。
 その中で、わたしのわがままを叶えてやろうと母がなんとかやりくりしてくれたのでしょう、ある日、母がハーモニカを買ってくれたのでした。親子3人食べていくのが精一杯だったあの頃、母がどんな気持ちでハーモニカを買ってくれたのかと思うと、ほんとうに涙が出ます。わたしはといえば、子どもを育てることだけに後半の人生を費やした母の恩に応えられる人間にはなれず、とくに若い頃は悲しい思いを何度もさせてしまいました。
 松田ari幸一のハーモニカを聴きながらそんなことを思い出しました。そういえばあの大切だったハーモニカをどこで失くしてしまったのだろう…。

天気のはなしじゃないよ 誰かの心のはなし

 新型コロナ感染症の勃発時、他の歌舞音曲や芸能と同じように音楽は不要不急とされ、ほとんどのライブが取りやめになりましたが、「ひとはパンのみでは生きられない」こともまた、切実に感じた三年間でした。
略奪と侵略と殺戮を繰り返してきた人類の歴史の地下深く、夢を見なければいのちをつなぐことなどできなかったからこそ、ひとは音楽を奏で聴き歌い、音楽はひとを見捨てず、何世紀にも渡り友だちであり続けたのだとあらためて思います。
 一歩外にでれば理不尽な暴力と裏切りの世界が待ち受けていたとしても、今夜この場所で二人の音楽につつまれ、荒ぶれた心をやすめる幸運に恵まれたことに感謝する一夜のライブとなりました。
 今回もまた、PA(音響)を通しているとは全く感じさせない素晴らしいPAを提供してくれた村尾さんと、この場を用意してくれたcafé気遊の井上さんとお店のスタッフさんたちに感謝します。

金森幸介オフィシャルサイト
松田ari幸一/Facebook

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