「愛するのもみな他人 覗くのは僕ばかり」 唐組「ジャガーの眼」

-肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない-
この言葉とともに、あの「ジャガーの眼」が帰ってきた!
物語は、しがない青年・しんいちが、肉体市場で角膜を購入し、移植したことから始まる。
その角膜が、かつての持ち主の恋人のくるみを呼び寄せ、青年を平凡な日常から、冒険的な非日常へと導く。
サンダル探偵社の田口は、助手くるみの依頼を受け、“幸せのリンゴ”を追って路地に立つ。
その前に現れた男・扉の押す車椅子には、田口がかつて愛した等身大の美しい人形・サラマンダが乗せられていた……。
外科病棟で移植手術を繰り広げる、肉体植民地・Dr.弁。
所有者の人生に関与し、人の体で三度も生きる“ジャガーの眼”はそんな彼らを取り込んで鋭く輝いてゆく……。
(唐組第63回公演「ジャガーの眼」パンフレットより)

平凡な男しんいちのもとに不思議な女探偵くるみが現れる。肉体市場で角膜を購入し、移植した角膜のもとの持ち主の妻だったというくるみと出会うことで、しんいちは角膜に違和感を覚え始める。角膜を追うくるみと接するうちに、うずく角膜に導かれるように、しんいちのなかで婚約者との平凡な未来を生きようとしていた自分が捨ててしまったものが湧きあがる。一方、くるみの上司である探偵・田口は、くるみが来る前に共に生きたダッチワイフのサラマンダーの幻想に悩まされつつ、部下のくるみを追うのであった。

1980年代、臓器移植は「脳死」の判定や倫理上に大きな問題を含みながらも、臓器の提供を待ち望む人の切羽詰まった願いから制度化され、現在はドナー登録を募る啓発広告がテレビで放映されるなど、社会的認知を得るところまで来てしまいました。
寺山修司は「臓器交換序説」という演劇論をのこしていて、唐十郎が三面記事から時代の空気を芝居に取り込んだのとは対照的に、その時代のアカデミックな「ブーム」に潜む社会的な問題を彼の演劇装置の中で増幅・伝染させるような、社会や街の劇場化を試みる実験をしていました。その点では演劇への影響力とは反対に、社会的な影響力は唐十郎よりも大きく、彼が試みた街の劇場化は、例えば最近ではオーム真理教の地下鉄サリン事件などの劇場型犯罪や小泉劇場から始まる劇場型政治などを予言しました。
サンダル探偵社の田口の「死ぬのはみな他人ばかり」から始まる歌が終わり、寺山修司に覗かれたとする長屋の住人たちとのドタバタ掛け合いの後、しんいちと婚約者の夏子が登場するところから物語が始まります。
寺山修司が機械の部品が交換可能なように、人間の臓器も交換可能になる社会を予見し、そんな社会において「わたしやわたしの肉体」は個人に帰するものではなくなり、わたしの精神もわたしの人生すらも交換可能なのではないかと想像力を膨らませるのに対して、唐十郎は移植された角膜が今の持ち主の言う通りにはならず、前の持ち主の人生を生きようとする物語を膨らませていきます。
前の持ち主の妻だったくるみが現れ、しんいちは夏子との平凡な日常の愛とくるみがもたらす非日常の激しい愛の間で引き裂かれ、次第にくるみにひかれていくのでした。
しかしながら、くるみとの愛の暮らしを交通事故による死で引き裂かれた前の持ち主の眼もまた角膜移植された眼で、最初は元の持ち主はわからないのですが、人の体で三度も生きる「ジャガーの眼」が、かつて少年倶楽部の小説やテレビドラマの世界で、ジンギスカンの秘宝を求めてアジア大陸を疾走した冒険の記憶を呼び起こし、しんいちとくるみを日常では許されない激しい愛へと掻き立てます。
肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない臓器交換の現実に抗い、死者の肉体の一部が別の肉体の一部として生き、新しい持ち主に逆らい、やがて新しい持ち主の人生までも変えてしまうという切ない物語は、そうはさせまいとする退屈な現実と激しくたたかいながら、やがて紅テントの彼方のもうひとつの暗闇へと去って行きます。
怪優・辻孝彦が亡くなり、赤松由美が退団するなど、個人的にとても残念な思いですが劇団の離合集散は避けられるものではなく、若い役者を育てながら劇的空間を維持することはとても大変だと思うのですが、個人的には今回の芝居は切なさだけが膨張した、すこし寂しい芝居だったように思います。
しかしながら、この芝居は唐十郎が寺山修司にリスペクトした芝居で、唐十郎本来のドラマツルギーとは少し違う異色の作品だったことから、そう感じたのかも知れません。
ラストになって、田口はジャガーの眼の最初の持ち主であったことを打ち明け、くるみがしんいちをおいかけたように、田口もまた自分の眼の新しい持ち主・くるみの夫とくるみの愛の生活を覗き見していたことを打ち明けます。そして、くるみが幸せのりんごという愛の記憶を探す依頼を田口にするように仕向け、助手として雇い入れたのも、くるみを愛していたからでした。
それはまた、住民の悪感情から今でいうバッシングを浴びせられた寺山修司ののぞきという行為が、「愛するのもみな他人、覗くのは僕ばかり」と、「みてはいけない何か」を見てしまうエロスなのだと、唐十郎は田口にいわせるのでした。
思えば演劇では、寺山修司は唐十郎に嫉妬していたのだと思います。唐十郎が芝居を始めた時から、寺山修司は嫉妬という形で唐十郎を最大限に評価し、援護してきました。寺山修司が天井桟敷を旗揚げすることになったのも唐十郎の影響からで、それがゆえに唐の劇的空間とは違うアプローチをしてきたのだと思います。
そして、唐十郎もまたそんな寺山修司を、ほんとうはとても深いところで共にたたかう兄貴分の同志と慕っていて、寺山が亡くなって2年と言うタイミングで寺山修司をきちんと評価し、心の中で別れを告げたのではないでしょうか。
それがゆえに40年の時を隔てた今、唐組の若い役者たちはこの芝居を必要以上にノスタルジックに感じたのかもしれません。

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