死ぬのはみな他人ばかり・唐十郎が寺山兄貴に贈った「ジャガーの眼」

一年ぶりにまた、唐組の芝居を観に行きました。
色あせた布一枚で下界と隔てられた紅テントの中はお客さんが続々と入ってくるのに従って少しずつ空気を換え、気が付くとひしめき合うお客さんの熱気と期待が渦巻く悪夢の劇場へと変貌していました。
ああ、またここへ帰って来た…、開演間近になると、いつもわたしは思います。1974年の状況劇場「風の又三郎」以来、もう40年以上もここから唐十郎のたくらみに乗せられ、「こことちがうもうひとつの場所、もうひとりのわたし」を探しに暗闇をさまよってきたことだろうと…。
ひるがえるマントにロマンティズムを忍ばせて唐十郎がのぞかせてくれるものは、たとえば新聞の三面記事から立ち上がり、悪意と忘却が渦巻く現実に翻弄されながら必死に何者かになろうと自分を探しつづける少年少女の純愛が、国家もわたしたちも忘れてしまいたい日本の近・現代史の暗闇を呼び起こし、芝居の中で語られる事件や戦争や災禍が歴史のるつぼで再構成され、葬られた理不尽な出来事をよみがえらせるのでした。
そして紅テントの劇的空間が解体され、芝居が終わると少年少女も純愛も引き裂かれ、街の闇に消えてしまうのですが、わたし自身も行方不明になってしまい、毎年わたしは昨年に行方不明になったわたしとわたしの純情を探しにまた、紅テントの中にもぐり込むのでした。
「ジャガーの眼」は1985年に状況劇場が初演して以来、唐組をはじめいくつもの劇団が再演する状況劇場後期の名作です。
この芝居は寺山修司が1983年に亡くなった2年後、唐十郎が兄貴と呼んでいた寺山修司へのオマージュと追悼を込めたつくりあげた作品です。
わたしは唐十郎の前に高校生の頃から寺山教の信者で、彼の「家出のすすめ」に突き動かされて家出をしようと試みたことがあるほどでした。こう書けばとても前向きに思われるでしょうが、実際はわたしの高校時代は暗黒の年月でした。というのは、中学3年生でどもりが再発し、それなりのいじめに遭い、本当は経済的に行けるはずもなかった大学を断念して工業高校に進みましたが、ほんとうは学校をやめて誰ともしゃべらなくていい仕事につき、細々とくらしていけたらと思っていました。自分のそんな情けなさを隠すように世の中がどうだとか、サルトルやマルクスの名前を連ね、数少ない友だちと授業をさぼり、デパートの屋上でいきがっていたどうしようもない高校生でした。兄とわたしを高校だけには行かせたいと片手に山盛りの薬を飲み、朝5時から深夜1時まで働いて死んで行った母に、本当に申し訳なかったと今では悔やんでも悔やみきれないでいます。
ともあれ、実際は彼自身も「不言実行よりは有言不実行が社会を変革する」といった虚言をばらまくけっこうさびしい人間だったと知り、今では「なあんだ」と思う一方、ますます寺山教の信者OBになっています。
寺山修司が巷の言葉を拾い上げ、彼特有のこじつけでその言葉に新しい意味を植え付けるアフォリズムの才能は際立っていますが、その中でも口癖のごとく好んだのが「死ぬのはみな他人ばかり」というマルセル・デュシャンの言葉でした。
誤解と偏見を楽しみ、罵倒ですらオマージュとする寺山修司に最大の賛辞を送りながらも、唐十郎はよく比較されてきたお互いの演劇論を視野に入れた唐版寺山修司というべき芝居を試み、演じて見せたのが「ジャガーの眼」だったのではないでしょうか。

この路地に来て思いだす
あなたの好きなひとつの言葉
死ぬのはみな他人ならば
生きるのもみな他人
死ぬのはみな他人
愛するのもみな他人
覗くのは僕ばかり
そこに見てはいけない 何があるのか
「ジャガーの眼」挿入歌 唐十郎作詞・小室等作曲

幕が開くと、そこは唐の芝居でおなじみの、さびれた街の忘れられた袋小路。並ぶ長屋の中央の路地からけたたましく現れる大きなサンダルに振り落とされまいとしがみつく一人の探偵・田口が歌う歌には、「死ぬのはみな他人ばかり」と「私という内面」の否定を逆手に取り、三つの肉体を渡り歩く「ジャガーの眼」と共振しながら路地の向こうになくしたリンゴと言う真実を探す物語として、寺山が三面記事をにぎわしたのぞきを芝居に組みこんでいます。
寺山の「私と言う内面」からの超克はデカルトからサルトルまでの人間主義にもとづいた近代からの超克を意味していて、寺山修司の演劇論でもあるのですが、唐十郎は「覗くのは僕ばかり、そこに見てはいけない何があるのか」と、さびしい男・寺山修司ののぞきをいわば「哲学化」して見せたのではないでしょうか。
わたしはこの事件を新聞で読み、のぞかれたと主張する住民たちの悪意を感じる一方、次回の作品のための路地の研究とする前衛の立場からの擁護にも違和感を覚えたことを思い出します。実際、わたしは路地や袋小路や三段先が暗闇になる地下室、向かいの窓に映る人影やベランダでなまめかしくゆれる洗濯物に見てはいけないものを感じてどきどきするのを告白しなければなりません。
「見られるのは嫌だが見るのは好き」という感情は現代ではSNSの普及でますます増幅されています。唐十郎は30年も前にそのことを「哲学化」し、のぞきのアナキスムを紅テントの密室に持ち込むことで登場人物はおろか、観客にまで「のぞきの悦楽とさびしさ」を味合わせ、去り行く彼女彼らとともに「ジャガーの眼」の収集不可能な旅へと向かわせたのでした。
寺山修司と唐十郎という、わたしの人生の存在証明となる2大アイコンを語ろうとすると、それほど深い見識もないわたしには荷が重く、一回の記事では芝居の中身にも入れませんでした。
許しを乞いつつ次回につづきます。

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