CD「小室等音楽活動50周年ライブ~復興~」

「小室等音楽活動50周年ライブ~復興~」というタイトルの2枚組CDが発売されています。 このCDは以前このブログで書きましたが、2011年7月11日、新宿・全労災ホールスペースZEROで開かれた同名のライブの実況録音盤です。 7月11日のライブはすばらしいもので、ライブの会場にいる幸せに胸がいっぱいになったものでした。その感動がそのままCDで味わえるというか、ライブ盤の醍醐味をいかんなく発揮していて、それぞれの曲の収録だけではなく、出演したアーティスト23人と客席が震災後4か月という時間を共有し、異様なまでの張り詰めた空気の中でつながり、無数の心がその行方を探すように音楽を求め、会場をかけめぐったあの時がそのまま再現されているのでした。

震災以後、さまざまなアーティストが被災地にかけつけ、被災地のひとびとがいやされたというエピソードが何度もテレビに映されてきました。テレビが映さなかったものも入れれば、もっとたくさんのアーティストが被災地を訪れたことでしょう。 「歌など歌っていていいのかと悩んだけれども、自分にできることは歌うことしかない、歌うことで被災地のひとびとをなぐさめ、はげまそう」という純粋な気持ちが被災地のひとびとの心をいやしたことはまちがいないと思います。 しかしながら、それらの行動を通じてアーティストたちやマスコミが「歌の力」を強調することに、わたしは疑問を持ってしまうのです。わたしがたまたま2007年にうつ病になり、歌をまったく受け付けられない経験をしたことがそう思わせるのかもしれませんが…。 まわりがみんな「歌の力」を信じようとした時、小室等さんは「もしかすると歌には力がないのかも知れない」と自問した稀有のひとでした。 3月11日にこのライブの打ち合わせを終えた直後に地震が発生し、小室さんはしばらくは、「自分のことで浮かれている場合じゃない」と思い悩み、その後はライブを行っても、「心ここにあらずだった」といいます。「愛だの恋だの、プロテスト(異議申し立て)だのメッセージだのっていうものが通用しないって気分。自分のやってきた音楽、表現が震災の前に力を失った。舞台に立ち、人に向かって何かを発信する根拠が、波にさらわれたんです」。 「3月11日の前には、錯覚であるにせよ、ちょっと自分が、表現しえたという実感を、時折は持つことができました。でも3.11以降、その感覚をもてないんです。無理やりに歌うのだけど、結局は歌い終わった後に、大切なことを置き去りにしているという感じなのかな。自分をだませなくなってしまったというか」。 こんなふうに思い悩み、自分の表現行為を絶望的に検証したアーティストが他にいたのか、わたしには思い当たりません。しかも、自分の歌は自分でつくり、自分で製作、販売するという、隆盛極めるJポップスの基礎をつくった小室等さんであるからこそ、その問いはとても大きなものだと思います。

そこから自分はどう立ち直っているか。被災地の復旧に役立ちたいという思いと同時に、ミュージシャンとしての「復興」が大きなテーマになったそうです。 「歌には力があるのか」、「表現はもう一度力を持つことができるのか」という根源的な問いのただ中で、小室さんは自分を妥協なしのごまかしのできないところに追い込み、そこから立ち上がる音楽を友人たちと分かち合うことで、小室さんはその答えの入り口を探そうとしたのではないでしょうか。そしてかけつけた友人たちもまたゲストとして小室さんの50年を祝うだけではなく、小室さんの呼びかけに応えて新しい冒険を試みたのではないでしょうか。このライブは、まさしく「波にさらわれた」後の音楽の誕生をわたしたちにプレゼントしてくれたのでした。

それぞれの演奏の感想は前回の記事にあるとおりなんですが、あらためて聴き直してみて、とくに感じたことを書きます。 小室さんの50年の活動から生まれた数々の名曲が23人のトップアーティストのいろいろな組み合わせで演奏されると、時には激しく時にはささやくように、時には楽しく時には悲しくわたしたちの心のとびらをたたき、わたしたちの心はまるでサーカスの暗闇からもうひとつの荒野にほうりだされるようでした。 個人的には「老人の海」、「生きているということ」や、坂田明のサックスと佐藤允彦のピアノ、喜怒無月、鈴木大介のギター、吉野弘志のペース、渡嘉敷祐一のドラムスがさく裂し、融合する中で小室さんが万感をこめて歌う「死んだ男の残したものは」には感動しました。谷川俊太郎作詞・武満徹作曲のこの曲は歌詞の持つメッセージを弾き語りで歌うだけではない、奥の深い曲であることを知らされました。 もちろん、このライブで演奏されたすべての曲、すべてのアーティスト、すべてのセッションが「すごい」としか言いようがありませんでした。 このアルバムは数ある小室さんのアルバムの中でも、傑作の一つになることでしょう。 その現場に立ち会えたことを、とても幸運に思います。

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