「憲法カフェ」と安保法制廃案統一行動

8月29日、第4回「憲法カフェ・能勢」を開きました。今回はじめて能勢町倉垣交差点そばにある能勢町住民サービスセンターを会場とし、能勢の東地区でのはじめての開催となりました。 「憲法カフェ・能勢」は緑あふれる能勢で土を耕し無農薬野菜をつくるひと、その野菜を近隣の町に届けるひと、長い間市民活動をしてきたひとや、わたしのように能勢に移住してきたひとなど、こよなく能勢を愛するひとびとが集まり、憲法が変わったら日々の暮らしはどうなるのか、その思いを話しあおうとはじまったゆるやかでゆっくりした会です。 わたしはたまたま第1回の集まりを新聞折り込みで見て、恐る恐る参加しました。というのも、わたしはこれまで障害者問題以外でこういう会に参加したことがなく、自分の考えを人前でストレートに話すことがとても苦手で、できるだけそういう機会を避けてきたからです。 当然のことながら、70年安保の世代でありながら、若い時にデモに参加したことは1回だけで、その後も一般的に平和や政治にかかわる会には、障害者問題との関連でしか参加しませんでした。 そんなわたしがこの会に参加しようと思ったきっかけについては以前に書きましたが、少なくとも戦争や紛争によって他国のひとを傷つけることも傷つけられることもなくきたこの国が、安保法制によって大きく変わってしまう瀬戸際にあることがあります。 日本社会の行方に大きな不安を感じる中で、戦後すぐに生まれたわたしがどれだけ憲法によって守られてきたのかを実感しています。人生の残り時間が少なくなってきて、今度は次の世代へとバトンをつなぐことで憲法への恩返しをする時だと思うようになりました。また、せっかく山里の能勢に住むことになったので、少しずつでも能勢でさまざまなことを思い、行動されている方に学び、ともに行動できないかと思ったのでした。 これまで3回開いてきた内容と同じく、最初は「明日の自由を考える若手弁護士の会」の遠地靖志弁護士が作成された憲法クイズをビデオプロジェクターでスクリーンに映し、参加者に答えてもらいました。それから後、参加者の質問や意見を語り合うのですが、毎回参加者の発言から「立憲主義」や「公共の福祉」を学んだり、また子どものころに戦争を体験された年配の方の切実なお話を聞いたりと、それぞれ意義のある会となりました。 今回は安保法制法案が参議院で審議が大詰めを迎え、安倍政権が60日ルールで衆議院での再可決という強硬策をとるのか、それとも参議院でも可決するのか予断を許さない状況ですので、もう一度政府の安保法制法案をもう少し踏み込んで学ぶ会になりました。 その分、どうしても難しい内容となってしまい、質問も法案に対する具体的な質問が多く、参加者の思いを語ることが少なくなってしまいましたが、それを承知で今回は学習に重きを置きましたのでそれでよかったのだと思います。 もともと、10本の既存の法律の変更と1本の新しい法律の成立をまとめて採決し、ひとつひとつの法律の中身もさることながら、それらが全体としての大きな意志を持ち、集団的自衛権と国際平和の名の下に他国軍の軍事行動を後方支援する自衛隊の派遣を永久法で認めるという、わたってはいけないかも知れない大きな川をわたろうとしているのですから、知れば知るほど違憲法案と憂慮し、反対するひとびとが声を上げる一方で、やはり何度聞いてもわからないという実感もまた募るばかりです。 「安保法制は平和法案なのか戦争法案なのか」、それが今回のテーマでしたが、結局のところ政府やこの法案に賛成するひとびとは中国や北朝鮮などの軍事的なプレザンスが高まるなど日本の安全保障環境が大きく変わり、攻撃されてから武力行使をする今までの個別的自衛権では対応できないといいます。そして「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされる」など3つの条件を満たせば「必要最小限度の反撃(武力行使)を認めるとするように、防衛力、軍事力によって平和を守るという主張です。 それに対してこの法案に反対するひとびとは(その中にわたしもいるのですが)、軍事力やアメリカ軍などとの軍事協力の強化は周辺国を刺激し、他国同士の戦争に自衛隊も日本国民も巻き込まれるだけで、だからこの法案は戦争法案で違憲なのだと主張します。 20世紀の冷戦時代から学んだことは軍事力を高めると周辺国もまた軍事力を高め、キュ-バ危機のように一触即発の危険と隣り合わせとなる。現に世界のいたる所で軍事衝突が無数の難民をつくり、おびただしい血を流し、飢えた子ども達を死に追いやっている。軍事力で平和をつくりだせなかった20世紀の教訓を生かし、周辺諸国と国際社会の軍事的な緊張をいかに少なくし、平和憲法のもとで国際的に信頼を得ている非戦の国家として、東アジア地域全体で経済的にも政治的にも助け合える共同体づくりを積極的に提起するべきではないかと、わたしは思います。 たしかに中国や韓国、北朝鮮の動きはわたしの思う方向とは逆の方向を向いていて、その軍事的プレザンスは高まる一方かもしれません。しかしながら、太平洋に隔てられたアメリカに対して、ごく近くの周辺国であるこれらの国々との地政学的な関係は暗い歴史もふくめて長い歴史を持っていて、まずはこれらの国々との平和共存を呼びかけるための大切なツールが平和憲法であり、9条であるはずです。 さらには、1948年に採択された世界人権宣言の前に、世界最初の人権宣言として知られる1776年のアメリカ「バージニア権利章典」に敬意を表しつつ、日本最初の人権宣言といわれる1922年の「水平社宣言」を持つわたしたち日本人は、中国に対してもはっきりと、国家によってひとびとの自由や幸せを奪ったりおさえつけてはいけないと提起すべきですし、アメリカに対しても原爆投下がその時には国際的には対象になっていなかったとしても明らかに戦争犯罪であったことを主張すべきでしょう。もちろんその前に、日本の侵略と戦争犯罪に対する反省とほんとうのお詫びをわたしたち日本人がしなければならないのは当然のこととわたしは思います。 思えば日本国憲法は、それらのことをいずれきっちりと謝罪し、解りあい、平和共存していく話し合いに着くまでのあいだ、わたしたち日本人を守ってきてくれたのだと思います。「憲法を守る」のではなく、「憲法に守られてきた」ことを今回の一連のことで痛感します。

あくる日の30日は国会周辺に主催者発表12万人、大阪の扇町公園に2万5000人のひとが集まり、安保法案の廃案を訴えました。わたしも友人と参加し、その後ここ最近毎年唐十郎のテント小屋が張られる南天満公園までデモというかパレードというか、歩きながらなつかしいシュプレヒコールをしました。 先に書きましたように、わたしは70年安保の時、全共闘の大学生とまったく同じ年代でしたが、たった一度、会社の同僚の青年に誘われたデモにいっただけでした。その時もいまも、わたしのこういうことに対する姿勢は変わらずで、なかなか腰が重く、今回も友だちが行きたいと言うので一緒に行ったというわけです。 70年安保の時のデモはジグザグデモではなかったのですが、道路いっぱいに広がって手をつなぐフランスデモで、禁じられているデモですが、わたしはこの時に手をつないだ誰かも知れない手がとてもひんやりとしていたことをよくおぼえています。 今回のパレードというかデモは、2年前に反ヘイトスピーチ行動の時と同じく、妙におまわりさんがソフトで気持ち悪く、またこのデモで一番目立っているのはもしかするとおまわりさんかも知れないと思ってしまうほど、誘導整理に大活躍でした。 時代はめぐり、今のご時世は何もかもがイベント化、バラエティー化していて、おまわりさんも大阪城ホールの大きなコンサートの入場整理の係り員のようでした。 ともあれ、どんな形であろうとも参加してみると不思議なもので集まったひとびととの心のつながりを肌で感じることができることと、民主主義のもうひとつの力である直接民主主義としての国会の外での街頭行動のうねりが、国会の流れを変えるかも知れないという一縷(いちる)の切ない望みを抱いて歩きました。

さて、今日あと30分もすれば「NHK歌謡コンサート」が始まります。私事ですが仕事をやめて経済的にも肉体的にも能勢から外に出ていけない中、これからは音楽番組で島津亜矢のすがたを観るのが数少ない楽しみのひとつになりました。もっとも、これからも年に2回はコンサートに行こうとは思っていますが…。 また今度の日曜日の「NHKのど自慢」に松山千春とともにゲスト出演するのをとても楽しみにしています。それが縁で、たとえば30周年リサイタルにサプライズ出演があったりすればいいなと思います。年末の紅白歌合戦も…。

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