バラの花咲く街角はどこにある? 唐組「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」

現実に追い越された妄想はどこへ行く

 誰か知る相愛橋のある横丁。すえたドブ川の袂にあるうらぶれの傘屋に、今、聖にして醜怪な万年少女が、おちょこの傘さし飛んでくる。傘屋を営むおちょこは修理を頼みに来た客・石川カナを慕い、彼女に「メリー・ポピンズの空飛ぶ傘」を持たせたいと願う。そのため居候・檜垣を相手に日々飛行実験を繰り返している。
 カナはかつて起こした大物歌手とのスキャンダルにより妄想と現実を彷徨い、今夜この街を去ることを告げに傘屋にやってくる。不在のおちょこの替わりに対応した檜垣は、カナが、以前自分が担当していた歌手のスキャンダルの元凶だと気がつく。果たしておちょこはメリー・ポピンズの傘で、バラの花咲く街角へカナを誘うことができるのか?

 5月1日、神戸湊川公園で上演された唐組第68回公演「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」を観に行きました。新型コレラ感染症は終結までにあと何年かかるのか見当もつかない上に、ロシアによるウクライナ侵攻により理不尽にも奪われる無数のいのちと、破壊つくされる街の映像が心を深く傷つけてしまう…。
 今、わたしたちが生きる世界は遅すぎた世紀末なのでしょうか、それとも早すぎた歴史の終わりなのでしょうか。暮らしが、人と人とのつながりが、世界が、取り返しのつかないところに来てしまったと誰もが感じていることでしょう。
 唐組の赤テントに一年に一度潜り込み、あっちの世界とこっちの世界をつなぐ迷路をさまよいながら、失くした夢と拾った夢を抱きしめてきたわたしは、これまでになく遠い空にこれまでにない悲惨な夢をこれほどまでに哀しい希望に変える錬夢術を、唐組の芝居「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」に激しく求めました。世界を埋め尽くす暗い墓場からバラの花咲く街角へ、わたしたちも世界中の人々も飛び立つことができるのでしょうか。

 1976年に状況劇場で初演されたこの芝居は、森進一が婚約不履行で訴えられた事件に着想を得ています。法廷で争われたこの事件は、原告女性の事実無根の妄想と虚言であることが明らかにされ、森進一の全面勝訴でおわっています。
 原告女性の訴えによると、森進一の熱烈なファンだったこの女性は無理やり関係を迫られ、その結果、彼の子供を妊娠したと主張していましたが、森進一本人とは一度も面識がなく、結婚したいがための妄想と虚言であったということでした。そして、裁判の途中に森進一の母親が自殺しました。原告女性が入院していた母親の見舞いに押しかけ、親しくなったことが妄想を抱くきっかけになったことを苦にしてのことといわれています。
 この芝居はその後日談として女性・カナと、彼女が去ろうとする相愛橋の横丁の傘屋・おちょこ、大物歌手の元マネージャー・檜垣たちが織りなす、愛と妄想の一夜の物語です。
 
 おちょこ傘とは、突風で傘の骨がひっくり返り、おちょこのようにしぼんでしまうことをいうのですが、その女性、石川カナに傘の修理を頼まれた傘屋・おちょこは彼女に片思いをしていて、彼女のためにメリーポピンズの空飛ぶ傘をつくろうと試行錯誤しているのでした。
 その傘を自分のためにつくろうとしているおちょこの心を抱いて、カナはバラの花咲く街角に行けるかも知れないと夢見るのですが、一大スキャンダルの当事者であった彼女は過去の妄想にとり憑かれ、元マネージャー・檜垣も巻き込まれていきます。
 そこでは彼女の真実は妄想なんかではなく、その真実を覆い隠され、抹殺してしまった大物歌手と母親、そして妄想と片づけ、忘れてしまう世間に真実を明らかにしたいという切ない願いと恨みが彼女を暗闇の過去に引きずり込むのでした。

行方不明の真実を求めて

 唐十郎の芝居に必ずといっていいほど立ちあらわれるいくつもの妄想は、いりこの鏡のように新たな妄想を際限なく産み続け、いつしか行方不明の真実をよみがえらせるのですが、この芝居では一方は世界をも埋め尽くす暗い記憶と妄想の墓場、もう一方はまだ見ぬ夢のバラの花咲く街角と、そのふり幅が最も広がっていて修復不可能なように思います。
 それがゆえに、カナとおちょこと檜垣の顛末はとても悲しいものでした。

 それは今、ウクライナで起こっている理不尽な悲劇と奇妙に重なっているようにわたしは感じました。この修復不可能でいびつになった世界は彼女の妄想というもうひとつの真実を保健所という国家の檻に閉じ込めてしまうのですが、わたしたちもまた事の真実や正義とは遠く離れた牢屋の中で、作為的にも思えるテレビやSNSの映像を見ているのでした。
 この過酷で心えぐられる暴力のるつぼのような袋小路で、おちょこの純情な心だけが傷つきながらも空に飛び立つ姿は、壊れてしまった世界でそれでもなお誰も傷つかず誰も命を脅かされることのないかがやく明日を願う、わたしたちの切ない希望なのかも知れません。
 
「もしなんだったら檜垣さん、あんたもカナさんの町へ行かねえか?な、僕はとうからそのつもりでいたんだよ。もしかしたら、あの人より先に、バラの花咲く街角に着いちゃうかもしんねえな。さあ、ゆこうよ、檜垣さん。」

 唐十郎の芝居ではその時その時のはやり歌と、唐が作詞し、古くは小室等が作曲したテーマソングが物語を支えているのですが、今回の芝居では森進一の「冬の旅」とフィル・オクスの「No more song」の出だしの「ハロー、ハロー」が効果的に使われています。
 とくに「No more song」はこの芝居の匂いを醸しだすだけでなく、取り返しのつかないまま世界の果てまで落ちていく悲劇の水先案内人の役目を果たしていました。
 「さようなら、このハローが別れの言葉だなんて……」、
 檜垣の最後のセリフを聴きながら、思えば芝居の最初から流れていた「ハロー、ハロー」がカナとおちょこと檜垣の哀しい運命を暗示しているようでした。
 フィル・オクスはボブディランと肩を並べるプロテストソングを歌うシンガー・ソングライターでしたが、この芝居の初演の年、1976年に自殺しました。この年の一年前にベトナム戦争は終結し、それまでの10年のすさまじい熱風が通り過ぎた後の一瞬の静けさの中で、世界も日本もわたしたちも大きな転換期を前に、次の時代へのそびえたつ大きな扉の前でたちつくしていました。日本では経済の高度成長から安定経済へと移り変わる時にロッキード事件が発覚し、政治に対する不信感が現在までつづくことになりました。
 物哀しいこの歌は時を越えて今、殺戮と破壊が繰り広げられているウクライナの大地へと流れて行く一方で、わたしたちの足元に迫る軍靴の響きと共鳴するかのようでした。

 唐組公演は昨年から大阪から神戸にうつりましたが、演出を担当する久保井研によると、昨年から大阪市が公園使用を許可しなくなったようです。大阪市も大阪府も公園の民間活用を進め、おしゃれなカフエなどがつくられるなど、公園の私有化を進めていますが、大阪に住む者として、テント芝居を許可しない行政を恥ずかしく思います。

フィル・オクス「No more song」
森進一「冬の旅」

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