静かにゆるやかに、新生「六文銭」の新しいプロテストソング

11月10日、大阪四ツ橋の近くのライブハウスで、六文銭(ろくもんせん)のライブがありました。六文銭は小室等さん、及川恒平さん、四角佳子さん、こむろゆいさんの4人のグループです。
六文銭は1968年に小室さんが中心となって結成されたグループで、「雨が空から降れば」や、1971年に第2回世界歌謡祭のグランプリ受賞曲で上條恒彦さんと歌った「出発(たびだち)の歌」などのヒット曲を残して1972年に解散しました。結成から解散までに頻繁にメンバーが入れ替わり、及川恒平さん、四角佳子さんは最後の頃のメンバーでした。
その後、2000年に小室さん、及川さん、四角さんによる「まるで六文銭のように」として活動を再開、2009年にこむろゆいさんが加わり、「六文銭'09」にグループ名を改めました。そして今年、新しいアルバム「自由」の発表に合わせて、「六文銭」とグループ名をもとに戻しました。
わたしは昨年亡くなった被災障害者支援「ゆめ風基金」の副代表理事・河野秀忠さんから小室さんを紹介してもらいました。1987年だったと思いますが、当時、豊能障害者労働センターの代表だった河野さんがお願いして、センターの新事務所建設を応援するコンサートのために箕面に来ていただいたのが最初の出会いでした。また最近は牧口一二さんが代表理事を務める被災障害者支援「ゆめ風基金」の呼びかけ人代表を引き受けてくださっていて、わたしはゆめ風基金のイベントスタッフとして親しくさせてもらいました。

開演時間になり、ゆっくりとステージに立った4人は、いつもと少しちがうように感じました。というか、わたし自身がいままで「ゆめ風基金」のイベントでの小室さんとゆいさんに見慣れ過ぎていたため、4人のライブも何度か見ていたのですがあまり区別ができてなかったのかも知れません。
しかしながらこの雰囲気、この空気感はそれだけではなく、1972年の解散から46年の時をくぐりぬけ、それぞれの変遷の果てにたどり着いた「六文銭」という、なつかしくも新しい船に乗り込み、「自由」という羅針盤だけをたよりに行き先のない船出をする4人が目の前で静かに微笑んでいるのでした。
なんともいえないすがすがしさといさぎよさとたおやかな夢を乗せて、いまこのライブハウスからわたしの頭上を越えて航海に出るような、そんな胸騒ぎに襲われました。それはちょうど1980年に小室さんがつくった「長い夢」のようでした。
ほとんど新しいアルバムからのセットリストでしたが、どの曲にも過去から現在へ、現在から未来へとゆっくりとした時の流れを感じさせ、時代の記憶がよみがえり、やり直せるはずもないのに過去に選んでしまった人生のY字路に何度も引き戻されそうでした。 といって決して過去を懐かしむのではなく、それぞれがたどってきた道をふりかえりながらも、新しい旅へと向かうアナーキーな音楽、ひとにも音楽にもかぶせられる役割をすべて脱ぎ捨てた自由、周りの制約や決まり事によって広くなったり狭くなったりする自由ではなく、無条件に圧倒的に無防備に、何よりも先だって自由であることが4人の関係性を対等にしていて、その間の緩い空気がとても暖かく気持ちよく、わたしたちにも伝染するのでした。
その心地よさの中で歌われたどの歌も、CDの歌詞だけ読めばとてもせつなく悲しい気持ちになったり憤りの言葉だったりするのに、4人の妙なるハーモニーとギター3本とウクレレという弦楽器だけの演奏と重ねた歌になると、わたしたちを「だいじょうぶ」と励ましてくれているようで、根拠のない静かな勇気がふつふつとわいてくるのでした。
小室さんはどれだけの時をかけて語り続けてきたのか想像もできないほどの時代の物語を語り、及川さんはあたかも物語の登場人物のように誰かを待ち続け、四角さんは物語の風景の端から端までを瑞々しい歌声で染めていき、ゆいさんはその物語をのぞき込む幼い天使のような無垢の声で愛を歌い、こうして六文銭はおそらく本人たちも楽しくて楽しくて仕方がない時間を音たちと言葉たちと、音にも言葉にもならない願いや想いで埋め尽くしてくれました。
及川さんは演劇的、詩的、映像的な歌詞と曲でつつましやかな日常を一気に非日常に一変させる力を持ったシンガー・ソングライターにふさわしく、今回のアルバムでも「ぼくは麦を知らない」、「世界はまだ」、「世界が完全に晴れた日」、「GOOD来るように愛してね」、「永遠の歌」などの楽曲を提供しました。わたしは「世界はまだ」と、「GOOD来るように愛してね」がとても好きになりました。
小室さんはご本人に失礼なのですが、ご自身が作詞されるよりも他人の歌詞を作曲することに特別の才能を持っているひとだと思います。もちろん、ご自身の作詞による名曲もたくさんあり、ゆいさんと四角さんの提案で今回のCDに再録された「長い夢」や、「こん・りん・ざい」、「熱い風」、以前のCDに収録されている「雨のベラルーシ」、「寒い冬」など、ふつふつとわいてくる憤りを心おさえて歌い語るプロテストソングなどに結実しています。
しかしながら小室さんはそれだけでは満足せず、若い頃から大岡信、吉増剛造、谷川俊太郎などの現代詩を歌にすることに力を入れて来られました。すでに完結して閉じられたそれらの詩を温かい血の通った肉声としてよみがえらせることは、現代詩を言葉の貯蔵庫から引き出し、大衆音楽の路上にあふれさせることでもありました。
あの時代のフォークソングやプロテストソングが怒りや叫び、悲しみなど自分の心情を吐き出し、直接的な強いメッセージを歌うことにシンパシーを持つものの、歌が歌の世界だけにあるのではなく世の中の、社会の、世界のあらゆる雑多な出来事やささやかな幸せを願う心に共振し、ひとびとの言葉にできないつぶやきや何度ものみ込む怒りや異議申し立てに躊躇する心の揺れなどを表現するメッセージソングもあるのではないかと、小室さんは思ったのではないかと思うのです。
結果としてその作業は他のジャンルとのコラボレーションの先鞭にもなり、また一部でフォークからロックへと移っていく起爆罪にもなったのではないでしょうか。
ともあれ、その作業から谷川俊太郎の「いま生きているということ」、中原中也の「サーカス」、中山千夏の「老人と海」など数々の名曲が誕生することになったのですが、今回のCDに収録された黒田三郎の「道」、別役実の「それは遠くの街」、「お葬式」、佐々木幹郎の「てんでばらばら~山羊汁の未練~」はそれらの名曲群に新たに加わった素晴らしい歌だと思います。
小室さんがあるラジオ番組で、「てんでばらばら~山羊汁の未練~」は六文銭の4人でないと歌えないと言われたそうですが、小室さんの音楽的冒険を実現する現代詩人との新しいコラボレーションは「六文銭」の再出発によって生み出されたのだと感じました。
その中でも、わたしは「道」を取り上げたいと思います。数年前に大阪で開催された「ゆめ風基金」のイベントで小室さんがこの歌を歌った時の衝撃は忘れられません。

戦い敗れた故国に帰り すべてのものの失われたなかに
いたずらに昔ながらに残っている道に立ち 今さら僕は思う
右に行くのも左に行くのも僕の自由である
黒田三郎・詩(「時代の囚人」より)/小室等・作曲

いま、憲法を変え、武力を抑止力にして国を守ろうとする強い力がささやかな日常を脅かす危うい時代をわたしたちは生きています。自衛隊の隊員さんをはじめ、ひとの命を犠牲にして守られる国はどんな国なのでしょう。
がれきだらけになってしまった町に道だけが昔のままに残っている痛ましい風景は、その時代のすべての人が見た敗戦の姿だったと思います。「右に行くのも左に行くのも僕の自由である」。
国体にも何ものにもしばられることのない無条件の「自由」を2度となくさない誓いは、当時のひとびとの2度と戦争はしないという不戦の誓いとつながっていたはずです。
戦後すぐに黒田三郎が綴ったこの詩が長い年月の封印をとかれ、小室さんによって歌となってよみがえり、たくさんのひとびとに届けられるメッセージとなったのでした。
休憩をはさんで2時間ほどのライブはあっという間に終わってしまいましたが、あれから1週間たつ今でも彼女彼たちひとりひとりの声と、柔らかいメッセージはわたしの心を今でも暖かくしてくれます。
4人が歌で語りで演奏で対話し、押したり引いたりぶつかったりすかしたりと、あきることのないユーモアと長年の音楽術師のたくみさに裏付けされ、ジャズでもないブルースでもない歌謡曲でもない、そしてフォークですらない新生「六文銭」のかぎりない自由な音楽がこれからどんな地平を切り開き、わたしたちを導いてくれるのか、とても楽しみです。

六文銭ニューアルバム「自由」

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