晴れない霧の中で死んでいった人々にささげる挽歌

大陸と独立のはざまを生きぬいたひとびとの記憶と希望の物語

 5月4日、大阪梅田のスカイビルにある「テアトロ梅田」に映画「霧のごとく」を観に行きました。
 映画「霧のごとく」は、台湾の嘉義のサトウキビ畑を歩いてくる一人の少女・阿月(アグエー)が反政府分子として追われ、身を隠している兄に食べ物を持ってくるシーンからはじまります。
 兄は1年後、5年後、10年後と腕時計の針を回し、台湾社会の明るい未来を妹に託し、決して諦めず前を向く勇気を持ち続けることを教えるのでした。つかのまの幸せな時間は一気に破られ、迫りくる追手から逃げる兄から少女は腕時計とノートを渡されます。
 「1秒先の彼女」、「熱帯魚」などで知られる台湾のチェン・ユーシュン監督の2025年脚本・監督作品「霧のごとく」は長い戒厳令のさ中の1950年代、社会のゆくえもひとりひとりの人生の行方もわからない時代を生きぬいたひとびとの物語で、白色テロといわれた暗黒の時代の挽歌でもあると同時に、その時代を生き抜いた希望と再生の物語でもあります。

時代の底辺でささやかな幸福を求める孤独のたましい

 台湾は日清戦争の結果、1895年から第二次世界大戦での日本敗戦まで50年にわたり、日本が支配していました。日中戦争がはじまると資源供給基地として台湾が重要視され、皇民化政策が推し進められました。国語運動、改姓名、志願兵制度、宗教・社会風俗改革など台湾人の日本人同化政策がより強化され、強圧的な統治がつづきました。
 1945年、日本の敗戦で台湾は中華民国による統治となりますが、その後の中国本土の国共内戦で共産党が勝利し1949年に中華人民共和国が成立、国民党政府は台湾に撤退します。
 当時の国民党政府は徹底的な反共主義で中国大陸の奪還をめざす一方、台湾では極端な圧政を実行しました。それに対する反発から全土的に広がった激しい抵抗運動、二・二八事件運動の鎮圧後、1949年から1987年まで長く戒厳令が敷かれていました。「白色テロ時代」といわれる約40年という長い年月、国民党は台湾国民に相互監視と密告を強制し、反政府勢力のあぶり出しと弾圧を徹底的に行いました。無数の犠牲者が葬られ、言論統制と監視によって人々の自由も生存する権利もささやかな幸せを求める願いも封じられます。
 少女・阿月(アグエー)は、反政府分子として捕らえられた兄が台北で処刑されたことを知ります。わずかな金と兄の形見の時計を手にひとり台北へ向かう阿月でしたが、兄の遺体を引き取るには高額な手数料が必要でした。途方に暮れていたところを怪しい男に騙され、遊郭に売り飛ばされそうになった彼女は、人力車の車夫・趙公道(ザオ・ゴンダオ)に助けられます。中国・広東出身の彼は、国民党軍の兵士として台湾に渡って以来、故郷へ帰ることもかなわず、その日暮らしの生活を送っていたのでした。人生に行き場を見いだせずにいた公道は、阿月の思いに心を動かされ、阿月の兄の遺体を取り返そうと決意します。
 「出発!」。大きな声で叫びながら、阿月を乗せて自転車をこぐ公道の姿はそのまま阿月の兄が教えてくれた「前を向く姿」であり、時代の暗闇の中にある台北の埃舞う道を走り抜け、光の方向へと出発する姿でもありました。故郷に帰れず底辺を生きるしかない公道もまた、阿月と一緒に「出発!」するのでした。
 映画は少女・阿月の無垢な心と厳しい現実の真ん中で他者を信じる圧倒的な勇気、そしてその勇気に伴走する公道に助けられ、今の時代が、日本が、世界が忘れたい思い出したくない歴史の袋小路へとわたしたちをつれていってくれる一風変わったロードムービーでもあります。ロードムービーというと列車は別として車やバイクのイメージですが、この映画では人力車タクシーがあります。1950年代の台北を再現した見事なセットからは砂ぼこりが舞い上がり、どこか昨年1972年までのアメリカ支配下にあった沖縄を描いた「宝島」を思い出しました。
 台北に養子に出された姉を訪ねてやっと兄の遺体を取り返すゆっくりとしたシーンは、人々の身体も魂に一粒の砂粒ほどの重さも痛みも感じない政治権力の理不尽な暴力をわたしたちに突きつけます。それはそのまま過去に日本国家によって失われた無数のいのちとつながり、日本でこの映画を見るわたしたちにつながることでもあるのです。

「出発!」、「非情城市」から「霧のごとくへ」。

 わたしが見た台湾映画は1989年に制作されたホウ・シャオシェン監督作品「非情城市」でした。1945年の日本敗戦から1949年の国民党政府の樹立までの4年間、「二・二八事件」をはじめ台湾の激動の時代を台北近郊の港湾都市・基隆で表向きは船問屋、裏では義理人情に厚い昔ながらのヤクザ稼業を営む一族を通して描いた一大叙事詩です。
 わたしはこの時はじめて今ではあまり言われなくなった台湾社会での本省人と外省人という言葉も「二・二八事件」も白色テロといわれる戒厳令のことも知りました。ホウ・シャオシェンのファンになったわたしはいくつかの台湾映画をみるようになりました。また、トニー・レオンのファンになったことから香港映画も中国映画もみることなりました。
 今回の映画「霧のごとく」の時代背景は「悲情城市」のすぐあとになりますが、この時代からすでに70年も過ぎ、台湾社会が勝ち取ってきた「人権」と「民主主義」は目を見張るところでもあります。
 「非情城市」が困難な時代を超リアリスムの手法で過酷な現実を丁寧に救い上げたのに比べて、「霧のごとく」はその時代が忘れられていくことへの警鐘をこめたこともあるのでしょう、エンターテインメントを取り入れ、今の大衆の心に直接届けられる工夫がなされているように思います。
 この映画の二つの大切なアイテムである腕時計とノート。腕時計がどんな時もあきらめないで前に進む「出発!」という掛け声を時代の希望としたように、阿月の兄がノートに書き記した「二つの雫」の物語にはこの映画のもっとも大切なメッセージをわたしたちに届けてくれました。
 晴れない霧の闇をさ迷うように時代に翻弄され、時代に押しつぶされ、時代に取り残された孤独なたましいのひとつひとつ、霧の彼方に突き進む勇気を持って死んでいった無数のいのちたち、雲にならずに霧のまま人生を生き抜いた人々。一滴の涙が重ね連なり、歴史をゆっくりと希望へとみちびいた無数のひとびとの無数の時間。
 ラストシーンでは台湾の1950年代を無垢な心で見つめ、生き抜いた一人の少女の未来がどうなったのかを教えてくれます。そして70年前に巡り合い、少女の兄の遺体を取り返すために力を貸してくれた青年もまた生き延びていたことを教えてくれるのですが、同時に二人の再会がそのまま別れになることで、あの過酷な時代の友情がいとおしくもかけがえのないものだったことをわたしたちに突きつけるのでした。取り戻せない、取り戻してはいけない時代への挽歌でもあるこの映画は、これからの台湾の未来がどうなるのかを教えてくれません。それはこの映画を見終わったわたしたちが願い、考え、見届けることでもあるのです。
 この映画は台湾のひとびとだけではない、世界のひとびとの願いとささやかなしあわせの花束なのだと思いました。

雲と霧はどちらも水蒸気から生まれます。
ひとつは空へと昇り、もうひとつは地上に立ちこめる。
もしかすると霧は、空高く飛び遠くを見渡せる雲を羨ましく思うかもしれません。
しかし結局のところ、雲も霧も、誰かの目に映る景色にすぎないのです。
たとえそれが雲であろうと霧であろうと、私たちはあの風景を忘れてはなりません。
私たち自身が、いつか誰かにとっての美しい風景となるために。
(チェン・ユーシュン監督)