憲法カフェとシールズ

浄瑠璃公演終了後、いそいで憲法カフェ・能勢の会議に出るために保健福祉センターに行きました。浄瑠璃の終演がほぼ会議の始まりだったので、電動自転車でいそぎましたが、おかげで間に合いました。
先月の29日に第4回「憲法カフェ・能勢」を能勢町の東地区で開催し、参加人数は少なかったのですが、今回はプレゼンテーターの遠地弁護士にあらためて「安保法制」がどういう法律なのか、政府と賛成側の主張と反対側の主張を解説していただきました。
たしかに、法案の中身を詳細に聞くほどよくわからないところがあり、この会のもうひとつの在り方として参加される方々の率直な想いを語ってもらうというところまでにはなかなかいかなかった感もあります。
数多くの国民が「違憲」と言う安保法案に対して「合憲」と主張する政府や賛成するひとたちの本心は、国家の存立と国民ひとりひとりのいのちと生活と財産を守るためには武力による抑止力を高めることで、古ぼけた憲法9条はその妨げでしかないということでしょう。
今回のカフェは、国会の外での「もうひとつの民主主義」ともいえる街頭行動の盛り上がりと、そのことに本心では焦りを持つ政府がこの法案を強行採決も辞さず成立させようとする中で開かれました。
中国の軍事的脅威、北朝鮮の暴発、韓国との緊張などを引き合いに、武力による抑止力を持つことがほんとうに安全保障を高め、わたしたちのいのちを守ることになるのか。
かつての冷戦時代のように抑止力がさらに新たな軍事的脅威を生み、さらなる抑止力へと軍事力を高めることが国を憂う賢者で、武力に頼らず粘り強く話し合いで共存することで軍事的緊張を少なくすることは甘い理想で、安全保障の対案を持たない「なんでも反対」の愚か者なのでしょうか。
この法案を「平和法案」とする政府と、「戦争法案」とする反対するひとびとをわけるものは、「武力による平和への道」と「その武力こそが戦争への道」との対立であり、「なぐられたらなぐりかえせ」とすることを最小限認めてきた個別的自衛権から「なぐられるまえになぐりに行け」とする自衛を越えた専制攻撃を集団的自衛権とする政府と、それを憲法違反とし、「戦争のできる国」にすることだというひとびととの対立でもあります。
わたしもまた、子どものころから「ソ連がせめてきたらお前らは愛する家族や国を守らず、自分だけ逃げるのか」という暴力的な言説を突きつけられながら大人になりました。
「平和を愛する」とか「LOVE&PEACE」とか「話し合い」とか「共存」とか、そんな言葉はみんな甘ちゃんの繰り言で、この国を愛して死んでいった先人たち、いまも国のためにいのちをかける自衛隊のひとたちが縁の下で支えてくれる上にあぐらをかいた「護憲」や「戦争反対」や「民主主義」などで国を守れるはずもなく、愛おしい家族、大切ないのちを守れるはずもないのだと…。長い間、強い口調でそうせまられることでわたしたちは最小限度の自衛権をもつことを自らに許し、自衛隊と日米安保条約を容認してきたのでした。
しかしながら、その時も今も、彼らがいう国が守ろうとする国民の中に、はたしてわたしは入っているのかとずっと疑問に思ってきました。
先の戦争において軍事政権が守ろうとしたのは「国体」であって国民でなかったことは、「本土決戦」を遅らせ、避けるために沖縄の人々のいのちを犠牲にし、「国体」にこだわって広島、長崎の原爆を投下したアメリカ軍の「戦争犯罪」を招き、おびただしい命がうばわれ、かろうじて生き残ったひとびとが今もなお後遺症に苦しめられている現実が証明しています。
それは安倍政権や大阪の橋下市長がさけぶ「自由と民主主義」が、数に頼る多数決による、税金をおさめ、国や町に役立つ国民市民のための民主主義であることと対をなしているのではないでしょうか。
それに対して連日のデモや集会、老若男女、市井のひとから学者、芸術家や芸能人など、多様なひとびとが個人として各地で集まり、この法案に反対してきた行動の中から奇跡的ともいえる形で姿を現したものは、ひとびとによるひとびとのための「もうひとつの民主主主義」だと思います。
大阪市の橋下市長は8月31日、自身の「ツイッター」で、安全保障関連法案に反対する市民団体などが8月30日に東京・永田町の国会議事堂周辺で開いた集会に関連し、「日本の有権者数は1億人。国会前のデモはそのうちの何パーセントなんだ?」「こんな人数のデモで国家の意思が決定されるなら、サザン(オールスターズ)のコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ」と書き込みました。「デモで国家の意思が決定されるのは絶対にダメだ。たったあれだけの人数で国家の意思が決まるなんて民主主義の否定だ」とする彼の民主主義が彼の口癖であるユーザーのためだけの多数決のみの民主主義なのがはっきりしています。 ちなみにこの発言はかつて60年安保の時、岸首相が「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には『声なき声』(サイレント・マジョリティの意)が聞こえる」と言った名言(?)そのままで、権力を握った政治家が感じ、思い、発言することは昔も今も同じだとつくづく思います。
ここまで書いてきたことはわたしの思うところですが、カフェの参加者の質問や思いと、それほどかけ離れていなかったのではないかと思います。

あくる日、友人と3人で若者のグループ「シールズ」の集会に参加しました。8月30日の扇町公園での3万人集会とは少し雰囲気のちがう集会でした。もっとも、扇町公園での集会もわたしが若い時に感じていたものとはちがい、わたしのように個人で参加するひともなんの抵抗もなく入れる雰囲気でしたが、シールズの場合はよりそれが目立っていました。2万人が集まったこの集会はさすがに若い人が多く、とてもたのもしく思っただけではなく、68歳になるわたしも自分らしく行動していくことの大切さを学ばせてもらいました。
その中でも、涙が出たスピーチがありました。ひとがいっぱいで姿かたちは見えなかったのですが、ほんとうに若い女性のお話でした。
「わたしは数少ない経験ですが、いくつかの集団に参加したりしてきましたが、どんな小さな集団でも必ず『全体主義』と『権力』があることを学びました。いままでわたしは自分の意見を声にすることはできませんでしたが、この運動の中で今、声を出すことができるようになりました。けれども、いまも自分の声を押し殺している障害をもつひとたちや虐げられているひとたち、差別を受けているひとたちがたくさんおられます。憲法違反の法案が通ることは民主主義の行方すら変えられてしまう不安を持ちます。わたしはいまこうして声を上げることができているけれど、それができなくなるかも知れません。ましてやいま声を上げることができないひとびとの声を、政治家はだれも聞いてはくれないことでしょう。
声高に言う声だけではなく、そのひとびとのつぶやきに耳を傾けることが民主主義ではないでしょうか。」
わたしが彼女の話にリスペクトし、いっぱい付け加えたことを告白します。だいいち、騒然とした中で、しかもときどき声が途切れる拡声器から聴こえる話でしたので、全てをきっちりと聞けたわけではありませんでしたが、若いひとびとがこの「戦争法案」反対行動の中から、「民主主義とは何か」を自問し、語り合い、マイノリテイといわれるひとびとへの差別を減らしていくことと戦争をしないこと、他者の自由を尊重することが自分の自由を獲得し、共に生きることが理想の謳い文句ではなく、そこからほんとうの民主主義がほほえむことを学んだといってくれたことに感激したのでした。
まわりのおじさんおばさんたちが若い人の行動に惜しみなく賛辞を送っていることに、へそ曲がりのわたしはやや眉に唾をつけていたのですが、反省しました。
政治的人間ではなかったわたしの人生をふりかえると、よくも悪くも憲法に守られてきたことを最近強く実感しますが、彼女たち彼たちのさまざまな発言を聞いていて、ここからほんとうの民主主義がはじまるのだと思いました。
そして、わたしもまた「今から始まるほんとうの民主主義」に参加し、憲法に恩返しをしなければと思いました。

憲法カフェとシールズ” に対して2件のコメントがあります。

  1. kinokazu より:

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    貴殿の文章はとても私では書けないハイレベルなものです。
    私には理解できない外国用語がでてきますが、インターネットで調べながら読みすすめています。とても勉強になります。
    安保法制に対する考え方も賛成です。
    軍事バランスが平和をもたらすという考え方は、どうしても承服できません。
    何よりも、提唱者の安倍首相の右翼体質、公明党はおろか自民党議員内からの声も発出させなかった強権的体制が一番気になります。
    野党をまとめていけるリベラル派のリーダーが欲しいですね。

    亜矢姫の記事が楽しいです。
    私は半年ほどの俄ファンですが、すっかり姫の魅力にとりつかれてしまいました。
    今度初めてsinger1,2を注文しました。8日に着く予定です。
    11月3日の名古屋リサイタル、チケットを購入しました。楽しみです。
    姫の容姿がどうのこうのという人がいますが、歌っている時の姫の姿は極めて魅力的だと思います。
    背も結構高いし、着物姿も似合うし、立ち振る舞いがしなやかで、自然だし上品だと思います。
    私は73歳ですが、老後のよい楽しみができました。

  2. tunehiko より:

    SECRET: 0
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    kinokazu様
    コメントをいただき、ありがとうございます。
    外国語をあまり使わないように心がけていたのですが、申し訳ありません。日本語で書くときつくなってしまう場合の逃げにも使ってしまうことがあります。できるだけ使わないように注意します。
    政治的なことについては行動したり書かないようにしてきたのですが、最近の世の中の動きが怪しくなってきて、とうとう街頭行動にも行ってしまいました。
    わたしは安倍政権があてにしているサイレントマジョリティ(また使ってしまいました。ごめんなさい。物言わぬ多数派とでもいいましょうか。)が安保法制に賛成しているとは思わないのです。というのも、わたしもまたそのひとりで、時々自分が保守的だなと思うことがあります。
    島津亜矢さんは、わたしの人生における最後の歌姫だとおもっています。わたしは大阪ですので、フェスティバルホールに行きます。
    こんごともよろしくおねがいします。

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