ふたつのラブソング 槇原敬之と金森幸介  その2・金森幸介

とりかえせない夢こそたからもの

いいこと悪いことみんな
思い出に変わって良かった
やさしい風が吹いて
いつの間にか日が暮れて
金森幸介「いいこと」

 槇原敬之のライブの余韻が残る28日の夜、能勢のCafe気遊さんへ金森幸介のライブに行きました。1970年代からわたしは三上寛、小室等、友部正人と、なぜか東京のフォークばかりを追いかけていて、不明にも関西フォークの草分けのひとりである金森幸介のことは知りませんでした。
 能勢のCafe気遊で彼の音楽に触れ、とうに70をすぎても新しい音楽に心を奪われてしまう自分におどろきました。そして残りの人生を金森幸介の歌と伴走できる幸運をくれた気遊さんに感謝しました。ほんとうに、金森幸介の50年に及ぶ歌の旅の現在地に間に合ったことはわたしにとって奇跡に近いことでした。

 どうやら、彼の音楽はエンターテインメントとは無縁というか、まったく違う音と言葉の泉から生まれあふれてくるようです。ギターが心に閉じ込めた激しい熱情と渇望と悔恨を語り叫ぶ中を、歌は嵐が通り過ぎた後の静けさに取り残された言葉の破片を拾い集めるのでした。その歌はたとえば風の破片、森の秘密、川のつぶやき、海の沈黙、遠い記憶、記述されなかった歴史、取り返せるはずもない青春、語られることがなかった愛の物語、置き忘れてしまった青春の瑞々しい心のふるえであったりするのでした。
 そのひとつひとつの言葉、独り言のような語りに隠れている、過ぎ去ったものへの愛と圧倒的な自己肯定感、だいじょうぶと励ましてくれる静かな勇気…、金森幸介が愛おしくすくいあげる途方もない長い時は、わたしたち同時代の叙事詩なのだとおもいます。

また来る春はなんだろう

 1970年代から「遠く早く」とせかされたきたつけがあらゆるところに蔓延し、わたしたちも世界もとても疲れてしまいました。ブレーキもハンドルもままならず、誰も望まないであろう袋小路に驀進する途上にいて、今ならまだ華やかだった景色に帰ることでできるとカンフル注射を打ち続けながら絶望的な箱舟に乗るわたしたち…。
 金森幸介が「もう引き返せない」と歌ったのは、わたしたちが暴力的で扇情的な嵐の時代のスタートラインに立っていた時でした。金森幸介もわたしたちも半世紀という人生のほとんどをかけて、黒い土の上をのたうち回った貧困と切ない夢と流行り歌とちぎれた鉄条網と幸福幻想が破裂寸前に詰まっていたあの頃に戻ってきたのだと思います。
 わたしたちはまた、そこからちがう物語を紡ぐことになるでしょう。
 願わくば今度こそはこの黒い土からもう一度歩き始め、ささやかな夢やつつましい願いがどんな暴力によっても踏みにじられない未来に開かれていますように…。

 「さよならだけが人生ならば、また来る春は何だろう」と歌った詩人のように、わたしたちも「また来る春」をあらためて信じようと思ったライブでした。
 最後にいつものことですが、こんな音楽に我が身を預けられる場を提供してくれた能勢のCafe気遊の井上さんと、スピーカーを通さないような生音に聞こえるクリアでやさしい音響でライブを豊かにつつんでくれた村尾さんご夫婦に感謝します。

夢は色褪せてく 僕は年老いてく
でもまだへこたれちゃいない
夕陽を追いかけてく奴の歌が聞こえる
金森幸介「もう引き返せない」

「もう引き返せない」 金森幸介

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