唐十郎の芝居

昨日24日、唐十郎率いる唐組の芝居を観に行きました。唐十郎の芝居は状況劇場の後期、根津甚八や小林薫が絶好調だった「風の又三郎」以来観てきました。状況劇場が解散になり、唐組として初めて大阪に来た時から、今までの芝居と違い、なにか若い役者をいとおしく見守るような唐十郎の視線がずっと好きでした。
春に一度、必ずやってくる唐組の芝居を毎年楽しみにしています。

さて、芝居の方ですが、毎回実はあまりよくわからないまま終わってしまいます。あまり深く考えなくても楽しめたらいいやと思いつつ、一方で深い洞察と広い見聞に裏付けられていることが多く、むかしは後で脚本を読んでみて、「ああ、こういうことだったのか」と納得することもあって、なかなか悩ましい一夜となるのです。
けれども、わたしの勝手な見方かもしれませんが、唐十郎の芝居の中に入るとそこはかつていとおしい者たちがひしめきあい、たたかい、心を通わせていた街、いまはもう消えてしまったけれども、ぬりかえてもぬりかえても浮かび上がってくる記憶の壁、そしてその世界から今ある世界へとつながる地下水道、現実の世界のいたるところに唐十郎の街へとつながる穴がぽっかりあいていて、いつでもその暗闇にはまりこんでしまう危険な空間が赤テントに仕込まれているのを感じます。
芝居の最後、閉ざされたテントの空間が解き放たれ舞台後方の背景が破れると、夜の風が観客をつつみ、サーチライトで照らされた果てに青年・稲荷卓央がリヤカーを引く風景は、とてもドラマチックで胸が切なくなります。
遠く彼方のその風景は、かつてあった風景、あったかもしれない風景がこれからあるかもしれない風景、あるべき風景ととけていき、わたしたちにかすかな希望の光をとどけてくれるのでした。
いま、被災地の海岸線に横たわる幾多のがれきが何百キロとつながっているその下で、かつて息づいていたはずの何万人の人びとの暮しの風景が唐十郎の世界に溶け込んでいく時、そこから立ち上るいのちの証は明日への希望へと解き放たれるのでした。
いつものように「また会いましょう」と唐十郎の衰えを知らない美しい声が、いまも心に響いています。

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