たったひとつのいのちも犠牲にしないために 第六回憲法カフェ・能勢

2月21日、大阪府能勢町の淨るりシアターの和室で、第6回憲法カフエ・能勢が開かれました。今回は「民主主義と辺野古」をテーマに、地方自治と民主主義、そして憲法とのかかわり合いを学習することになっていました。名護市長選、名護市会議員選、沖縄県知事選、衆議院選挙と、米軍基地辺野古建設に反対する候補者が当選し、直近の宜野湾市長選では与党の推薦を受けた現市長が当選したことで「オール沖縄」はまやかしだと喧伝される今でもなお、多数のひとが辺野古基地に反対の意思を表明しているにも関わらず、ここでは多数決が無視されてしまうのかをあらためて考えようという企画でした。もちろん、日米安保体制のもとで防衛上の優先事項とされることを承知の上でのことです。
一部はジュゴン保護センターの松島洋介さんのお話を聞き、ランチタイムは沖縄そばを食べ、午後は遠地靖志弁護士をプレゼンテーターとする憲法カフエという設定でした。

今回の集まりのことが朝日新聞に掲載され、奈良県在住の沖縄県人の方から問い合わせがありました。この方は辺野古から1キロほど離れた所に実家があり、辺野古移設大賛成という意見をわたしたちの会で表明し、議論したいというお話でした。憲法カフェ・能勢では始まった頃からいろいろな意見を議論できればという思いがあり、「大歓迎です」と伝えていました。実際に来られるかどうかはわからないとも思いましたが、ランチタイムの沖縄そばから参加してくださり、午後からの学習会がはじまると最初から講師の遠地靖志弁護士の話に質問や意見をぶつけられました。
本土の人間には分からないだろうけれど、沖縄の周辺は中国の脅威が押しよせている。
普天間基地はほんとうに危ない。辺野古に基地をつくり、中国の侵略に対抗しなければならない。
知事は中国と手を組んで、沖縄を中国に売り飛ばそうとしている。
辺野古に基地をつくるのは防衛上の国の優先事項であって、地方自治とは無縁だ。
安倍政権は多数の民意で成立し、民主党がだめにしたものを立て直し、国民を守るために頑張っている。
わたしの実家のある辺野古で、基地に反対しているものはいない。
反対しているのは本土から来た運動家だ。
先の戦争でサイパン、ガム、レイテ島、ルソン島など、沖縄よりもはるかに多数の犠牲者がでた。何も沖縄だけが犠牲になったのではない。
外交とか話し合いで国を守れない、自分の子どもや孫のために犠牲になる覚悟を持たないでどうする。

真偽のはっきりしない主張を前面にし、なかなか講師の遠地さんの話を聞いてくれないので、とうとう会の終わりのころに年配の女性が「あんた、いいかげんにして。今日はそんな話をきくためだけに来たんやない。しゃべりすぎや。マナーをわきまえて」と話すと、「そういってくれたらすぐにやめたのに。ごめんなさい」と、やっと話し終えたという感じでした。
しかしながら、それでもわたしはこのひとはえらいなと思いました。なかなか自分とまったくちがう考えのひとが集まっているらしい場所にたったひとりで、それも声を荒立てることもなく、とつとつと自分の考えや思いを話にくるのは勇気がいることだと思います。
彼ひとりがしゃべり続けることになってしまったのは、主催者であるわたしたち憲法カフェ・能勢の進行にも問題があったからで、参加された他の方々に申し訳なかったと思っています。

その上でなんですが、わたしは彼の一方的な話を聞き、沖縄のひとびとの長く悲しい歴史の重さに圧倒されました。
その中でも、沖縄と本土の温度差をいちばん感じたのは、沖縄では米軍基地の戦車や武器弾薬などが日常の風景にあり、延々とつづく事故や事件もたびたびあり、基地を飛び出すアメリカの戦闘機が空をかけめぐり、武力衝突もいつ起こるかも知れない一発触発の日々であることです。
その実感から、彼が「本土で平和なんて言っているひとは沖縄のことを何もわかっていない」と思ったとしてもあたりまえなのかも知れないと思います。彼にとって沖縄を守り、自分の家族を守ることが「国を守る」ということに直結してしまうのは、そんな切羽詰まったところに沖縄があることを証明しているのだと思いました。
わたしは沖縄のひとすべてが辺野古の基地建設に反対しているとは思えないですが、それでもきっと沖縄に基地はいらないと思っているひとは大多数だと思います。宜野湾市長選挙で現職の市長が当選したのは、「はやくここから出て行ってくれ」という市民の思いだけがひきだされた結果であり、それはまさしく、いつも身の危険を感じてくらしているひとびとのせつない願いなのだと思います。
しかしながら、優先事項として国が米軍の辺野古基地をつくるのは沖縄県人や国民を中国の侵略から守るためだと本心で思っている現状認識を別に置いたとして、それに立ち向かうために武力を増やし、防衛体制を強化し、抑止力によって沖縄と国を守ろうとすることがかえって緊張を高め、武力衝突を誘引するというのもかなりの確度でありうることではないかと、わたしは彼に言いました。
彼は「もしそうなった時、親や子供、家族のために自分を犠牲にして戦わないで、だれが国を守るんですか」といいましたが、わたしはたとえ多くの命はすくわれたとしても、その戦闘で少なからずの命が奪われたら、先の戦争の沖縄戦の屍の上にまた沖縄の犠牲者の屍を積み重ねることになってしまいます。彼の家族が犠牲にならないという保障もありません。
結局のところ、「国を守る」ためにはいざとなったら多少の犠牲はやむをえないのか、犠牲になるたったひとつのいのちはそのひとにとって100%の命であって、理想論とか甘い考えとかいわれようともそのいのち、たった一つのいのちも犠牲にならないように中国をはじめ近隣諸国やアメリカとの話し合いという外交、そして日本国内においても多様な出自を持つひとびとが助け合っていくためにつたなくても自分の感じたことや思いや願いをまずは話してみることが、武力衝突やテロを防ぐもっとも遠回りの近道なのではないかと思いました。

不謹慎ではありますが、今回の憲法カフェ・能勢は多少の筋書きを考えていた主催者も参加された方々もまったく想定できなかった展開となったことで、不思議に刺激的で貴重な時間を共有できたのではないかと思います。ただし、一生懸命ていねいに冷静に話を進めようと努力された遠地靖志さんには申し訳ない事をしました。
今後はこのような場合の進行のルールについて、あらかじめ考えておこうと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です